▶ アンソニー・マンの映画『 秘密指令 』( 1949 ) について考える 【1】

ロベスピエールによる処刑人リスト ( 黒い手帖 ) を探し出したドゥビニーとそこに立ち会うフーシェ

作品  『 秘密指令 ( Reign of Terror または The Black Book  ) 』

監督  アンソニー・マン ( Anthony Man : 1906~1967 )

公開  1949年

脚本  イーニアス・マッケンジー ( Aeneas Mackenzie : 1889~1962 )

    フィリップ・ヨーダン ( Philip Yordan : 1914~2003 )

製作  ウォルター・エンジャ― ( Walter Wanger : 1894~1968 )

出演  ロバート・カミングス ( Robert Cummings : 1910~1990 )   シャルル・ドゥビニ― 役 

    アーレン・ダール ( Arlene Dahl : 1925~2021 )         マドゥロン 役

    リチャード・ベイスハート ( Richard Basehart : 1914~1984 ) ロベスピエール 役

    リチャード・ハート ( Richard Hart : 1915~1951 )      フランソワ・バラス 役

    アーノルド・モス ( Arnold Moss : 1910~1989 )        フーシェ 役 

    ノーマン・ロイド ( Norman Lloyd : 1914~2021 )       タリアン 役 

    ジェス・バーカー ( Jess Barker : 1912~2000 )         サン=ジュスト 役

 

1章  『 Reign of Terror 』または『 The Black Book 』

A.  アンソニー・マンのこの作品の邦題が『 秘密指令 』という ( アマゾンプライムにおいてもそうであるように:2023年現在 ) のは原題が公開当初はっきりと定まらなかった経緯を考える以前に話をややこしくしているのかもしれません。ロバート・カミングス演じるシャルル・ドゥビニ―がロベスピエールによる処刑リストが記された黒い手帖を48時間以内に探し出すという話がその邦題を付けさせたのでしょうけどそれならば素直に The Black Book を受けて 黒い手帖 』 ( 処刑人リストが記された薄いものなので本というよりは手帖とするか、隠喩的意味合いを強調したブラックリストとすべきか、という所なのですが、翻訳ではファイルとなっている ) としたいところですが …… ( *1 )。

『 秘密指令 』のオープニングクレジット。"Reign of Terror" ではなく "THE BLACK BOOK" となってはいるものの …… 。

B.  しかし現在ではこの作品タイトルがフランス革命史を背景にしたその内容を踏まえた Reign of Terror 』、つまりロベスピエールによる悪名高い 恐怖政治 のタイトルの方で定着している所を考慮するならば『 秘密指令 』という邦題は原題が歴史物語的な『 Reign of Terror 』であろうとも手帖を探し出す緊迫的行程をフィルムノワール的に表す『 The Black Book 』のどちらであろうとも対応できる折衷的なものであるというのが内実なのかもしれません。それはこの作品の特殊な性格現代的なフィルムノワールではなく過去の歴史事象の中に落とし込まれたフィルムノワールすなわち"歴史物語的フィルムノワール" とでもいえる内容を反映したタイトルだと解釈出来るでしょう。

C.  そのように踏まえた上で原題が『 Reign of Terror 』と『 The Black Book 』の間で一瞬でも揺れ動いた経緯は非常に興味深いものだとして考えていく事にします。1949年に公開された時には『 Reign of Terror ( 恐怖政治 ) 』であったのが同年末には『 The Black Book ( 黒い手帖 ) 』と製作過程時の当初タイトルに戻されているという経緯がこの作品にはあったのですね。1949年の公開時から70年以上も過ぎた現在的視点ではこの古典的作品の内容を分かりやすく示す『 Reign of Terror ( 恐怖政治 ) 』の方が受け入れられるのは当然の成行きでしょう。

( *1 )  今日ではアンソニー・マンと言えば1950年代の西部劇作品ばかりがクローズアップされるように『 秘密指令 』などの1940年代フィルムノワール作品が余り観られる事のない状況においては"ブラックブック" といえばポール・バーホーベンの『 ブラックブック ( Black Book / Zwarboek ) 』( 2006 ) を思い起こす人の方がほとんどでしょう。

 

2章  『 The Black Book 』

A.  そこで問題なのは今では隠れてしまった『 The Black Book ( 黒い手帖 ) 』です。『 Reign of Terror ( 恐怖政治 ) 』の方が内容を素直に反映していると思われるのに公開後においても『 The Black Book ( 黒い手帖 ) 』へ変更した ( というか元々は脚本変更を経ての製作中からそうしていたはずという話なのですが ) のはアンソニー・マンとこの作品で初めて手を組んだ脚本家のフィリップ・ヨーダンの意向が働いたのでしょう。作品の基本的ストーリーを作ったイーニアス・マッケンジーの脚本 ( おそらくそれのタイトルが "Reign of Terror" ) が余りにもガチガチのフランス革命史に沿ったものだった ( *2 ) とヨーダンが言っている事からその脚本では見せ場が無さ過ぎると判断したと推測出来る。つまり "脚本変更" があったという事ですね。ただしそれがヨーダンだけの手によるものかどうかは判断出来ませんが ( それはアンソニー・マンも関わる作業であったので )。

