〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ジャック・ロンドンの小説『 生への執着 』について哲学的に考える

 

 

作品  「 生への執着 」 柴田元幸翻訳叢書 ジャック・ロンドン『 火を熾す 』所収

原題  『 Love of life 』( 初出:1905 )

著者  ジャック・ロンドン

訳者  柴田元幸

 

2008年10月2日 第1刷発行

発行所 株式会社 スイッチ・パブリッシング

 



 

 

A. 邦訳にしてわずか30頁ばかりの短編だが、ジャック・ロンドンの世界観が見事に詰め込まれている。動物文学の傑作である『 野生の呼び声 』、自伝でもある『 マーティン・イーデン 』など現在でも比較的読まれる彼の主著ともいえる作品に比べたら、ほとんど読まれることのないマイナー作品ですが、刺激的なものとなっています。

 

B. これはロンドンにおける動物作品の系列に収まるもので、人間と野生の狼の命を賭けた極限状況における対立を、物語の筋をほとんど省略した ひとつの逼迫した状況物語としてのみ成立させた短編 なのですね。なので読み始めると、話はもう既に佳境に入っている。徐々に話が盛り上がるとか、前振りがあるとか、そういう予備的な話は一切ない。話はロンドンの読者ならばお馴染みのカナダの北極圏を舞台にして金の採掘を目指した男が出てくるという定番ものです。

 

C. 作品の冒頭に書かれたおそらくロンドン自身によるものと思われるエピグラフがこの話の筋を語っている。金の採掘という人生の一発逆転を狙った男が、結局、最後には全てを失う目に遭うが、過酷な自然の中で自分の命を外敵から守り、生き抜いたという行為それ自体が尊厳に値するもの と彼は言っているのですね。 

 

 

すべてが潰えてもこれだけは残る ー

彼らは生き 賽を振った

得るものも大きいはずだ

賽子の金は失われようとも

 

 

ジャック・ロンドン「 生への執着 」p.211 『 火を熾す 』所収 柴田元幸 / 訳 スイッチ・パブリッシング ( 2008 )

 



 

 

A. そしてさらに重要なのは、それが人間だけでなく、動物 ( ここでは狼 ) においてもそうであるのをロンドンは描いているという事です。人間が過酷な環境や獰猛な野生動物に打ち勝つという安易な話を彼はしているのではなく、ここでは 〉というものが〈 生き延び 〉という形で現れていて、それは人間と狼に共通する生への関わり方だ とロンドンは言っているのです。人間と同じく空腹の狼は生き延びるために〈 彼 〉を喰おうとするし、人間も狼に生き延びるために狼に喰われまいとして必死に抵抗し〈 彼 〉を殺そうとする。人間と狼という種差を超えた生への関わり、生にしがみつき、必死に生き延びようとする姿は〈 生の営みであり、〈 生 〉は生き物に対して生き延びるためには 暴力的なまでに自らにしがみつかなければならない事 を要求するのであり、それに立ち向かう姿こそが「 業としての愛 」、つまり、ロンドンが現代で示した「 生という愛:Love of life 」という訳です ( 柴田元幸はもっと分かりやすく"生への執着" としている )。

 

 

 三十分どうにか歩きつづけたところで、幻覚が戻ってきた。彼はふたたびそれと戦ったが、なおも幻覚は消えなかった。〈 中略 〉。男はただの自動人形と化して、ひたすら歩きつづけた。奇怪な思いや突拍子もない考えが蛆虫のように脳を蝕んだ。とはいえ、こうした現実からの離脱は、いつもごく短時間しか続かなかった。胃を齧る空腹の痛みにじき呼び戻されるのだ。

 

前掲書 p.227

 

  気を取り直して先へ進んだ。いまや新しい恐れが男を捉えていた。食べ物がないせいで何もせず死んでいくのが怖いのではなく、生き延びようとする意志の最後のひとかけらが飢えによって消滅してしまう前に何かにむごたらしく殺されてしまうのが怖いのだ。狼たちがあちこちにいる。荒涼とした地に彼らの遠吠えが漂い、その響きが空気そのものを、手にとれそうなほどはっきりとした威嚇の生地へと織り上げている。

 

前掲書 p.228

 

一度、ちらっとうしろをふり返ると、狼がその血に染まった跡を必死に舐めていた。それを目にして、自分の最期がどうなりうるかを男は見てとった。こっちから狼をやっつけない限り、それは避けられない。それからというもの、この上なく陰惨な、生存の悲劇が戦われた ー 這って進む病気の男と、びっこを引いている病気の狼。その二匹の生物が、荒涼たる地の上を、死にかけた己の体に鞭打って進みながらたがいの命を狙っている …… 。

