上記 ( 前回 ) の記事からの続き。
シークエンス 11. イラストボードと化した軍隊
ブルガリア ( *5 ) で軍隊に無理矢理入れさせられたカンディードだが、彼が本格的に参加する前に、ブルガリア軍は国籍不明の敵国 ( *6 ) に大敗してしまう。そんな事よりも昔風のブルガリア兵と現代的な軍隊とのコントラストが凄すぎる! しかもブルガリア兵は敵国との戦力の違いからか全員固まってしまいイラストのボードになってしまうというシュールな展開に。かなり手の込んだ事をしているが、敵国の火炎放射器に対して生身の人間では危険すぎるという撮影時の配慮も織込み済みのウケ狙いなのでしょうか ( 笑 )。
( *5 )
原作が書かれた当時 ( 1759年 ) には、ブルガリアは国としては存在していない。以前に存在していた第2次ブルガリア帝国 ( 1185~1396 ) は十字軍として参加した1402年のアンカラの戦いでバヤズィト1世率いるオスマン帝国に敗れ、オスマン帝国が露土戦争 ( 1877~1878年 ) で敗れるまで、その支配下にあった。
( *6 )
原作では敵国はアバリアとなっているが、これは架空のもの。( *5 ) で触れたブルガリアも当時、国として存在しない事と合わせて考えると、ブルガリアはヴォルテールが滞在した事のあるプロイセン ( ヴォルテールはプロイセン国王のフリードリヒ2世と交流があった ) であり、戦争はイギリスの支援を受けたプロイセン対オーストリア・ロシア・フランスなどとの7年戦争をモデルにしているという見方が出来る。
シークエンス 12. 再会
戦死者が横たわる廃墟で再会するカンディードとパングロス 。彼はクネゴンダは犯され殺されたという残念な報告をする。これに対してカンディードは、それらの原因が 憎しみ ではないかと言う。
シークエンス 13. 梅毒とアメリカ
しかし最善説の信奉者パングロスは、最善説を否定しかねないその意見を否定し、原因を 恋 というトンデモ説を展開する。
"梅毒がなければ私達はアメリカを手に入れておらん"
"アメリカ ( *7 ) なしにポテトもトマトも口紅もなかった" by パングロス
これだけではよく意味が分からないのですが、要は自分に梅毒をもたらした経路 ( パングロス自身に梅毒を移したのは、冒頭で性行為をした侍女のパケット。リンゴを採っていた女性 ) の元は、コロンブスの船の水夫であり、彼らがアメリカを発見してくれた恩恵にくらべれば今の状況はなんて事はない、という事でしょうか・・・何という無茶苦茶な理屈! 仮にアメリカ発見が最善な事だとしても、その恩恵に与るために不幸があるのだというパングロス的理屈に納得する人は変わり者でしょう。
( *7 )
ちなみに原作ではアメリカは国という概念では出てこない ( 南米大陸の都市の記述はあるので、南北という括りではアメリカという大陸は登場する )。トマス・ジェファーソン ( Thomas Jefferson / 1743~1826 ) によって アメリカ合衆国 の言葉が加えられたアメリカ独立宣言は1776年。ヴォルテールの死の約2年前だから当然といえば当然。ヨーロッパ諸国からするとアメリカは植民地でしかなかった。
アメリカという言葉自体は、ドイツの地理学者 マルティン・ヴァルトゼーミュラー ( Martin Waldseemüller / 1470頃~ 1520 ) がフィレンツェの探検家 アメリゴ・ヴェスプッチ ( Amerigo Vespucci / 1454~1512 ) に因んで、世界地図 ( 1507年 ) でコロンブスの発見した新大陸にアメリカという言葉を用いた事による。ただし、これは南米大陸に書き込まれたものであり、大陸全体は一般的にインディアスと呼ばれていた。そのような漠然とした南北大陸について、北アメリカと南アメリカという別々の記載を行った ( 1538年 ) のが社会科の授業で習う有名なメルカトル図法の ゲラルドゥス・メルカトル ( Gerardus Mercator / 1512~1594 ) ですね、あくまでも地理学的な視点から見た場合ですが。このような経緯の中、南北大陸をアメリカ大陸とする一般的な見方が徐々に定着していきます。
シークエンス 14. 罪と自由
その廃墟に突然現れた異端審問官が問う。
"すべてが最善であると信じるのであれば、罪も罰もない事になろう" by パングロスを問い質す異端審問官
それに対してパングロスは "罪と罰は、この世が最善であるための必然" だと言う。異端審問官は "必然であれば、自由を信じていないのか" ( *8 ) とさらに問い質す。パングロスは自由は必然と両立すると言うが、さえぎられ罰を宣告される。ちなみに原作では、この場面は大地震発生直後のリスボン。現実に1755年にはリスボンの大地震が起きており、津波・火災を含めて死者が4~6万人といわれ、リスボンの町は廃墟と化したという。これに強く影響を受けたのが、ここで取り上げている『 カンディード 』の作者である啓蒙思想家のヴォルテール。この後、ヴォルテールは『 リスボン大震災に寄せる詩 ( 1756年 ) 』を書き、最善説の無力を示している ( *9 )。