B.  ロベスピエールが不満分子を粛清するためにストラスブールから呼び寄せるのがデュバルという人物 ( 4 )。これはドゥビニーと同様の架空の人物でロベスピエールと警察大臣のフーシェも顔を知らないという設定 ( フーシェは途中でデュバルの正体に気付くのですが:図15以降 )。ドゥビニーはデュバルを殺して彼に成りすましロベスピールの近くで反体制者 ( バラス側 ) として秘かに動き回るという話に繋がっていく。という事はデュバル / ドゥビニー という架空人物同士の組み合わせもマッケンジー以後の部分的脚本変更だ と考えられる。

C.  マッケンジーによるロベスピエールの恐怖政治という歴史物語の脚本は彼の失脚で終わるという予定調和的なものに過ぎないのですがここにロベスピエール失脚に繋がる "黒い手帖" 処刑が実行される政治総会が開催される48時間前に探し出さなければならないというフィルムノワール的捻りが書き加えられる ( 7~18 )そしてその捻りは黒い手帖を探し出すシャルル・ドゥビニ―という 架空の人物 ( 主要な登場人物のほとんどが歴史上の実在人物であるのにも関わらず )、しかも主人公によって具現化される。それは部分的な脚本変更後に付け加えられているからこそ架空の人物 として設定する以外にねじ込む方法が無かったと考えられるものなのです。

D.  これに対しては黒い手帖を探す役割は別に実在の人物でも良かったのではという考えもあるかもしれません ( この作品で言うと、フーシェが妥当かもしれません ) マッケンジーによる大筋の脚本が成立している中で敵の攻撃から馬で逃げたり ( 19~22 )、敵を最後に叩きのめす ( 23~26 ) 等の 躍動的な映画主体 ( *3 ) を用いるアンソニー・マンの手法は歴史的実在人物 ( 政治家 ) では行動能力の制約があり過ぎた と言えるでしょう ( おそらく、その困難を誰よりも感じていたのは監督のアンソニー・マンだったはず )。ロベスピエールの監視を搔い潜ってラストのクライマックスに至るまでに 自由に動き回れる架空の主体 が繰り広げる行程こそがフィルムノワール的緊迫感をもたらすのですから。

E.  なのでドゥビニ―によって見つけ出された黒い手帖 ( 処刑リスト ) がロベスピエールが演説する政治集会で秘かに回し読みされ ( 27~30 )、そこに自分の名前を見つけた人々のヒステリックな反応がロベスピエールを否定する野次へと変化 ( 最初は処刑されるバラスへのブーイングであったものが ) し彼を失脚させるという場面 ( 31~36 ) ドゥビニーの役割は終わってしまう。そしてこの辺りからは変更されなかったマッケンジーの脚本箇所に再び戻っている ( 31~42 )。フーシェの背後から彼に話しかけるナポレオンの後ろ姿での登場です ( 41~42 )。ロベスピエール失脚後のフランスの未来を予告させる演出という事なのですがもしマッケンジーが最初からドゥビニーを登場人物として構成していたのならここでナポレオンが話しかけるべき相手はフーシェではなくドゥビニーであったはずです。しかしそうではなかった。マッケンジーの構想の中にドゥビニーが居なかったからですね。ここにおいて物語は閉じられるのですがそれではまだ終わる事は出来ません。それが何なのかについて次で考えていきましょう。

( *2 ) 例えば本作品のラストではロベスピエールの処刑場面こそ無いもののその前の段階で執務中のロベスピエールを逮捕する際に致命傷ではないが彼の顎をピストルで撃ちぬいたとされる軍人 シャルル=アンドレ・メルダ ( Charles-André Merda ) の話 ( ただし、その真偽のほどは疑わしくロベスピールの自殺未遂という話もある ) を思わせる銃撃場面までもが丁寧に描かれている。フランス革命史に詳しくなければわざわざ描こうとは思いつかないものですね。

( *3 ) このような躍動性の例としてはアンソニー・マンの ローマ帝国の滅亡 ( 1964 ) 』における以下の場面を参照。元は兄弟のように仲の良かった皇帝マルクス・アウレリウスの息子コンモドゥス ( クリストファー・プラマー ) とリヴィウス ( スティーヴン・ボイド ) が反目し合い馬車で並走しながら戦うのですがこの場面は3分程に渡って緊迫的に描写される。マンの作品にはお馴染みの "急斜面" "激流の川" の描写も含まれている ( 43~50 )。

[ 以下記事へ続く ]