〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ 小沼 勝の映画『 濡れた壷 』( 1976 ) について哲学的に考える 

 

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監督  小沼 勝
公開  1976年
脚本  宮下 教雄
出演  谷 ナオミ   ( 田所亜紀 / 梅子の娘 )
    藤 ひろ子   ( 田所梅子 / 亜紀の母 )
    日野道夫    ( 田所英三郎 / 梅子の夫・亜紀の父 )
    井上 博一   ( 花松 / マネキン会社の社長 )
    田中 小実昌  ( 酔っ払い )

 



 1章  日活ロマンポルノ

 

日活ロマンポルノというと、今でもある年代以上の方にとっては娯楽の対象であるのは間違いないでしょう。若い方だと、日活ロマンポルノというジャンルがあったことすら知らないかもしれません。2016年の日活ロマンポルノ リブートプロジェクトで、名の知れた園子温行定勲ら5人の監督によるロマンポルノが製作された事で、そういうジャンルがあったんだと知った若い方もいると思います。ただ、この記事では『 濡れた壷 』を日活ロマンポルノの視点から考えようというのではありません。ロマンポルノの監督には約束事さえ守れば、自由度の高い映画を作れた ( *A ) ので、興味深いシーンが出てきたりする。もちろん監督によって、その約束事に囚われたままの方もいれば、約束事に収まらない映画性を発揮する方もいる。小沼勝はその映画性を発揮した1人であったといえるでしょう ( 神代辰巳を賞賛する人が多いのは言うまでもありませんが )。彼の『 濡れた壷 』のある場面は、映画的自由度について考えた場合、これからも見られない特異なものだという事で語ってみようという訳です。ただ、その前に、谷ナオミの存在感を無視することは出来ないので次で触れておきましょう。

 

 

(A )

この点については日活ロマンポルノ公式ページを参照

 

1971年-88年の間に製作・公開された成人映画で、『 団地妻 昼下がりの情事 』( 西村昭五郎監督 / 白川和子主演 ) と、『 色暦大奥秘話 』( 林功監督 / 小川節子主演 ) が第一作。わずか17年の間に約1,100本公開された。
一定のルール(「10分に1回絡みのシーンを作る、上映時間は70分程度」など )さえ守れば比較的自由に映画を作ることができたため、クリエイターたちは限られた製作費の中で新しい映画作りを模索。そして、キネマ旬報ベスト・テン日本アカデミー賞に選出される作品や監督も生まれた。

 

日活ロマンポルノとは|日活ロマンポルノ公式サイト

 



 2章  小沼勝谷ナオミ

 

本作品の主演である谷ナオミ今でも一部の方の間では根強い人気があって監督たちには興味はないけど谷ナオミは好きだという人は多いでしょう監督の小沼自身も谷ナオミの存在感には一目置いている『 濡れた壷 』での撮影中の彼女についてこう言っています。 

 

 ところが …… トップシーンがタイトルバックで、ビルの屋上から望遠レンズで馬券売り場を入れ込み、陸橋を下ってくナオミの登場しただけでもうドラマくさいドラマ ( 虚構の世界 ) がいきなり展開したのだ。ロングで見ても足さばきが『 緋牡丹博徒 お竜山上 』の藤純子になっていると感じ、出来るだけ素人らしさを意識してもらって本番を撮った。 やはり、谷ナオミの存在は美学そのもので、生々しく演じることは出来ないのだ。吉永小百合が生身の女を演じられないのと似ていると言えるか?  

 

わが人生 わが日活ロマンポルノ 』小沼 勝 国書刊行会 p.135

 『 濡れた壷 』の撮影中だったが、谷ナオミのセックス演技に微妙なわななきや、しなやかさがもう少し欲しいということで、小沼の自宅で基本の練習をすることになった。無論、助監督にも来てもらったが、「 日劇ミュージックホール 」の舞台稽古とかけもちで疲れ切っていたナオミは、腰をふるわせる練習を何度も繰り返すうちに、死んだように眠ってしまった。その可愛い寝顔を見ながら、ナオミは私生活では幸せをつかみづらい女ではないだろうかとフト思ったものだ。虚構 ( ロマン ) に生きる女、谷ナオミ。そういう俺もまた映画という虚構 ( ロマン ) にしか生きられない男なんだ …… 。

 