( *8 )
この質問から、異端審問官がカトリックである事が分かりますね。これは 自由意志 の教義問答だともいえます。周知の通り、カトリックは自由意志を認めているが、自由意志を認めないカルヴァン派などを異端としている。
一見すると自由意志を認めないカルヴァン派は救いがなく身も蓋もないように思えますが、そうとはいえません。というのも世界史の授業で習うように、マルティン・ルターが免罪符を大量販売する教会を批判したように、当時は教会の腐敗が問題となっていた。このような腐敗の原因のひとつとして自由意志を認める教義があるからだと解釈出来る余地はあるのです。
つまり、贖罪に向かおうとする人々の自由意志を、罪の軽減によって教会の腐敗的権力が利用するのであれば、本来、人間がコントロール出来ない罪を教義的に正す必要があるとカルヴァンが考えたのは当然の事だと言えます。自由意志の否定、予定説、全的堕落などのカルヴァン主義の特徴が、人間的なものの介入を許さないように見えるのは、教会権力への政治的対抗措置の理論的帰結としての側面も備えている 事を見逃すべきではないでしょう。
( *9 )
『 リスボン大震災に寄せる詩 』の副題は "あるいは「すべては善である」という公理の検討 " となっている。悲惨な現実を語ったその詩の中で、ヴォルテールはライプニッツに言及する。
ライプニッツは、私にまったく何も教えてくれない
存在しうる世界のうち、最高に整っているこの世界で
底なしの無秩序、不幸の混沌が、多くの苦とわずかな快を
つなげている、その見えざる結び目について教えてくれない
罪のない者がどうして罪人と並んで、いやおうなしに
苦しまなければならないのか、かれは教えてくれない
どうしてすべてうまくいく、というのか、私にはわからない
とはいえヴォルテールの言葉で以って、現実を省みないライプニッツの哲学が価値の無いものだと感情論的に判断するべきではない、と付け加えておかなければ公平ではないでしょう。ヴォルテール自身も上記の詩の後に次のように付け加えている。
"いやはや、私もそこらの学者と並んで、まったくの無知なのだ"
シークエンス 15. 尻を叩かれるカンディード
異端審問により罰を受けるカンディード。尻叩きの刑 ( 笑 ) 。パングロスは絞首刑だったが、死に切れずに生きていた事が後で分かる。その他にも処刑を受ける白塗りの魔女たちなどが登場し、黒服の男たちによつて音楽が演奏される状況は、非日常的で奇妙な世界となっている。そして尻叩きの刑を受けるカンディードを見つけてクネゴンダは驚く。彼女は生きていた、4人の男たちと関係を持ちながら。
シークエンス16. 生きていたクネゴンダ
カンディードが追放された後、城で襲われた時の真相を語るクネゴンダ。
"悪魔に殺されたって・・・"
"犯されただけよ" by クネゴンダ
説明を続けるクネゴンダ。
"裁縫をしながらあなたを思っていた"
"乱暴な男が部屋に来たの" by クネゴンダ
レコードやギターが無造作に散らばっている様子 ( 彼女にそんな趣味があったとは予想外・・・ヤコペッティの趣味なの?) は、とても裁縫していたように思えないのですが・・・。しかも乱暴な男が来たと言うわりには、顔が見えないはずの甲冑姿の男がギターを持っているだけで好きなミュージシャンのアッティラ ( *10 ) だと決め付けて興奮するクネゴンダ。自分から飛びつくとは能天気すぎる。尻軽なキャラになってます ( 笑 )。
( *10 )
ミュージシャンのアッティラ…… 誰かに由来しているのかなと思いましたが、おそらくはソロデビュー ( 1972年 ) 以前の ビリー・ジョエル が、前のバンド The Hussles でドラマーだったジョン・スモールと作ったバンド Attila からインスピレーションを得ているのかも。1970年にアルバム『 アッティラ ( 邦題:フン族の大王アッティラ ) 』を1枚リリースしたのみで活動を終えましたが ( 売れなかったようなので )、そのサイケデリックなへヴィサウンドでビリーがシャウトする楽曲 ( 特に1970年代のハードロックバンドで多用されたオルガンの歪みが特徴的 ) は、今の彼からは遥か彼方の宇宙ほどにかけ離れ過ぎている ( 笑 ) ので戸惑うファンも多いでしょう。でも現在のへヴィロック好きのファンからしたら、お気に入りの作品になるくらい魅力的だといえます。
この時は、ソロデビュー前で名義もウィリアム・マーティン・ジョエルのようなので、ヤコペッティもビリーについては知らなくて、その攻撃的なサウンドとバンド名が頭の片隅に残っていたという所ではないでしょうか。
以下 ( 次回 ) の記事に続く。
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