◆ 僕を哲学的に考えさせるサミュエル・ベケット

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アイルランド出身、フランスの劇作家・小説家のサミュエル・ベケット(1906~1989)。不条理劇「ゴドーを待ちながら」は余りにも有名で、今でも世界各地で公演されことがありますね。その彼の小説三部作「モロイ」・「マロウンは死ぬ」・「名づけえぬもの」の中でもオススメなのが第三部の「名づけえぬもの」です。

 

 

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【 絶え間ないおしゃべり・・・】

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f:id:mythink:20160509082159j:plain 言葉を話す・・・。でも誰が話すのでしょう?私でしょうか?だが言葉を話している最中は、私はどこにいるのでしょう?言葉の外ですか?言葉の外から、私は言葉をコントロールするのですか?いやいや、そもそも言葉がなければ"私"と呼べるものはないでしょう。"私"とは言葉の中にいるのですでは・・・言葉の外側にいる"もの"は"私"でなければ一体何でしょうしかもそれは、自分を人間的存在であると思い込んで言葉を話しているのです。しかし、話せば話すほど、"私"は言葉の中に入り込み、言葉の外にいる"もの"から離れていくのです

 

f:id:mythink:20160509082159j:plain では実際、私達はどちらなのでしょうか?もちろん言葉の外側にいる"もの"、つまりベケットの言うところのワーム(蛆虫)であり、"私"なのではありません。正確にいうなら、ワームが自分を"私"と称して人間であると思い込んでいるのです。そんなふうに人間だと思わせているのは、"言葉"の、"おしゃべり"の力によるものなのです。

 

f:id:mythink:20160509082159j:plain この真実に気付かずに大部分の人は一生を終えるのかもしれません。この真実を気付かせてくれるのは、言葉であり、おしゃべりであるのですが、普通にしゃべっているだけでは、そうはなりません。ベケットのように、途切れることなく、あらゆる隙間に入り込むような言葉の錯綜的な使用法によって、言葉がどうしても喚起してしまうイメージを断ち切る必要があるのです。"私"のイメージすら断ち切り消滅させてしまうのです。

 

f:id:mythink:20160509082159j:plain おしゃべりの最中、そこには言葉を話す"私"の代わりに"ワーム"がいます。そこでは、私達ワームが言葉によって貫かれ横断される経験が起こっている。そしてそこはイメージのない無であり、私もいないのであり、おしゃべりの声だけが響き渡っているのです。「名づけえぬもの」はそのような状況が極限化された作品であり、三部作の頂点に立つものです。

 

 

『・・・、続けなくちゃいけない、おれには続けられない、続けなくちゃいけない、だから続けよう、言葉を言わなくちゃいけない、言葉があるかぎりは、言わなくちゃいけない、・・・』

 

 

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