〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ 記憶に残したいへヴィメタル〈 パンテラ 〉

 

  2016年12月8日はへヴィメタルバンドPANTERA のギタリストだった ダイムバッグ・ダレル ( 本名:ダレル・ランス・アボット )パンテラ解散後の新バンドであるダメージプランでの演奏中に観客に射殺 1 されてから12年目の日になりますね享年38歳の早過ぎる死でした。 

              

f:id:mythink:20180528004439j:plain

 

■ それまで音楽ファンの間では12月8日といえばジョン・レノンの命日でしたが少なくとも僕の中ではこの事件以来12月8日はダイムバッグ・ダレルの命日となりましたねそれ程パンテラの音楽は若い時の僕に衝撃を与えました最もそれは僕だけじゃなくリアルタイムでパンテラの音楽を聴いていた連中は誰もがそうだったはずですそして誰もが感じていた・・・音楽のトレンドが変わりつつある現場に立ち会っている

 

■ つまりそれまでアンダーグランドの音楽シーンの中で流通していた "獰猛なへヴィネス" の概念をメジャーシーンに向けて解き放ったという事ですもっと分かりやすく言うと"へヴィネス" を音楽シーンにおけるひとつの基準にさせる事に成功したという事です

 

■ 彼らが1994年に発表したアルバム、『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" )はキャッチーさがこれっぽちもない獰猛なアルバムなのに ( 強いて挙げれば、ブラックサバスのカバー "Planet Caravan" が唯一キャッチーなくらい ) アメリカのチャートで1位 2を獲得している程ですここではそんな彼らのアルバムについて語ってみますね

 



 ではパンテラがメジャーデビューしてからのアルバムを紹介しましょう

 

 

f:id:mythink:20180528010955j:plain

 

  1990年に発表されたメジャー第1弾が『 COWBOYS FROM HELL 』ですアートワークだけを見ると4人の兄ちゃん達がカジノバーみたいな所にいるだけの何じゃこりゃって感じなのですがこのアルバムの内容こそがアートワークの単調さなんか吹っ飛ばしてしまう程の衝撃を与えましたね特にアルバムタイトルにもなっている " Cowboys From Hell " 当時どんな奴にも影響を与えずにはいられないってくらいの迫力でした 今風に言うと "神曲" という事になるでしょうかヴォーカルのフィリップ・アンセルモの攻撃的な歌唱が象徴するように一見乱暴なバンドパフォーマンスなのですが演奏自体は非常にタイトでありそしてなおかつダレルによる歪んだギターサウンドつぶれる事のないクリアな音作りが注目されるなどへヴィなバンドサウンドが既にメジャークラスであった事が分かりますね

     

" Cowboys From Hell "  fromCOWBOYS FROM HELL 』    

 

■ 1992年に発表されたメジャー第2弾が VULGAR DISPLAY OF POWER ( 邦題 "俗悪" ) このアルバムのアートワークもダレル風の男がぶん殴られているというよく分からないものですが前作同様名曲揃い ( "Walk" "Fucking Hostile" など ) の内容が素晴らしい特に有名なのが "Mouth For War "MVでの聴衆を含めての暴れっぷりがいい ()

     

" Mouth For War fromVULGAR DISPLAY OF POWER 』     

 

■ こちらはLIVE版" Heresy " から " Mouth for War "激しいのに演奏が乱れない技術の高さが分かる1992年で皆若いからとにかく元気がいいそれにしてもダレルのギターの音がクリア過ぎる     

 



 

■ COWBOYS FROM HELL 』とVULGAR DISPLAY OF POWERの2作品はそれまでのへヴィメタルをアグレッシヴにモダン化したという意味で伝統的なメタルの延長線上に生まれたものだといえますがメジャー第3弾の『 FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』においてはもはやへヴィメタルという形式に囚われないパンテラ独自のアメリカ南部からのハードコアと呼べるであろう音楽を創り上げています

 

■ そんな強烈さを示すがごとくアートワークも迫力あるものになっているし個人的には音楽性だけを考えるならば一番のお気に入りです実際パンテラの作品の中でも音楽的にもメンバー間の関係性においても最も緊張感が高まっていた傑作だと思うのは間違いないと思いますねこのアルバム以後メンバー間の結束が徐々に崩れていくにつれて発表されるアルバム自体のインパクトが弱まっていったといえるでしょう ( 1曲毎の作りはさすがというべきなのですが、全体性という意味では弱まっているという事ですね )。 

 

f:id:mythink:20180528011028j:plain

■ FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』というタイトルについて考えてみましょうこのタイトルは意味が分かりにくいからですね通常だと"driven" はdrive の過去分詞形あるいは形容詞になるのですが意味としてはよく用いられる "動かす" ではなくアートワークから推測して"打ち込む""掘る""貫通させる" という意味である事が分かりますねそうするとこの場合"driven" は形容詞 ( 過去分詞 ) の名詞的用法 ( the は省略されているけど ) だと考えるのが一番意味が採りやすいつまり文字通りに訳すなら『 打ち込まれる事をはるかに超えて 』という意味になりますね

 

■ それだけでは意味がはっきりしないのでもう少し解釈しますドリルが頭蓋骨に打ち込まれているというアートワークが与える以上の "衝撃"パンテラは自分達の音楽で強力に示しているそれこそが FAR BEYOND DRIVEN 』という意味になっているという訳です

 

■ と解説したものの実は上のアートワークは発禁処分されたオリジナルの差替え分ですオリジナルはこちら。 

f:id:mythink:20180528011051j:plain

 

