〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ 『 野生の叫び 』( 1972 : directed by ケン・アナキン ) を『 さらば、愛の言葉よ 』( 2014 : directed by ゴダール ) と共に哲学的に考える〈 1 〉

 

 

映画  『 野生の叫び ( The Call of the Wild ) 』

監督  ケン・アナキン ( Ken Annakin : 1914~2009 )

公開  1972年

原作  『 野生の呼び声 ( The Call of the Wild ) 』( 1903 ) by ジャック・ロンドン ( Jack London : 1876~1913 ) 

出演  チャールトン・ヘストン ( Charlton Heston : 1923~2008 )  ジョン・ソーントン

    ミシェル・メルシエ ( Michèle Mercier : 1939~ )       カリオぺ・ローレント

    レイモンド・ハームストルフ ( Raimond Harmstorf : 1939~1998 ) ピート

 



 

 

A. ジャック・ロンドン ( 1876~1916 ) の 『 野生の呼び声 ( The Call of the Wild ) 』 ( 1903 ) はこれまでに幾度となく映画化、TV化されてきました ( 特に海外におけるTV化の多さと来たら )。 ジャック・ロンドンの原作を踏まえたものもあれば、『 野生の呼び声 』という強力なタイトル、いや強力な 言葉自体 がジャック・ロンドンの原作とは違う作品企画 ( もちろんそれらも野生の呼び声というタイトルになっている ) を誘発したものもあります。 例えば、D・W・グリフィス ( 1875~1948 )サイレント映画 『 The Call of the Wild 』 ( 1908 ) のような犬が登場しない人間中心主義の物語など。

 

B. このようなジャック・ロンドンの原作による映像化への 呼びかけ は原作内容の取扱いの変遷を少しづつ引き起こしています。 ウィリアム・ウェルマン監督 ( 1896~1975 )  の 『 Call of the Wild 』 ( 1935 ) は原作の方に寄っていくのではなく、クラーク・ゲーブル演ずるソーントンとロレッタ・ヤング演ずるクレアの人間関係の傍らに犬たちを置くという人間中心主義になっている。

 

C. しかし、 ケン・アナキン監督 ( 1914~2009 )  の 『 The Call of the Wild 』 ( 1972 ) になると変化が起こります。 原作の世界観をかなり踏襲したものになっているのですね。 人間中心ではなく、バックを中心とする動物の生き方・世界が物語の中心になっている。 以後のフォロワーに大きな影響を与えたと言っていいでしょう。ところが、2020年に公開されたクリス・サンダースの 『 The Call of the Wild 』 はディズニー系譜の作品 ( 彼は 『 ライオンキング ( 1994 ) 』 の原案や 『 リロ・アンド・スティッチ ( 2002 ) 』 の監督をしている ) ということもあってか、そのCGによる動物の人間的表情に表れているように、人間に対立せざるを得ない〈 野性的なもの 〉を限りなく人間的に飼い馴らす家族的娯楽化を徹底的に施されている。

 

D. クリス・サンダースの作品は原作における〈 野性的なもの 〉を裏切っているから駄目だというのではありません。 映画が必ずしも原作に忠実でなければならないとは僕は思いませんし、映画製作は監督の意図に依拠する創造的なものである訳ですから。 しかし、娯楽性はあっても何らかの創造性が生まれていないのなら、原作において創造性に寄与していたものが省みられずに残っているからではないか と考えるべきでしょう。

 

E. それはたんに、〈 人間的なもの 〉に対立する〈 野性的なもの 〉の暴力性をオブラートに包み、見えにくくしてしまったからだとは言えないものです。 ジャック・ロンドン、そしてケン・アナキンの真の創造性は、人間と野生の対立、あるいは人間と野生の和解、そしてよく言われる動物の擬人化、等などではなく、人間から動物を見た世界動物から人間を見た世界 を交差的に描き出す事にある といえるでしょう ( )。 両者は互いを見ているため、同じものを見ているのではありません。 ある種の意志疎通 ( ソーントンのバックへの愛情とバックのソーントンへの忠実さ ) が出来ていても、それは 双方の世界が交錯する際に発生する 〈 不可視の圏域 における出来事 なのです。 ジャック・ロンドンにおける動物の擬人化とは、動物を人間化する為ではなく、動物の主体的行動を描く為の方法に過ぎません。 それによって 動物も彼らの流儀で以って人間を見て、自分たちのイマージュ、自分たちの世界 を作っている事を示そうとしているといえるでしょう。

