〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ スタンリー・キューブリックの映画『 アイズ ワイド シャット 』( 1999 )を哲学的に考える〈 3 〉

 

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 上記 ( 前回 ) の記事からの続き。

 

 



  7章  キューブリックにおける〈 夢 〉の意味

 

キューブリックが描き出した夫婦関係の非対称性とは、男が女に精神的に服従するというものでした。それによって男は〈 夫 〉という主体になり、女は〈 妻 〉という主体になるのですが、これは女から見ればハッピーエンドでも、男からすると悲劇だという2つの劇のありえない等号化 "喜劇悲劇" を背景にしていると考えてみましょう。この映画を見終わって釈然としないモヤッとしたものは、女の喜びと男の悲しみが等号化されているところ ( どう反応していいか分からない ) にあります。

 

ここで思い出されるのは、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンギリシャ悲劇に関して述べた『 最初に悲劇があり次に喜劇が生まれる 』というものです。これは最初の出来事がどう理解していいか分からないが故に、深刻に文字通り受け止められた後、次には、その最初の出来事に理解や解釈が加えられ、別の仕方でアレゴリー的に再現されると考えられるものです。

 

最初の出来事とは、悲劇であり、これはビルにとっての館での異様な経験としての〈 夢 〉です。そして次に来るのは、ビルのアリスに対する自身の欲望の告白と表面的な仲直りです ( 注意すべきは喜劇とはたんなるハッピーエンドではなく、むしろ皮肉を含んだものである事です )。しかし …… ベンヤミンに倣うならば、最初の出来事である〈 夢 〉は、装いを変えて再演されるはず。とするなら、ラストにおけるビルとアリスのやりとりは夢から醒めた後の出来事ではなく、最初のの 違うヴァージョン でしかない という事になりますね。

 

ここでは〈 夢 〉こそが、悲劇と喜劇の舞台であり、その両方を繋ぐものとして機能している。〈 夢 〉は醒めずに続く、それも〈 悪夢 〉として。先程、3章でキューブリックは思った以上に原作に忠実だと述べましたが、それどころか、彼はシュニッツラー以上に、シュニッツラー的であるといえるのです。〈 悪夢 〉に忠実であるという意味で。原作であるシュニッツラーの『 夢小説 』とはドイツ語で『 Traumnovelle 』なのですが、彼がフロイトと知り合いだった事を考慮すると、ここにはフロイトが一般的な〈 夢 〉というドイツ語を精神分析概念 trauma悪夢 〉 にまで高めた軌跡が続いていると解釈する事も出来るでしょう。

 

だから、キューブリックはラストの一連シークエンス ( 69~84. ) において、アリスに〈 夢 〉や〈 目覚め 〉について語らせているのですね ( ほとんどの人は見過ごしていると思いますが )。

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ここでのポイントは、ビルを精神的に服従させたアリスでさえ、自分たちが夢の中にいるのか、夢から醒めて現実にいるのか分からないと迷っている事です。その願望が "目覚めていたい" というセリフに表れています ( 79. )。これに対してビルは安直に "永遠に" と言う ( 80. )。

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ビルの言葉をアリスは、"その言葉は嫌いよ。怖くなるの" と言って否定する。この意味は、目覚めていればいいのだけど、もし目覚めていないとするならば、それが永遠に続くから恐ろしいという事ですね。アリスはビルを屈服させたのだからそれでいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。

 

しかし、それは違います。アリスは一見、ビルの優位にたっているかのように見えますが、アリスだけでなく、ビルでさえも、この〈 悪夢 〉を産み出した 〈 欲望 〉の主人になる事は出来ないのです。1章で述べたように、人間は〈 欲望 〉をコントロールすることは不可能なのです、構造的に。欲望の源流である欲動 ( リビドー ) は個人の中に収まる静かなものではありません。それは個人の領域を越えて、人間関係の中で転移を繰り返し、人間集団に拡がっていく獰猛なものなのです。人間主体は、このリビドーの激流に呑み込まれ、〈 悪夢 〉に溺れる生き物でしかない という事なのですね。まさに、ここに 人間の狂気の故郷がある のであり、キューブリックはそれを描き出そうとしたといえるでしょう。

 

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以上の考察を踏まえれば、この映画のタイトル『 Eyes Wide Shut 』の意味が見えてきますね。英語に明るい人なら、これが "Eyes Wide Open" ( しっかりと見ろ ) という警句の言葉遊びであるのは分かると思いますが、それでも "Eyes Wide Shut" ( 目を閉じていろ ) というのが何に対してそう言っているのか分からないでしょう。答えは、いうまでもなく、この映画で描かれる人間の真実、〈 悪夢 〉です。これは〈 悪夢 〉なのだから見るなと言っている訳ですね。

 

もちろん、これはキューブリックのブラックジョークであり、本気で見るなと言っているのではないのは分かりますね。この悪夢に気付け、というのが本当のメッセージなのですから。それにしても、この内容を直接示さないタイトルが最後の作品に付けられたのは意味深です。というのも受け止めようによっては、キューブリックの作品すべてが〈 悪夢 〉といえるのですから。そのような暗示をキューブリックが考えていたかどうかは分かりませんが …… 〈 終 〉。