〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ソルジェニーツィンの『 クレムリンへの手紙 』を通じて考える〈 1 〉

 

 

作品  クレムリンへの手紙 」

原題  『 Letter to the Soviet leaders 』

著者  アレクサンドル・ソルジェニーツィン

訳者  江川卓

1974年9月20日 第1刷発行

発行所 新潮社

 

〈 目次 〉

クレムリンへの手紙

 1 膝まずく西欧                                                    p.12

 2 中国との戦争                                                    p.18

 3 文明の行きづまり                                             p.25

 4 ロシアの東北                         p.34

 5 外的ならぬ、内的発展                       p.41

 6 イデオロギー                         p.52

 7 では、これがどんなふうにうまく納まるのか?  p.62

 

嘘によらず生きよ                                                      p.109

 

訳者あとがき                                                             p.126

 



 

 

A. 収容所群島 』、『 イワン・デ二ーソヴィチの一日 』などの有名な作品に比べると、今日では一般の人にはほとんど読まれる事がないであろう、ソ連の現状を省みた上での指導者へ政治的提言をするソルジェニーツィンの政治綱領。 しかし、これは当時の政治体制の中での現実的改革の提案というよりは、現行の政治体制それ自体を歴史的に批判するソルジェニーツィンの個人的メッセージの色合いが強いという意味で、あくまでも "文学的な" 政治綱領だと言うべきでしょう。 訳者の江川卓もそれについて詳細に考えていて、次のように言っている ( このあとがきは彼の論理性によって面白いものとなっているので、長めですが引用しておきます )。

 

 

 私はこの文書全体を、一個の卓越した文学精神が、現代という時間、ソ連という空間に充満するもろもろの諸現象に触発されて、一つの大きな怒りと危険の予感につらぬかれ、それを作品として結晶させる以前に、どうあってもその怒りと予感に表現を与えておきたいと願った、いわば内的衝迫の所産であると考えたい。 したがってそれは、政治文書の形をとってはいるものの、その根源においてあくまでも文学的な「 作品 」であり、文学精神の政治文書のジャンルにおける発現であるということになる。

 

クレムリンへの手紙 』 ソルジェニーツィン / 著  江川卓 / 訳  新潮社 ( 1974 ) 訳者あとがき  p.135~136

 

 ロシア文学の伝統には、このようなジャンルはけっしてとぼしくない。 まず頭に浮ぶのは、トルストイがその晩年につぎつぎと発表した文明批判、政治批判の論文群だろう。 とりわけ一八八〇年代の 『 さらば、われら何をなすべきか? 』、九〇年代の 『 現代の奴隷制 』、日露戦争に際して激烈な戦争否定を訴えた 『 猛省せよ! 』、一九〇八年、帝政政府による大量な死刑の執行に抗議した 『 黙すあたわず 』 などは、その文体や内容においてさえ、ソルジェニーツィンの 『 手紙 』 と呼応するものを持っている。 ソルジェニーツィンが今度の 『 手紙 』 の執筆にあたって、これらのトルストイの論文群を想起せずにいられなかったであろうことは、ほとんど疑う余地がない。 彼がトルストイの存在を大きく意識し、創作的にもその影響を受けていることは周知の事実であり、そのトルストイへの傾倒、と同時に、この巨大な存在との内的な格闘の体験は、『 一九一四年八月 』 のなかでも執拗に跡づけられている。

 

前掲書 p.136

 

 しかし、『 クレムリンへの手紙 』 の文学的ジャンルを確定するにあたっては、もうひとつ、見落とせない事情がある。 それはこの文書がほかでもない 「 手紙 」、それも 「 指導者への手紙 」 だという点である。 つまり、この文書の本来のパラレルをロシア文学の伝統に求めるとすれば、たんなる論文、時事エッセイではなく、むしろ皇帝への直訴状、嘆願書のジャンルに注目しなければならないということだろう。 たとえば、トルストイにあっては、ドゥホボル教徒らに対する政府の弾圧に抗議して、アレクサンドル二世やニコライ二世に何度も送りつけた直訴の手紙が問題になる。 ドストエフスキーにあっては、直接に皇帝に宛てたものではないが、オムスク監獄を出たのち、トトレーベン公爵に宛てて送った流刑解除の嘆願書などを考えなければなるまい。

 

前掲書 p.137~138

 