 

前掲書 p.236

 

  狼の辛抱強さは底なしだった。男の辛抱強さも等しく底なしだった。半日ずっと、男は動かずに横たわり、気絶しそうになるのと戦いながら、自分を食べようとしている、そして自分が食べようとしている相手を待った。時おり、気だるさの海に呑まれて、長い夢を見た。

 

前掲書 p.238

 

B. 以下では、狼の捕食描写と同等に、人間による狼の捕食が当たり前であるかのように〈 自然な行為 〉として描かれている。互いが互いをまさに喰らい合っている。これだけでは人間も狼と同様の動物としての本能を表わしたのだという凡庸な解釈をする人もいるかもしれませんが、次に続く場面ではそう単純なことではないのが示される。

 

 

牙が柔らかく押してきた。押す力が増していった。狼は最後の力をふり絞って、もう長いこと待ってきた食べ物に歯を食い込ませようとしているのだ。だが長いこと待ったのは男も同じだった。ずたずたに裂けた片手が、狼のあごを締めつけた。ゆっくりと少しずつ、狼が弱々しくあがき片手が弱々しく締めつけるなか、もう一方の手が忍び寄ってじわじわと掴んでいった。〈 中略 〉。三十分経って、温かい液体がちろちろと自分の喉に流れてくるのを男は意識した。それは快い感触ではなかった。溶けた鉛を胃に押し込まれているかのようだった。それを押し込んでいるのは、ひたすら男自身の意志だった。

 

前掲書 p.238

 

C. 以下からのラストの向けての場面では、ある種の "異様さ" が目に付くようになる。それは下線部を見てみもらえば分かるように、人間は狼の捕食によって獰猛な動物的本性に目覚めたどころか、人間でも動物でもない 種差的なもの に生成変化してしまっている、巨大な蛆虫であるかのようにという異様な表現を施されて。これは生一般の普遍的視点から、極限において生き延びようとする意志が具現化されたものにおいては種別的カテゴリーなどは何の意味もない事 を示している。生きようとする意志の普遍性が、人間と動物の対立が止揚されて、〈 目に見えない不可視なもの 〉として現れたと考えられるのです。ジャック・ロンドンは 人間と動物の交差的対立の果てに目に見えない何かを現わしていく創造的真理 ( ) を作品において実践していたといえるでしょう〈 終 〉。

 

 

 捕鯨船ベッドフォード 』号には科学調査団が乗っていた。彼ら甲板から岸辺を見て、奇妙な物体を目にした。その物体は海岸を水の方に向かって動いていた。彼らはそれが何なのか分類できなかったが、何はともあれ科学に携わる身として、横づけしていた捕鯨用のボートに乗り込み、陸まで見に行った。そして彼らは、何か生きている、だがおよそ人間とは言いがたい物を目にしたそれは盲目であり、意識も失っていた何やら巨大な蛆虫のように、くねくねと地を這っている。その努力の大半はほとんど無駄に終っていたが、意志はあくまで執拗であり、身をよじらせ、ねじり、おそらく時速六メートル程度の速さで前進していた。

 

前掲書 p.238 ( *下線は引用である私によるもの )

 

 三週間後、男は捕鯨船ベッドフォード 』の寝台に横たわり、瘦せこけた頬にさめざめと熱い涙を流しながら、自分が何者であっていかなる体験をくぐり抜けてきたかを物語った。〈 中略 〉。男はまったく正気ではあったが、食事に同席するこれらの人びとを彼は憎んだ。食べ物がなくなるのでないかという恐怖に男は憑りつかれていた。

 

前掲書 p.239~240

 

 科学者たちは事を荒立てはせず、男の好きなようにさせておいたが、男の寝台をこっそりと調べてみた。寝台はびっしりと乾パンに埋めつくされていた。マットレスにも乾パンが詰め込んであった。隅という隅、すきまというすきまが乾パンで埋められていた。それでも男は正気だった。彼はただ、次に訪れる飢饉に備えて用心しているだけだった。それだけのことだった。いずれ治るさ、と科学者たちは言った。そして、『 ベッドフォード 』号の錨がサンフランシスコ湾に下ろされるころには、事実男は治っていた。

 

前掲書 p.240~241

 

( )

人間と動物の交差的出会いとそこから現れる不可視のものについては以下の記事を参照。