〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ オットー・プレミンジャーの映画『 バニー・レークは行方不明 』( 1965 )を哲学的に考える〈 1 〉

 

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監督    オットー・プレミンジャー

公開    1965年

脚本    ジョン・モーティマー、ペネロープ・モーティマー

原作    イヴリン・パイパー 『 バニー・レークは行方不明 ( Bunny Lake Is Missing ) 』( 1957 )

出演    キャロル・リンレー   ( アン・レーク )

      キア・デュリア     ( スティーヴン・レーク )

      スーキー・アップルビー ( フェリシア・"バニー"・レーク )

      ローレンス・オリヴィエ ( ニューハウス警部 )

 



 1章  "バニー" とは誰なのか?

 

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ここでは、アン・レーク ( キャロル・リンレー ) の娘が実在するかどうか、というこの映画の中心的主題は、それ程重要ではないと最初に断っておきますね。たしかに娘が、実は存在しなのではないかと観客に思わせながら最後に本当に実在したというストーリーはミステリーとしては優れたものでしょう。

しかし、ここでの哲学的考察にとって興味を引くのは、娘の実在ではなく、不在です。どういうことかというと、娘は正式名である フェリシア・レーク としては実在するのですが、彼女に付けられた愛称 バニー としては 不在、つまり、行方不明 だ という事です。

 

フェリシア・"バニー" ・レーク …… このひとつの呼び名の中にひとりの人間の 実在 ( フェリシア ) 不在 ( バニー ) を現す名前が組み合わさっている、これこそが真の哲学的ミステリーなのです。映画の中で母親のアンは、行方不明の娘を捜索してもらうのに、本名のフェリシアではなく、通名のバニーで呼び続けます ( 映画の中でフェリシアの名が出てくるのは2、3回くらいしかない )。もちろん、普段からそう呼んでいるので別に、通名のバニーでもおかしくはないのですが、問題なのは、バニーという呼び名の由来なのです。

 



 2章  "バニー" は存在しない

 

"バニー" とは、アンと兄のスティーヴン ( キア・デュリア ) の子供時代の遊びの中で童話からヒントを得た空想の女の子なのですね。そう、初からバニーは存在しなかった。つまり、バニーとは空想的対象にあてがわれた "不在を示す名前" だっ という事です。その不在を現す名前を娘フェリシア通名にしたという訳です。以下のアニーとニューハウス警部 ( ローレンス・オリヴィエ ) との会話の中でそれが分かります ( 2~10. )。

 

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では、なぜ、アンはそのような不在を示す "バニー" という名前で娘を呼んだのか? そこに、この映画の核心があるのであり、それは哲学的に考えるのでなければ、下世話な話になりかねないものです。それについて以下で考えていきましょう。

 



 3章  アンとスティーヴンの兄妹関係、それとも ……

 

この映画を観たほとんどの方は気付いていると思いますが、アンとスティーヴンの兄妹が、普通の関係ではない、率直に言うならば、近親相姦の関係にある事を感じとったはずです。もちろん、それを直接的に示す場面はないので推測するしかないのですが、明らかに観客にそう想像させるような演出が繰り返し為されている。つまり、私たちの推測はおそらく間違っていないという事です。

 

バニーが消えて悲しむアンを慰める兄のスティーヴン。もう夫婦のような様子 ( 11~15. )

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ニューハウス警部との会話の中で、自分たちが夫婦でないこと、自分が未婚の母であることを明らかにするアン ( 16~19. )。ミセス ( Mrs ) と呼ばれて否定しなかったのを自分の過ちだとしてミス ( Miss ) だと修正する ( 20~23. )。 言うまでもなく、これらのシークエンスに込められている演出の意図は、アンとスティーヴンが兄妹の一線を超えた夫婦的な関係、すなわち、それは自分たちの子供を産んでいるからなのではと匂わせる事です。

 

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ティーヴンが入浴中にも関わらず、気にもせず会話をするアン。それどころか、煙草に火をつけて自分が吸ったのものを、そのままスティーヴンに渡すアン。彼も気にせず、平気でそれを吸う ( 24~27. )。明らかに普通の兄妹ではない事が分かるこの場面をわざわざ演出している事の意味を見逃すべきではないでしょう〈 次回に続く 〉。

 

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 以下 ( 次回 ) の記事に続く。