前回記事からの続き
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第8章 〈 戦争 〉 と 〈 平和 〉 ①
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▨ "戦争と平和" と言うと、 多くの人はトルストイの 『 戦争と平和 ( 1864~69 ) 』 を思い浮かべるでしょう。 人生の後期において非暴力主義 ( ガンジーとの書簡による対話は有名ですね ) とコミューン主義を広めたトルストイの人物像から人は "平和" という言葉に違和感を抱く事はないのですが、 少なくとも彼が30代で書いた同書の中には平和について積極的に "語る" 下りはほとんど無い事に実際に読んだ方は気付くはず。 いや、そもそもこれは祖国戦争を "描写" した長編小説なのだから、 平和について直接的に "語る" ことがないといっても、 数多くの登場人物たちの描写背景から "平和" を導き出すのは特段無理な事ではない、そう思う人もいるでしょう。
▨ しかし、そうではないのです。平和は "描写される" のではないし、 かといって直接的に "語られる" のでもありません。それは迂回的かつ間接的に "幽かに示される"、 戦争についての "語り" の傍らで。 しかも、 それは作中登場人物によってではなく明らかに作者トルストイによるあたかも小説併記 / 小説後記であるかのような "歴史哲学的語り" がエピローグとして唐突かつ不自然に現れるという状況なのです、それこそが物語の核心なのかと思えるくらいに。 それはまず第4部が終わった後、エピローグ第1編の1章~4章において現れるのですが、5章~16章では再び登場人物たちによって話が進む通常の小説形式に戻ります。そして、それに続くエピローグ第2編で内容全部が第1編の1章~4章で唐突に始まり終わった "歴史哲学的語り" が再開されるのです。それはそれまでの 『 戦争と平和 』 を特徴づける数多くの登場人物による展開進行という小説構造とは明らかに異なるトルストイの歴史哲学を叙述する論文的構造となっている。
▨ そこには小説的描写ではなく、"歴史事象" についてどうしても語らなければならないとするトルストイの意志が強く反映されているといえるでしょう。その箇所が無くとも小説の体裁は保たれるのに、いやそれどころかその箇所によって 『 戦争と平和 』 の作品構造のバランス自体が壊れかねないというのに。これについてトルストイは次のように言っている。
『 戦争と平和 』 とは何か? これは長編小説ではないし、 ましてや叙事詩でもなく、 歴史記録ではなおさらない。 『 戦争と平和 』 は、 まさに今あるような形式で作者が表現したいと願い、 そして表現し得たものである。 散文芸術作品の形式上の制約を軽視する作者のこうした宣言は、もしもそれが故意にするものであり、また前例のないものだとしたら、思い上がりと聞こえるかもしれない。 だがプーシキンの時代以来、 ロシア文学史にはヨーロッパ的な形式からのこうした逸脱の例が数多くみられるどころか、 逆の例など一つも見つからないほどだ。 ゴーゴリの 『 死せる魂 』 に始まってドストエフスキーの 『 死の家の記録 』 に至るまで、 新時代のロシア文学の多少なりとも月並みの域を超えた散文芸術作品で、 長編小説、 叙事詩、 あるいは中編小説といった形式にいったりと収まるようなものは、 一つとしてないのだ。
「 『 戦争と平和 』 という書物についての数言 」 『 戦争と平和 』 所収 p. 478~479 トルストイ / 著 望月哲男 / 訳 光文社古典新訳文庫 ( 2021 )
▨ では、トルストイが語ろうとした "歴史事象" とは何なのでしょう。これについてのエピローグにおけるトルストイの語り方は抽象思考的で小説好きな一般の大多数には受け流されてしまうものなのですが、彼はそこで 人間が戦争に向かう歴史現象 を哲学的に考えているのです。戦争は行うべきではない、という頭ごなしの平和論などではなく、その前に 何故人間は戦争をするのか という事を、彼はこれまで繰り返されてきた戦争事実を前にしながらも真剣に考えようとしている訳です。
だがいったいどうして何百万人もの人間が殺し合いを始めたのか、誰がそれを命じたのか? そんなことをしても誰の得にもならないし、むしろ皆の損になることぐらい誰が見ても明らかだったろうと思えるのに、いったいどうして人々はそれを行なったのか? 〈 中略 〉。 殺し合うことが身体的にも精神的にも有害なことは天地開闢以来明らかであるにもかかわらず、なぜ何百万もの人々が殺し合ったのだろうか?