 

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『 野生の呼び声 ( The Call of the Wild ) 』 ( 1903 ) の 逆転的続編 である 『 白い牙 ( White Fang ) 』 ( 1906 ) を参照すれば、〈 人間的なもの 〉と〈 野性的なもの 〉の対立が表面的なものでしかなく、そのどちらかを批判あるいは称賛するようなものではない事が分かります。 『 野生の呼び声  』 において裕福な人間家庭で飼われていたバックが、アラスカの極寒において犬橇として連れていかれ、やがて野生に目覚めていくのとは対極的に 『 白い牙 』 のホワイトファング ( タイトルそのまんまの主人公の狼犬 ) は厳しい野生環境から人間の家で飼われるようになるという逆転的ストーリーになっている。

この2作品の並列的参照によって、〈 人間的なもの 〉と〈 野性的なもの 〉は、社会主義者でもあった ( ) ロンドンの文明批判・社会批判を彷彿とさせるような 対立的構造 にあるのではなく、動物が人間とは違う目線で世界を見ている、つまり、人間の眼には見えないが違う世界が別様にそこにはある事を物語る 視線の交差的構造 を示している、といえるのです。

 

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現在ではジャック・ロンドンは一般的に動物文学作家としてしか知られていないが、社会主義者としての側面も色濃く残している。 『 階級闘争 ( 1905 ) 』 や 『 革命その他の評論 ( 1905 ) 』 の著作もあり、アメリカの社会主義運動に関わっていた。ジョージ・オーウェルの 『 1948 』 にも影響を与えたとされる小説 『 鉄の踵 ( 1908 ) 』 では革命組織を描いている。

 



 

 

A. 映画の冒頭部分。 ここはバック ( 主人公の犬 ) がインディアンとの戦闘で死傷し水中に落ちたまま凍りついた主人のソーントンに会いに来た場面 ( 水中から覗くチャールトン・ヘストンの顔がちょっとした衝撃ですね )。 バックによる回想的場面となっている。野生化したバックだが、ソーントンの事を忘れられず戻るという〈 人間的なもの 〉と〈 野性的なもの 〉との振幅における情動的行動が描かれている ( 1~4 )。 この作品におけるラストの場面がこの冒頭にそのまま繋がっています。

 

 

B. 以下からは、冒頭の回想に続いてバックのそれまでの人生 ( というか犬生というべきか ) が描かれていく。 同じ犬橇隊の先頭犬のスピッツと戦い、嚙み殺してしまうバック。 野生の血が目覚め始めている。 以後、バックが先頭犬として他の犬たちを引っ張っていくことになる ( 5~8 )。

 

 

C. 他の人間に痛めつけられ傷ついたバックを介抱するソーントン ( 9~10 )。 ソーントンと生活する中で、バックは野生の狼と出会い、引き寄せられていくようになる ( 11~14 )。

 

 

D. 川の傍らで金の採取に勤しむソーントン ( 15 )。 彼は元々、クロンダイク・ゴールドラッシュ ( 1896~1899 ) でカナダのユーコンに殺到した人々の為の物資を犬橇で運ぶ仕事をしていたが、途中で一念発起して金の採掘に向かうようになった。 その様子を隠れてうかがうインディアン ( 16 )。 バックは彼らに気付くが、ソーントンは気付かない ( 17~18 )。

 

 

E. 狼と再び出会うバック。 互いに見つめ合う ( 19~21 )。ついていくと、そこには子供たちが ( 22~24 )。 狼は雌だったのであり、彼らはカップルとして描かれている。

 

 

F. ソーントンを襲うインディアン。 彼も何とか抵抗しようとするが仲間も殺され、どうする事も出来ず、這いずりながら逃げることしか出来ない ( 25~27 )。 狼の元からソーントンの危険を察知したバックが帰ってくる ( 28 )。

 

 

G. インディアンたちに対して猛烈な勢いで襲いかかり殺していくバック。 野生の血をたぎらせた凶暴性にインディアンは恐れて逃げ惑う ( 29~34 )。

 

 

H. インディアンが去った後にソーントンを探すバック ( 35~36 )。 臭いの先には、逃げようとしたソーントンが、割れた雪下の水中に落ちて凍ったまま閉じこめられて死んでいた ( 37~39 )。 主人を失った事を知ったバックは野生の世界へと帰っていく ( 40 )。 このラストは冒頭の回想シーンと繋がっている訳です〈 続く 〉。