〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ヤコペッティの『 大残酷 ( 1975 ) 』をヴォルテールの『 カンディード ( 1759 ) 』と共に哲学的に考える〈 3 〉

 

 

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 上記 ( 前回 ) の記事からの続き

 

 

 

シークエンス 18.  アメリカにやって来たカンディード

 

クネゴンダと再会したのも束の間連れ去られたクネゴンダを追ってカンディードは元黒人奴隷のカカンボ ( 原作ではスペイン系の従僕 ) と共にアメリカにやって来るアメリカといっても現在のアメリカになっていてそこにカンディードやカカンボがコロンブスリンカーンなどの過去の人物達と共に現れます

 

このアメリカ編からヤコペッティの脚色が強くなります原作には無いこの過去から現在への時間の変化 はこの映画を考える上で大切なポイントでしょうというのもヤコペッティは最初に原作のカンディードありきで構想を練り始めるような文芸愛好家ではなく彼の出自であるモンド映画の監督である事を考慮するなら始めにありきなのは彼の出自であるモンド映画の撮影記録の無意識的地層だといえる からです

 

世界各地を対象とした撮影はたとえ擬似ドキュメントだったとはいえ事物の記録の積重ねが彼の中に 事物の記録の経験者 としての自分をひとつの 主体 としてつまり 何事かを経験する者という経験論的視点 を獲得させたと言う事は出来るでしょう

 

その彼が世界各地での経験という視点をヴォルテールの原作の中に見出し原作の主人公であるカンディード経験する主体 である事を理解したとき静かな哲学的興奮を覚えたに違いありませんつまり、『 大残酷 』とはヴォルテールの『 カンディード 』を自らの事物の記録という経験に接続する試みでありそれは 過去から未来への時間移動は予め考え込まれたSF的設定ではなくヴォルテールを自らの方に接続しようとする試みの軌跡のひとつとして現れた時間軸であるというのが『 大残酷 』の哲学的真理だといえるでしょう

 

"これこそ あり得べき最善の世界です"  by  なぜかパングロスがディレクターを務めるTV中継

 

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シークエンス 19.  再会して互いに喜ぶカンディードとパングロ

 

"でも 絞首台で・・・"  by 生きているパングロスを不思議に思うカンディード

"私を吊り損ねたんだ"  by 説明するディレクターのパングロス 

 

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シークエンス 20.

 

カンディードからクネゴンダを探していると聞いたパングロスはTVを使ってアピールするように言うさすがディレクター力を持っていますその直後あり得べき最高の絶頂と紹介されているクネゴンダのショーの宣伝カーを見つけてカンディードは激怒する

 

"何しに来たんだ"  by カンディードに聞くパングロス 

 

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シークエンス 21.

 

ポスターにクネゴンダと一緒に描かれた男 ( アッティラですけど、彼の仲間がクネゴンダが連れ去る時に、彼はカンディードと戦って失神させられて置き去りになったはずなのですが・・・まあ、いっか ) が彼女をたぶらかしたとして怒っているカンディードに対してパングロスは言う

 

"彼に怒ってもムダだぞ"  "彼はギターの弦で首を吊った"  by パングロス

"クネゴンダはどこです?"  by カンディード

"アイルランド"

"プロテスタントと戦う彼女はカトリックの坊主と行った"  by パングロス

 

おいおいクネゴンダの行き先を知っているのならなぜカンディードにTVでアピールさせたんだ!ってツッコミたくなるがそれは野暮というもの気にしないようにしましょう

 

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シークエンス 22.