それは、そうすることがどうしても必要だったからであり、そうすることで人間は、ちょうど蜂が秋口に殺し合うように、動物の牡同士が殺し合うように、自然の、動物の法則を実行しているのだ。 この恐るべき問いに対してこれ以外の答えは提示しえない。
前掲書 p. 492~493
▨ 以上のトルストイの叙述を読むと、彼は戦争というものを諦念的に肯定しているかのように見えるかもしれませんがそうではありません。彼は 戦争に向かう人間の "集団意志"、ルソーが言うところの "一般意志"、が国民という位相において形成される "歴史的事象" に注意を払っているのです。 彼はルソーの構築した政治概念を用いて ( それが意識的使用かどうかは分かりませんが彼はルソーを敬愛していた ) 戦争に傾斜していく人間集団の一般意志を歴史的に分析する。
つまりは、二種類の行為がある。 私の意思次第の行為と、私の意志によらない行為である。 そして矛盾を生み出す誤りは、私の自我に、すなわち私の存在の最高度に抽象的な部分に関わるあらゆる行為に伴う自由の意識を、私が不当にも、他の者たちと一緒に行う行為、他の者たちの自由意志に私の自由意志を合わせることではじめて成り立つ行為にまで及ぼしてしまうことから発生する。 自由の領域と従属の領域の境界を確定するのは極めて困難であり、その境界画定こそが心理学の本質的な、そして唯一の課題となっている。 しかしわれわれの最大限の自由と最大限の従属が現れる諸条件を観察していて気づかざるを得ないのは、われわれの行為が抽象的で、他人の行為にかかわる度合いが低ければ低いほど、それは自由であり、逆にわれわれの行為が他人と結びつく度合いが高いほど、それは不自由だということである。
他の人間たちとの間に最も強固で切り離しがたい、重い不断の結びつきを作るものは、いわゆる他者への権力であり、権力とはその真の意味においては、他者への最大の従属に他ならない。
前掲書 p. 496~497
▨ エピローグ第2編は小難しい内容なのですが、個人的に思うのは、このエピローグ第2編について考える事なく平和について何らかの示唆を『 戦争と平和 』から導き出すのは難しいということです。 この作品をたんなる読み物としてエピローグを省いて楽しむというのなら話は別なのですが。 というのも戦争の主体は国家であるとしても、その国家主体の根源には、それを支える "一般意志" としての国民による黙認的総意がある、 国民という人間集団自体が戦争に向かう事を受け容れてしまっている、という "歴史現象" を "必然的なもの" としてトルストイは見出しているからです。
▨ ここには国家の、より強力な権力基盤として人間を形式的に自らの中に組み込んだ "国民国家" という権力体への変移があります。それと同時に、権力に組み入れられる事で人間は国家における形式的主体へと変貌するのです。国家に服従しながらも主体性を手にする ( いや服従するからこそ得られる政治的主体性というべきか ) という両極的矛盾がそのまま具象化された "臣民=主体" が誕生する 訳です ( エチエンヌ・バリバールが説くようにフランス語の "Sujet" はその両方を意味する興味深い例となっている )。 そうすると、国家による戦争の主体、 戦争を実践する主体、とはこの臣民=主体によって担われるという事であり、その臣民はまさに戦争を推進する一般意志を表象する集団という事になる。これはいうまでもなく 人間自身が戦争行為を意志する生き物だ という事ですね、 積極的であろうと消極的であろうとも。これについてアンネ・フランクは次のように書いています。
あなたにも容易に想像がつくでしうょうが、ここのみんなは、しばしば絶望的にこう自問します - 「 いったい、そう、いったい全体、戦争がなにになるのだろう。 なぜ人間はおたがいに仲よく暮らせないのだろう。 なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう 」
こういう疑問を持つのはしごく当然のことですけど、これまでのところ、だれもこれにたいする納得のゆく答えは見いだしていません。そもそもなぜ人間は、たとえばイギリスでのように、ますます大きな飛行機、ますます大型の爆弾をいっぱうでつくりだしながら、いっぽうでは、復興のためのプレハブ住宅をつくったりするのでしょう? いったいどうして、毎日何百万という戦費を費やしながら、そのいっぽうでは、医療施設とか、芸術化とか、貧しい人たちのために使うお金がぜんぜんない、などということが起こりうるのでしょう? 世界のどこかでは、食べ物がありあまって、腐らせているところさえあるというのに、どうしていっぽうには、飢え死にしなくちゃならない人たちがいるのでしょう? いったいどうして人間は、こんなにも愚かなのでしょう?
