〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ジョン・ウィリアム・ポリドリの小説『 吸血鬼ラスヴァン 』( 1819 ) について哲学的に考える〈2〉

 

 

 上記の記事からの続き

 



 

 

A. ポリドリは、ラスヴァン ( バイロン ) をそこに結びつけるに当たって、まず吸血鬼という 記号表現 / シニフィアン が固有名詞以上の普遍性 ( 時代や国を越えて広がる ) を持っている事を理解している。 吸血鬼という生き物である以前に、生き物である事を越えて、 吸血鬼 〉という 普遍的な記号表現がそれ自体で、つまり、言葉として抽象的に実在する事 を直観的に理解しているのです。 だから吸血鬼と言えばヴァンパイアに限らず、様々な呼ばれ方がある事、そして 言葉である事、をポリドリが喚起しているのを見落とすべきではありません。

 

 

この種の恐ろしくも興味を掻き立てる迷信には、さらに多くの奇怪で刺激的な報告を加えることが可能だろう。しかし、ここでは最低限の説明に足る記述で充分としたい。その記述も次の言及で終えることにする。すなわち吸血鬼に対してはヴァンパイアという語が広く使われているが、ヴロコローチャ、ヴァ―ドラーカ、グール、ヴロコローカなど、同義語は世界中に存在するのである。

 

「 吸血鬼ラスヴァン 序文 」 『 吸血鬼ラスヴァン  英米古典吸血鬼小説傑作選 』所収 p.24 ジョン・ウイリアム・ポリドリ / 著 平戸懐古 / 訳 東京創元社 ( 2022 )

 

B. ポリドリは、この吸血鬼なるものという記号表現に、ラスヴァン ( バイロン ) という人間的固有名詞を紐づける事で、ラスヴァンという語を脱固有名詞化させて、つまり、ラスヴァン ( バイロン ) とされる特定の人間を指し示す指示機能を脱化させて、吸血鬼という抽象物を言い表す 物質的言葉 へと変貌化させる のです。 それによってラスヴァン ( ラスヴァン ) についてはその人間性を知らない人でも、その名は知っているという吸血鬼に連なる記号表現的な歴史主体となるという訳です。

 

C. ここにおいてラスヴァン ( バイロン ) という固有名詞は特定の人間を名指すものではなくなる。 ドラキュラといえば特定の伯爵の事ではなくなり抽象的存在の吸血鬼の事だという〈 忘却的移行 〉を引き起こすのと同様に、普遍的・抽象的記号表現を説明するものとしての 物質的言葉 ( 名前 ) になる のです。 つまり、その名が人間の口から発せられるだけで実在性を獲得してしまう言葉なのですね。 ヘブライ語の〈 ヤハウェ〉が実は、神を指し示す為の概念的言葉として作られたのではなく、聖書の詠唱において人の口から発せられるもの、気息、であり、それ自体がそのまま神となるような物質性であり、それこそが言葉の、言葉自体の原初的神聖さ・原初的魔力だといえば理解出来るでしょうか。

 



 

 

A. しかし、興味深いのは、『 吸血鬼 』のラストです。 死んで蘇った吸血鬼ラスヴァンはオーブリーの妹を自分の花嫁にしてしまうのですが、オーブリーは最後までもその結婚に反対しながらもそれを阻止する事が出来ず、衰弱死してしまう。 ここで目を引くのはオーブリーとその妹という設定です。 結婚に反対するという立場の人間としては普通なら父親という設定にする方が説得力があるであろうに、そうではないのはなぜなのか。

 

B. これについては、ポリドリが弱冠20歳にしてバイロンの専属医になった事、そしてオーブリーの妹が18歳という設定、等を考慮した時、兄と妹という設定が自然に導入される至る当時の状況、ディオダティ荘での滞在という状況、が浮かび上がりますね。 ディオダティ荘の滞在者で18歳の女性で怪談談義に参加して動揺する羽目になった人物と言えば、メアリー・シェリーだという事になるでしょう。 そして彼女を談議で動揺させた人物こそバイロンに他なりません。

 

C. バイロンの性的奔放さを知っていたポリドリはこの状況を傍からいかなるふうに見ていたのか、もし 『 吸血鬼 』 の話がディオダティ荘の人間関係を反映しているのならば ( バイロンの 『 断章 』 がバイロンとポリドリの現実関係を反映しているように )、ポリドリはバイロンがメアリーにその欲望を向けているかもしれないと心的に危惧していたのでしょうか、年齢が近く妹のようなメアリーを思う余りに。 実際に、そのようが危惧が具現化されたかのように 『 吸血鬼 』 のラストはオーブリーの妹がラスヴァンに血を吸われて死んでしまう。 ここでポリドリが僅かな期間のバイロンの付き人として、ディオダティ荘における欲動の渦巻く人間関係を傍らから窺がう部外者的観察者として、メアリーに成り代わり〈 ピーピング・トム 〉 ( ) として、ディオダティ荘の人間達への心的診察を下したというのでしょうか。 もし、そうであるのならバイロンにとってポリドリは扱いにくい 〈 観察人間 / 医者 〉であったのかもしれません ( 解雇する程に ) 〈 終 〉。