 くり返すようだが、私は、この 『 手紙 』 に一見、政治綱領のような形で述べられている 「 諸提案 」 と、ソルジェニーツィンの本来の政治的信条との間には、ある種の表現上の落差のようなものが存在し、この落差は、文学者によって書かれた、いわば 「 作品 」 としてのこの文書のジャンルによって条件づけられているのではないかと考えている。 そこで、この 『 手紙 』 に盛られた提案の一項一項についてその政治的当否をあげつらう読み方をしていたのでは、ソルジェニーツィンがこの手紙を書かずにいられなかった真の衝迫をとらえ切れないのではないかと思う。

 

前掲書 p. 141~142

 

B. 江川の解説を踏まえ、ここで確認しておきたいのは、これが文学的政治綱領であるとしても、ソルジェニーツィンにとっては第一義的には真面目に受け止められる事、つまり、政治的に読まれる事、を望んでいたはず。 にも関わらず文学的だと称されるのは、この作品の無意識的意図が、目次にも見られる政策の実現化の固執よりも、現行政治体制への断固とした否定の声それ自体現行体制を転覆させようとする "静かなる革命" の願望、を "届ける事" に他ならないからです。 彼がマルクス主義共産主義を否定しながらも、度々レーニンという個人に立ち返って ( 例えば 『 チューリヒレーニン ( 1975 ) 』 ) 民主主義に向かわず 強力な指導者 ( これは少なくともスターリン以後の共産党書記長の事ではない ) による専制愛国主義を合わせた脱工業的な大地共同体 を主張する ( これこそ西側諸国のみならず、自国の人間も唖然とさせたものなのですが ) のは、まさに レーニンに現行の政治体制を破壊する〈 歴史的力 〉の形象を見出している からに他なりません ( * )。 『 チューリヒレーニン 』 の訳者でもある江川卓は同書のあとがきで次のように書いている。

 

 

つまり、ほとんどが論文と、演説と、公式発言のみに限られていたスターリンの言語遺産の極度の幅の狭さ、そのロシア語の驚くべき貧しさとは対照的に、レーニンの言語遺産はロシア語としても豊かであり、とくにその厖大な書簡類には、きわめてアンチームなところに到るまで、もっとも人間的な感情の振幅が言語イメージとして表出されているということである。 しかし、何より注目されるのは、そのようなものとしてのレーニンのことばに対して、作者ソルジェニーツィンが、スターリンのときのようにことさら距離を置かず、ある場合には、自分のことばをレーニンのことばにほとんど重ね合わせてさえいることである。

 

チューリヒレーニン 』 ソルジェニーツィン / 著 江川卓 / 訳 新潮社 ( 1977 ) 訳者あとがき p.265

 

 もっとも、逆に言えば、これはソルジェニーツィンの描いたレーニンが、どこかソルジェニーツィン自身に似ているということかもしれない。そしてこのことは、かつてレーニンが亡命生活を余儀なくされたと同じ土地に、六十年後、作者自身が、立場こそちがえ、同じように追放の身の落ちつき先を見出さなければならなくなった事情によって、いっそう強められているように見える。〈 中略 〉。 ソルジェニーツィンが、おそらく無意識のうちに、自身の愛するロシアへの郷愁を《 革命家 》レーニンの心情に移し入れてしまったとしても、そのことを責めるべき根拠はどこにもない。 いや、この事情が、本来は作者の糾弾の対象であるはずのレーニンにかえって人間味を吹き込む効果を生み、作品全体にほのぼのとした暖かみとリアリティを添える結果になったのかもしれない。

 

前掲書 p.266

 

( * )

このようなレーニンへの秘かな回帰を仄めかしている映画としてアレクサンドル・ドヴジェンコの 『 Michurin ( 1948 ) 』 がある。 以下の記事の第4章を参照。

 

 

 

 

 

C. このように、新たなる政治体制の為の革命を秘かに願う手紙を世の中に届ける事がソルジェニーツィンの欲望であったとするならば、それはまさに政治家ではない人民が政治批判をし、圧制を告発するという "語り"、政治的中枢の脇に押しやられている人民の不満の "放出行為"、がソルジェニーツィンの孤高かつ頑固な作家的特質において 政治中枢領域の周縁的噴出物として文学的に昇華されている と言う事が出来るでしょう。実はこのような "人民による喧噪" こそが "政治ならざる日常的騒動" として民主主義的なものの根源に潜むものだといえる。 誰であれ政治に不満と文句を言い放つ喧騒があるという事こそが重要かつ当然なのです。

 