わたしは思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家だけにあるのではありません。 そうなんです、その罪は名もない一般の人たちにもあるのです。 そうでなかったら、世界じゅうの人びとはとうに立ちあがって、革命を起こしていたはずですから! もともと人間には破壊本能が、殺戮の本能があります。 殺したい、暴力をふるいたいという本能があります。 ですから、全人類がひとりの例外もなく心を入れかえるまでは、けっして戦争の絶えることはなく、それまでに築かれ、つちかわれ、はぐくまれてきたものは、ことごとく打ち倒され、傷つけられ、破壊されて、すべては一から新規まきなおしに始めなくちゃならないでしょう!
『 アンネの日記 研究版 』 オランダ国立戦時資料研究所 / 編 深町眞理子 / 訳 p. 715~716 文藝春秋 ( 1994 )
* 下線は引用者の私によるもの
▨ 上の引用でアンネが言う、「 戦争の責任は名もない一般の人びとにもある 」 という言葉はルソーやカント、トルストイの戦争論を含めた歴史的論理系列を考え直す時、 単なる道徳的非難以上の意味を持つ。 つまり、"戦争行為" の主体が各々の国家臣民である事に限定されるのに対して、出来事としての戦争は歴史的な "戦争事象" として世界市民に "脱国家的道徳観念=平和" を抱かせる意識性 を構築させるのです、人間の在り方として。 ここでは、崇高な疑似幻想に浸る国家臣民という主体に対して、国家内主体のようには権力規定され得ない不安定な "人間概念" が "世界理念" と共に権力閉域を切り崩すように現れている のですね。 まさにカントはこの脱国家・脱主体的論理系列において "人間=世界" の次元を執拗に探求したといえるでしょう。 この点が重要なのは カントが "具体的な国家 ( 戦争 )" に対して "抽象的な世界 ( 平和 )" を無意識的に対置して隣接接合している 事です、フロイトに先んじて。彼は具体的暴力を出来る限り局所化させる事が出来るのは "抽象的理念の力" しかないのを理解していた。暴力に暴力で対抗する事、暴力で対抗されるような暴力を引き起こす事、は戦争に行き着く悪循環しか生まない。 世界、平和、等の抽象的理念を世界市民で共有化・浸透化する事こそまたひとつの現実である とカントは考えていたといえますね。
▨ ではそうすると、トルストイは 『 戦争と平和 』 において "人間" についてどう考えていたのでしょう。 興味深い所です。というのもソルジェニーツィンの 『 収容所群島 』 の資料としても知られる 『 監獄と流刑 ( 1953 ) 』 ( 2016年に成文社からの松原広志による邦訳版あり ) の著者である イヴァーノフ=ラズームニクは大著 『 ロシア社会思想史 ( 1906 ) 』( 2013年に成文社からの佐野努・佐野洋子による邦訳版あり ) においてドストエフスキーと比較する形で 『 戦争と平和 』 時のトルストイを "個人主義" を放棄しているとして暗に非難しているからです。 トルストイの人間概念がいかなるものであるのか次回で考えていきましょう。
以下の記事へ続く
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参考資料
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▨ 『 戦争と平和 1~6 』 トルストイ / 著 望月哲男 / 訳 光文社古典新訳文庫 ( 2021 )
▨ 『 ロシア社会思想史 上・下 』 イヴァーノフ=ラズームニク / 著 佐野努・佐野洋子 / 訳 成文社 ( 2013 )
▨ 『 アンネの日記 研究版 』 オランダ国立戦時資料研究所 / 編 深町眞理子 / 訳 文藝春秋 ( 1994 )