 『 わが人生 わが日活ロマンポルノ 』小沼 勝 国書刊行会 p.145

 ナオミは、引退記念映画となった『 団鬼六 縄と肌 』( 西村昭五郎監督、79年 ) 公開中に結婚のため映画界を去った。にっかつ ( 当時、日活は社名を変更した ) にとって相当の損失だし、自分にとっても惜しい女優を失うことになった。ロマンポルノのヒットは企画によるものが多く、ナオミのようにSMという括りの中でヒットを続けたスターは他には居ない。

 生傷の絶える間もなくその肉体で奉仕し続け、大勢の男たちに夢を与えたクイーンに心からの賛辞とねぎらいの言葉を捧げたい。

 

『 わが人生 わが日活ロマンポルノ 』小沼 勝 国書刊行会 p.146

 



 3章  マネキンと谷ナオミ

 

そんな谷ナオミが、いや、谷ナオミ演じる亜紀が、マネキン会社を経営する花松 ( 井上博一 ) の元に、父親の借金を返すために来るのですが、もちろん、その設定は、裸のマネキンが、性的本性を隠した彼女の正体を象徴しているというもの。だからこそ、花松がマネキンを愛撫する事によって亜紀は間接的に感じだすという訳です。

 

" あんた、そんなことでわざわざやってきたのかね? " by 花松

" どういう意味? " by 亜紀

" 本当は俺に会いたくてやってきたんじゃないのかい? " by 花松 

 

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" 伺うけど、どうすればそんなに御自分に自信が持てるようになるのかしら? ( 2. ) " by 亜紀

" 早く言えば、女なんてみんなここにあるマネキンと同じだと思う事かな ( 3. ) " by 花松

" 女は個性も何もない人形ってわけね ( 4. ) " by 亜紀

" そうじゃない  ( 4. ) " by 花松

" ここにいるマネキンは違う。ご覧の通り、生まれたままの姿だからね ( 5. ) " by 花松

 

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" 後に残るのは女として生まれついた自分の肉体だけだ 。こうなると女なんて正直なもんさ。どの女も俺にささやくことはひとつだけでね ( 6. ) " by 花松

" ひとつって?( 7. )" by 亜紀

" やりたい ( 10. )" by 花松

 

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 " どうやら、やっと燃えてきたようだな ( 13. ) " by 花松

 

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これらの場面は、マネキンを媒介にした亜紀と花松の前戯を描いているといえるのですが、谷ナオミの存在感が際立つために、ロマンポルノ的世界とは別の、シュールレアリスム的世界が展開されているともいえる。マネキンの造形美と着物姿の谷ナオミのたたずまいが互いに拮抗するかのような異界が発生している のです。

 

性的次元では、マネキンと谷ナオミは、観客の欲望を刺激するかのように互いに結びついているのですが、存在の次元では、マネキンの造形美に取り込まれずに、人間という猥雑なものが示す美、つまり、哲学的に言うところの "崇高" を醸し出している とさえいえますね。

 

通常であれば、人間はマネキンの造形美に対抗しきれずに取り込まれてしまう。例えば、アラン・ロブ=グリエ ( 1922~2008 ) の映画『 快楽の漸進的横滑り ( 1974 ) 』は人間の死体にとって代わるマネキンが登場することで有名ですね ( *B )。ここで、なぜ、フランス映画なのと言うかもしれませんが、先に引いた小沼の著書『 わが人生 わが日活ロマンポルノ 』を読んだ方なら、彼がフランス映画の造詣が深い事を知っていて、さして奇異に思わないでしょう ( *C )。

 

 

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そこでは、アラン・ロブ=グリエの世界観を特徴づける人間と物との乖離において、物の世界へと傾斜してゆく欲望の流れが描写されている事を考えれば、物の世界へと流されてゆかない谷ナオミの存在感が際立っている事が分かるはず。そのような彼女の存在感と小沼の演出によって特異なマネキンのシーンが偶然生まれたのですね〈 終 〉。

 

 

( *B )

アラン・ロブ=グリエの映画『 快楽の漸進的横滑り 』については以下の記事を参照。

 

 

( *C )

例えば、小沼は言っている。

 

 自分にとっては何と言ってもゴダールの『 勝手にしやがれ 』、この映画でのジーン・セバーグの役割は極めて大きい。

 映画もヒットした。観たのは学生の頃だが、映画を楽しむことから考えるようになった時期でもあって、この映画を卒論に選んだ。ビデオやDVDも無い時代、映画館に何度も通って、字幕からカット割りなど全て鉛筆で写し取った。

 

『 わが人生 わが日活ロマンポルノ 』小沼 勝 国書刊行会 p.245