D. そして文学とは、政治体制が人民を支配し操作するという意味での政治空間に取り込まれず、その中で浮遊する"人民の日常" における喧噪の奔流を政治体制に対抗する "政治以前のもの" として昇華的に現わさせる事が出来るものなのです。 それは、民主主義的な政治物ではないのですが、政治に対抗する政治以前の素人人民の喧噪こそが政治を転覆させる "境界線取り"、つまり、権力政治領域を人民の方から囲い込む "非政治線効果" を生み出す ( それは文学に限らない文化一般に現れる効果だといえる )。 ソルジェニーツィンは 『 収容所群島 』 という告発作品を通じて文学の持つ潜在力、人民の喧噪による取り囲み線の力を世間に知らしめたのですね。

 

E. なのでソルジェニーツィン政治的主張 ( 宗教的なものを含めて ) を現実に転化すべき政策として文字通りに受け止めてしまっては、彼の文学の意味を見落とす羽目になる。 彼の告発作品の歴史的意義が思想的に評価される一方で ( 例えば、クロード・ルフォールの 『 余分な人間 ( 1976 ) 』 )、アンドレイ・サハロフとメドヴェージェフ兄弟によるソルジェニーツィンの政治的発言や彼の人間性を批判する身振り ( メドヴェージェフ兄弟の 『 ソルジェニーツィンとサハロフ 』 ) は、結局の所、ソルジェニーツィンという人間的卑しさに満ちた著者の支配から切り離された "テクストそれ自体が持つ強度" を十分に考える事を出来なくするゴシップ的関心にばかり行き着く事になる。

 

F. そもそもがソルジェニーツィンが そのような執念深く俗世間 ( 人間関係・金銭関係 ) に固執する人間であった からこそ、『 収容所群島 』 などの反体制的作品を書き続ける事が可能になったのだ と考えるべきであって、彼が清廉潔白なだけの人間であったならば挫折していたかもしれないのです。 反体制的であるという以前に、何としてでも生き延びる、何としてでも自分の作品を世の中に届ける、という人間的執念こそが作品を生み出したと考えるべきでしょう。 彼の政治的正義はその人間的卑しさの上に成立していた のであり、その卑しさこそが告発という政治的正義を世間に知らしめるのに必要なものだった 人間的尊厳と人間的卑小の両極に生きる作家的特質においてこそ可能になる昇華物の発生という出来事性を認める必要があります。 サハロフとメドヴェージェフ兄弟はその事が全く理解出来ていなくて、ソルジェニーツィンの身近な関係者であったからこそ彼の人間性の看過出来ない部分 ( 恐らくそれは事実なのでしょうが )  を非難したりするのは構わないのですが、それはまた彼らもソルジェニーツィンと同じ土俵上の人間的卑しさに浸っていることを認めなければ、自分を優位にしようとする単なる政治的な批判行為でしかなくなってしまう ( 少なくとも自著で真実の赤裸々な暴露をしている限りは )。

 

G. このような人間的卑小さ・俗世間根性は民衆の喧噪において日常生活で当然のように見受けられるものであり、自分の身近に様々な種類の人間がいる事は誰であれお分かりでしょう。 大切なのは、このような喧噪の中からしか生まれない政治不満があり、それにプロの政治家がはびこる権力政治領域を縁取り奪化出来るような恒常的持続性 ( これこそ文学・芸術を含めた文化なのですが ) を与える事なのです。 サハロフとメドヴェージェフ兄弟の振舞いを見ていると、彼の作品を讃えながらも最後にはソルジェニーツィンの卑しい人間性のみが彼の薄汚れた真実であるかのような論調になっていく。 まるでスターリニストが人民の中の異分子に対して人民は崇高な "共産主義的人間( ルイ・アラゴン )" であるべきだという政治倫理に基づいて批判するかのように。

 

H. 人間の不浄な部分を批判するばかりで肝心の作品の読解・解釈を深めることをしないのなら、それはショスタコーヴィチのオペラ "Lady Macbeth of Mtsensk" を観て、その不道徳性に怒り途中退出して公的批判を出したスターリンと大して変わらない。 民主主義が人民の喧噪において渦巻く "不浄性・不穏性" ( これが犯罪行為に至った場合には行政上、当然罰せられるべきだが ) を "根本的に" 非難し排除しようとするのならば、それは統率的な全体主義を無意識的に望んでいるのに他ならない事にメドヴェージェフ兄弟は気付いていない。 人間存在のどうしようもなさは時に非難されても最終的には、人間の何らかの行為自体の秘かな原動力となっている事 を人間は文化という形で残して来た ( それがアドルノが批判する文化産業という形態を採るとしても )。 その意味を精神分析的に考える必要があります。