 

( ) 

メアリー・シェリーの 『 フランケンシュタイン 』 第三版の序文に、メアリーは、怪談談義を受けて、ポリドリが鍵穴から何かを覗いた女性が罰として骸骨頭の女性になった話を考えていると述べている ( )。 しかし、注意すべきは、この箇所の文章は "主体性" がかなり曖昧になっている、いや、わざと曖昧にされているかもしれない、という事です。 ポリドリが文章構造の主体ではあるものの、その文章の内容はまるでメアリー自身が何かを覗き見したかのようなメアリーの体験談であるかのように思える箇所が出てくるのですね。

 

Poor Polidori had some terrible idea about a skull-headed lady,
who was so punished for peeping through a key-hole ― what to see I forget ―
something very shocking and wrong of course ; but when she was reduced to a
worse condition than the renowned Tom of Coventry, ……

 

"彼女は鍵穴から覗いた為に罰せられた ( 骸骨頭姿の女になった / a skull-headed lady ) 何を見たのかは忘れた" とあるのですが、忘れたのは "わたし / I "、 "わたし / I " が忘れたと書いてあるのですね。 ポリドリがこの作り話を考えている支配主体であるはずのに、"私が忘れた" という言葉を差し込むのは奇妙 ですね。 "非常にショッキングで間違った事だ / something very shocking and wrong of course "とまで言っているのに忘れたとは在り得ないでしょう。 "彼女は忘れた / what to see she forgets " と言うのならまだポリドリが作る主格・主体性の文法的支配が及んでいるので分かりますが。 さらに "彼女はコヴェントリーのトム ( 通称:ピーピング・トム 。11世紀イギリスの伝承に由来するゴダイヴァ夫人の裸を覗き見たトムの事 ) よりもひどい状態になった" と書くに至っては、メアリー自身が覗き見たが忘れたとぼやかす程衝撃的であった事を強調する身振りでしかない といえるでしょう。 つまり、自分の裸を見られる衝撃よりも、もっと強烈なものを何かを見る事で受けた、だからトム以上のものだと言っているのですからね。

そう考えると、以上の話はポリドリがオリジナルで考えたのではなく、メアリーがポリドリにその話をして、それを書いてはどうかとポリドリに言った可能性が高いかもしれません。 ポリドリがどうにかして作品にしようにも書きあぐねている、だからメアリーは "かわいそうなポリドリ / Poor Polidori" と書いているのかもしれない。 もちろん、彼が書きあぐねるのは、メアリーが鍵穴から見たものが、おっぴらに名前を出せないバイロン、端的に言うならバイロンの性関係であるかもしれない …… というのは邪推かもしれませんが、メアリーが忘れたと書きたくなる程の衝撃を考える時、それ以上に該当するものはないでしょう。 バイロンの相手ならば誰であってもおかしくはないですから。

 

以上ことを併せ考えるなら、メアリーが書いた覗き見女の話に対して、ポリドリが、その時点で、書いていたのは 『 アーネスタス・ベルトヒルあるいは現代のオイディプス / Ernestus Berchtold; or, The Modern Oedipus 』 ( メアリーの 『 Frankenstein : or The Modern Promehteus 』 と副題の付け方が意味深にそっくりですね ) だというのも分からないでもありません ( 両者の話の食い違いがしばしば指摘されますが )。 というのもポリドリはその時点では、覗き見女の話を作品化出来ていなかったからかもしれないからです。 そうすると、その話がどうなったのかという興味が湧いてくるのですが、それがもしかしたら申少し後のスイスを離れる直前で書かれた 『 吸血鬼 』 であるかもしれないという可能性は余計な推測として残しておきましょう。

 

( ) この箇所については、「 ジョン・ポリドリの『 ヴァンパイア 』 ー 出版の背景と吸血鬼小説への影響 ー 」 細川美笛 p.51~52  松山大学 言語文化研究 第38巻 第 1-1 号 2018年 9月 〉に掲載されているので以下参照。

file:///C:/Users/User/Downloads/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E6%96%87%E5%8C%9638-1-1-%E7%B4%B0%E5%B7%9D-1.pdf