 

舞台はアイルランドアイルランド北部6州が北アイルランドとしてイギリスの一部である事に不満を抱くIRA ( アイルランド共和軍 ) がアイルランド統一のためイギリス勢力に対する武装闘争を掲げてテロを繰り返していた1970~1990年代はIRA内部でも一般的支持を得られないテロに代わる政治的交渉の声も起きたがより純粋な武装闘争を唱えるIRA暫定派が台頭しイギリス本土への爆弾テロなども仕掛けテロリズム を強めていた ( *11 )アイルランドになぜか現れたパングロス率いるTVクルー

 

"キリスト教の平和な理想が起こす現実  ( *12 )"

"小さな不幸は多数の善を生みます"  by パングロス 

 

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( *11 )

現在の状況に関して言うなら1998年に労働党トニー・ブレア政権下でIRAとの和平合意 ( ベルファスト合意 ) が成立したこの後アイルランド国民投票によって北部6州の領有権主張を放棄した2005年にはIRA武装闘争終結を宣言している

 

( *12 )

それにしても宗教闘争それ自体は全く宗教的ではない といえますねどのような宗教であれその第一原理が誰かとの争いを勧めるものではないのだからでは外部の誰かとの闘争という原理はどこから発生するのか? それが宗教それ自体からではないのなら?

 

答えは宗教の内実それ自体からではないが宗教という名のイデオロギーから といえます宗教に従属する内部の人にとってはそれは恩寵や信仰といった内実のあるものだがそこに従属しない外部の人に対してはイデオロギー的なものになる言い換えると宗教に従属する人に対しては教義であるものが従属しない外部の人に対しては闘争を仕掛けるイデオロギーに変質する という事ですねもちろんこの事は宗教だけでなく科学や経済政治哲学などについてもいえます

 

このようにイデオロギーとは闘争的なものなのですがそのような用語を聞くと古くさいマルクス主義を思い浮かべるかもしれませんがマルクス以前に宗教にイデオロギー闘争を持ち込む事に成功した人こそ少し前に触れた カルヴァン に他なりませんカルヴァン主義がヨーロッパで勢力を持ちえたのもその教義のみだけではなくイデオロギー闘争の側面があった事は否定出来ないでしょう

 

 

 

シークエンス 23.

 

アイルランドの内戦で廃墟と化した教会に足を踏み入れるカンディードとカカンボそこにはアメリカからクネゴンダを連れて来た異端審問官がいたいや今さら異端審問官っていうのもどうしたものかただのおじさんにしか見えない ( )クネゴンダは既にそこにはいなかった裏切られたと感じている異端審問官は怒りのあまりカンディードたちに機関銃を撃ちまくる

 

"彼女はユダヤ人と聖地へ逃げた!"  by 異端審問官 

 

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シークエンス 24.

 

エルサレムに来てクネゴンダを探すカンディードとカカンボ壁に貼られた兵士募集のポスターのモデルがクネゴンダなのに誰も彼女の事を知らないという何人にも聞いて回り愚直にクネゴンダを探すカンディードに対してカカンボはシャワーを浴びる女性兵士に色仕掛けで迫るという驚きの行為 ( そんなキャラだっけ?) で彼女が敵側であるアラブゲリラの所にいる事を聞きだすアラブゲリラという事はイスラエルと対立するアラブ諸国側の兵士なのでしょうがエルサレムという場所を考慮するならパレスチナゲリラというのが正確な所でしょう

 

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シークエンス 25.

 

おそらく撮影当時は第4次中東戦争 ( 1973年 ) 前後ですが ( さすがに撮影場所は違うと思うけど )イムリーで緊張感のある戦争を映画の素材の一部 ( 先に述べたアイルランド紛争を含めて ) として自分の色に染め上げてしまうヤコペッティ世界各地における紛争・戦争が人間にとっての〈 最悪の出来事 〉であるがゆえ映画の中で描く必要のある〈 経験 〉だと直感的に理解していた といえますね

 

以下の赤い花が咲き誇る中でのイスラエル女性兵士とパレスチナゲリラの戦闘は争いの中でも静かに佇むしかない花との対比において人間存在が 最後に行き着く経験つまり ( 赤い花畑の中に横たわるイスラエル兵とゲリラ兵の死体 ) を刹那的に描いている

 

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 以下 ( 次回 ) の記事に続く

 

 



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