 

I. ただし、人民の喧噪は、"そのまま" では権力政治に対する暴動 ( 最悪な場合にはテロにもなりうる ) などの攻撃的欲動の具現化としてしか現れない。デヴィッド・グレーバーは次のような事を言っている。

 

マキァヴェッリは、「 近代 」の幕開けにあって民主主義的共和国の観念を再生させた時、武装した民衆の観念に立ち返ったのである。

 こうしたことを考えるのは、「 民主主義 ( デモクラシー ) 」という言葉それ自体を説明するのにも役立つだろう。 この言葉は、それに敵対するエリート主義者たちが、中傷の意図をもって考案したもののように思われるのだ。 それが文字通りに意味するのは、人民の「 力 」、さらには「 暴力 」でさえある。 つまり、kratos ( クラトス ) であって、archos ( アルコス ) ではないのだ ( 原注:kratos は単なる強さや力、archos は正当な支配者を含意 )。 この言葉を考案したエリート主義者たちは、民主主義というものをつねに、単なる暴動や暴徒支配とそう変わらないものとみなしていた。

 

『 民主主義の非西洋的起源について 「 あいだ 」の空間の民主主義 』 デヴィッド・グレーバー / 著 片岡大右 / 訳 p.49 以文社 ( 2020 )

 

J. そしてフロイトも『 幻想の未来 ( 1927 ) 』において大衆の危険性を指摘しているのは知られている。

 

しかし教養がなく、抑圧されている大衆においては事情は異なる。 こうした人々は文化の〈 敵 〉になる十分な理由があるからだ。〈 中略 〉。 それでは大衆の文化にたいする敵意が、この文化における弱点に集中するようになる危険性はないだろうか。 大衆はここにこそ、自分たちを抑圧する支配者をみいだすからである。 愛する神が隣人を殺すことを禁じているから、そして隣人を殺せば現世でも厳しく罰せられると信じているからこそ、大衆は隣人を殺さないのである。

 その大衆が、愛する神は存在しないことを知ったならば、懸念も抱かずに隣人を殺すようになるだろう。 これを抑制しうるのは、この世の権力だけである。 だから道は二つしかない。 この危険な大衆を厳しく抑制して、精神的に覚醒させるあらゆる機会を慎重に断ち切るか、文化と宗教の関係を根本的に変革するかのどちらかなのだ ( 引用者注:この後、フロイトは宗教を強迫神経症のようなものだとし、宗教への依存からの離脱、文化を宗教的儀礼によって神聖化する事からの離脱、を人類の成長過程において必要な事だと主張する )。

 

『 幻想の未来 / 文化への不満 』 フロイト / 著 中山元 / 訳 p. 81~82 光文社古典新訳文庫 ( 2007 )

 

K. つまり、民主主義においても、支配側からすると人民の喧噪は抑圧され封じられるべき攻撃性敵対物として存在する。 これは政治体制内における内乱・内戦状態 ( カール・シュミット的な意味での ) とでも言うべきものなのですが、ここにおいてこそフロイトが言う意味での文化の精神分析的意義がある。 生にも死にも向かいうる攻撃的、いや破壊的と言うべき欲動の 自己抑制された昇華物 こそ文化に他ならない。 国家政治が国外的には戦争を仕掛け、国内的には人民の喧噪を抑圧し管理操作する ( この点においてボリシェヴィズムからスターリニズムへの移行は人民管理術の構築過程だったといえる ) という具合に、攻撃的欲動のより洗練された権力編成 ( これはミシェル・フーコーを魅了した権力構造の歴史的変移でもあるのですが ) に向かうのに対し、人民の喧噪から発生する文化は、欲動の駆動力のひとつである攻撃性を、ひとつの事物 ( das Ding ) に置き換える事によって自己抑制的昇華を成し遂げる

 

L. どれ程攻撃的であるとはいえ、政治的集団物という枠内の要素でしかない攻撃性を、人民という集合素内には限定仕切れない不安定な個人を表象する事物へ置き換える作業がこの昇華を通じて起きている。 匿名的な集団的無意識が為せる暴力欲求は、その集団的匿名性を事物という孤独に付き纏われるが故の尊厳、いわば "個人の尊厳" へと高める事によって減算化させられる。 ジャック・ラカンが 『 精神分析の倫理 』 で "物の尊厳" と言う時、この孤独・孤高の論理的特質 ( 一者という数字的存在 ) から理解すれば興味深いものとなるでしょう ( * )。

 

( * ) この点については以下の記事の第三章を参照。