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Life Without " Thinking " ・・・ Is Boring!

〈 思考する事 〉の無い人生なんて・・・退屈。〈思考する事〉・・・自分自身への教育。

◆ 僕を哲学的に考えさせる映画〈 ヒメアノ~ル 〉

■ CINEMA【サスペンス】

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公開:2016年  監督:吉田恵輔  脚本:吉田恵輔  原作:古谷実

出演:森田剛 (森田正一)  :佐津川愛美 (阿部ユカ)

  :濱田岳 (岡田進)   :ムロツヨシ (安藤勇次)

 

 

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オープニングクレジットが上映開始から43分後に出てくるという効果的な演出が凝っている〈ヒメアノ~ル〉。もちろんこれは、それまでコメディー的要素のあった前半の物語が、岡田進(濱田岳)と阿部ユカ(佐津川愛美)が結ばれている事を知った(部屋の外の森田にまで、行為中の声が聞こえている)森田が明確に岡田を殺そうと決めたのをきっかけとして殺人行為が満載になる後半へと切り替わっていく事を示していますね。

観る人によっては、森田正一の感情の壊れた殺しっぷりについていけないかもしれませんが(もしそうなら、そう思わせるだけ森田剛の演技が凄まじかったという事ですね)、この映画について哲学的に考えていく事にしましょう。

 

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1. 〈衝動〉によって結びつく〈性行為〉と〈殺人行為〉

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f:id:mythink:20170122214855j:plain この映画の最大の見せ場は、岡田と阿部による〈性行為〉と森田による和草浩介(駒木根隆介)と婚約者の久美子(山田真歩)に対する〈殺人行為〉が細かく交互に映し出されるシークエンスだといえるでしょう。もちろん、このふたつの〈行為〉は別々の場所で起きているのですが、ふたつの行為が交互に映し出される事によって、まるで〈繋がり〉があるかのように見せていますね。人によっては、このシークエンスを二つの行為の〈並列〉だという見方をするかもしれませんが、それでは、観る人の性的快楽を交差的に刺激するエロチックなものという帰結以上のものをそこから引き出すのは難しいでしょう。

 

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f:id:mythink:20170122214855j:plain では、どのような意味で繋がっているといえるのでしょう?監督の吉田恵輔は「日常と非日常、コメディとサスペンスが融合する映画のキーとなるシーン」と言っています(※1)〈繋がり〉どころか〈融合〉と言っている所が興味深いですね。〈繋がり〉であれば、ふたつの〈行為〉は各々の形式を保ちながら、接続されるという所なのでしょうが、〈融合〉とは、各々が自らの形式を捨て相互に浸透していくというイメージになるでしょう。

 

f:id:mythink:20170122214855j:plain とはいえ、ふたつの〈行為〉は、表面的には違う行為なのだから、〈融合〉とはどのような位相でそうなるのか考える必要がありますね。そのためには精神分析でいう所の衝動(欲動)の概念を参考にしましょう。〈性行為〉における〈衝動〉も〈殺人行為〉における〈衝動〉も両方とも、最終的には身体における局部的な性器という器官において得られるオーガスムによって〈性的快楽〉へと転化してしまっているのです(※2)

 

 

f:id:mythink:20170122214855j:plain そしてこの性的快楽以前の〈衝動〉の位相においてこそ、未だ区別も分化も知らない無差別的なものとしての〈衝動〉がカオス的に在るという意味で〈融合〉が可能になると言えるでしょう。つまり、〈性行為〉と〈殺人行為〉は社会性や日常性という視点では別物であっても、哲学的、あるいは精神分析的には、快楽以前の人間存在の原初の〈衝動〉という意味では共通しているのです。監督の吉田恵輔は、おそらく無意識的でしょうが、その事をこの映画で暴き出していると言えるでしょう。なのでこの映画は、一見すると倫理的に耐え難いように思えるかもしれないけど、実際には、人間という生物の原初の〈衝動〉を扱った存在論的な映画だと考えられるのです。

 

 

2. この映画の無意識性・・・

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f:id:mythink:20170122214855j:plain この映画での森田正一の犯行の原因が学生時代の強烈なイジメにあるという描かれ方は原作の漫画とは違う、という指摘が見られる事がありますね。漫画の森田はそれこそ外部の原因に関係なく自分の異常性に気付く点が彼の怪物性を際立てたせています。しかし、ある意味で人間を超えた〈衝動〉という無差別性の概念をここで導入するならば、犯行の動機を外部に求めようが自分に求めようが、犯行の残酷性という点からすると、彼が自分の中に抱え込んでいた〈衝動〉の獰猛さについては変わりないのではないかと考えられますね。仮に森田の殺人行為の動機がイジメであったとしても、彼は既にイジメの報復以上の行為を犯している訳であり、それどころか殺人行為そのものに快楽を覚えているという点からすると、イジメというトラウマは自らの殺人行為を正当化するために森田の中で保持されているアリバイに過ぎないというべきでしょう。

 

f:id:mythink:20170122214855j:plain つまり、殺人行為を平然と為す森田に対して、アリバイになるような原因を提供する構成というのは、無意識的に彼に感情移入し過ぎているのです、あるいは感情移入させるような無意識的操作になっている。森田剛に周囲を突き放すような無感情的で驚くべき演技をさせておきながら、最終的には観客に彼に感情移入させるような構成は無意識的であれ、この監督の計算高さと同時に力技を示していると言えるでしょう。

 

 

f:id:mythink:20170122214855j:plain 岡田を連れて逃げる森田( 18.19.)。車で逃走中に犬を避けようとして電柱に激突してしまう( 20.21.22.)。この衝撃で森田は、岡田とゲームなどをして遊んだ過去への退行現象が出てしまう( 23.)。

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f:id:mythink:20170122214855j:plain 警察から車の外に引きずり出される森田。その右足は肉が削れて骨だけになっているというちょっとしたホラー状態( 25.)。連行されながらも「また遊びに来てよ」という笑顔の森田、壊れています( 26.)。車に残された岡田は、かつて森田と遊んだ少年時代を回想する( 27.28.29.)。ここで、森田の家の庭先に飼われている犬が先程、車で逃走中に避けた犬と重なって いる事は言うまでもありませんね( 30.31.)。

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(※1)

(※2)

岡田と阿部の性行為は当然の事として、森田の場合は、殺人後に自慰行為をするという点を説明として付け加えておきましょう。まあ、この自慰行為自体は、最初の殺人のシーンでしか描写されていませんが、以降の殺人でも同じだと考えるのが妥当でしょう。

 

 

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