■ 陰部にドリルがぶち込まれているという衝撃のアートワークあっここでアルバムのタイトルって下ネタだったんだって分かるという。『 ぶちこまれる快感以上のモノを与えてやるぜって感じこりゃ発売禁止になるわここまでくるとアルバムの中身を聞く以前に衝撃を与えすぎて普通の人は引いてしまうでしょう ()

 

■ FAR BEYOND DRIVENからの曲  "5 minutes Alone"歌詞の内容が後に世間にフィル・アンセルモの悪名を轟かせてしまう人種差別的要素 が彼の中に既にあった事を暗に仄めかすものになっていますこの曲に象徴されるように評価の高い音楽性とは裏腹に歌詞だけ読んでいるとどうしようもなく暗澹たる気持ちになる曲のオンパレードです ( )その意味で本作品はパンテラの中でも最も凶悪なものである事は間違いないでしょうそれはまるで地の底でへばりつき身動きが出来ない中で怒りと憎悪が激しくのたうちまわっているような印象ですよくこんな詩が次から次へと書けたなあと変に感心するばかりですねまるでロートレアモンの『 マルドロールの歌 』ですよ ( いきなり文学になってすみません )

      

"5 minutes AlonefromFAR BEYOND DRIVEN 』     

 

■ こちらはLIVE版の "5 minutes Alone" ですがメンツが凄すぎるリードギターがスレイヤーのケリー・キング。リズムギターエクソダスのゲイリー・ホルトとアンスラックスのスコット・イアンベースがアンスラックスのフランク・ベロドラムも同じくアンスラックスのチャーリー・ベナンテという豪華すぎる布陣そんな中でもフィルの存在感は彼らに負けていないのはさすがというべきかもちろん演奏力だけで見ると本家にはかなわないがそんな事抜きで楽しめます。      

 



 

■ 1996年発表のメジャー第4弾『 THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL ( 邦題 "鎌首 ")アルバムのアートワークとしてはこれが1番好きですただし音楽的には散漫な印象派拭えない1曲目の "The Great Southern Trendkill " が無ければ本当にまとまりが無かったかもまあタイトルの和訳、『 偉大なる南部のトレンド殺しの通りトレンドに迎合しない姿勢は健在ですがこれを聞いた後では、『 FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』 の出来がいかに良かったかというのが再認識出来るのですがそのFAR BEYOND DRIVENの音楽性をサザンロック的な方向性で薄めたという印象ですかね ( これを前作に比べてバラエティに富んでいると評価する人もいますが )とはいえそこはやはりパンテラなのでそこら辺の音楽では到底太刀打ち出来ない激しさがあるのは当然です"Suicide Note Pt. II " などのライブでの再現度が人間技じゃない曲もありますからねそして全米4位にまで登りつめているのはすごい

 

f:id:mythink:20180528011111j:plain

 




■ 1997年に発表されたライブ盤『 OFFICIAL LIVE 101 PROOF ( 邦題 "ライブ~狂獣 " )Amazonのレビューでもよく書かれているがパンテラの入門としては最適ライブでのアルバムの再現度が凄いいやそれを超えているといっても過言ではない出来 新曲が2曲 ( "Where You Come From"  "I can't Hide" ) も付いているそれにしてもこのアートワークもカッコイイですジャック・ダニエルのラベルみたいで酒好きのバンドでしたからね。 

 

f:id:mythink:20180528011131j:plain

 





■ 2000年に発表されたパンテラ最後のスタジオアルバム『 REINVENTING THE STEEL ( 邦題 "激鉄" )このアートワークは格好良くない・・・そう感じたのは僕だけではないと思うしかし楽曲的には傑作揃いです1曲目の "Hellbound "6曲目の "Death Rattle"8曲目の "Uplift" などで他の曲も優れていますバンドの危機的状況の中でよくこれだけのアルバムをつくったなという感じですねというのもこの時フィルとアボット兄弟 ( ダレルと兄のヴィニー ) の確執は強くなっていてほとんど一緒にはスタジオには入っていない ( フィルは自分の住んでいる場所が彼らから離れていて、しかもDOWN〈 フィルのサイドプロジェクト 〉などで忙しかったという建前を述べていた )出来上がった曲に後から別の場所でフィルがヴォーカルを乗せるという方法をとっていたはずそう考えるとこのアルバムはパンテラという炎が燃え尽きる前の最後の一閃だったと言えるでしょう

 

■ 音的にはダレルのギターの特徴であるノイズのような粒立ちの歪みは抑えられていて伝統的なへヴィメタルの方向性で纏められているしかし下手したらアルバムの前半はCOWBOYS FROM HELL俗悪 よりも控えめな音になっているかも後半特に8曲目の "Uplift" あたりから聞きなれたパンテラっぽい音になっているけどよく聞いたら分かる音の微妙な統一感の無さやはりそれまで一緒に作業してパンテラの音を作り上げたプロデューサー兼エンジニアリングのテリー・デイトが参加してない事が原因なのでしょう ( この作品はパンテラのセルフプロデュース )出来ればこのアルバムをFAR BEYOND DRIVENの頃のようなゴリゴリの音で聞きたかったなあ

 

f:id:mythink:20180528011207j:plain

 

 

犯人は元海兵隊員のネイサン・ゲール( Nathan Gale 当時25歳ダレルは3発撃たれて即死ネイサン・ゲールも駆けつけた警察により射殺される彼はダレルがパンテラを解散させたとして恨んでいたのと共に精神病院への入退院歴があった事も明らかになっている

 


ちなみに、へヴィメタルの偉大な開拓者であるメタリカアメリカのチャートで1位を獲得したのは1991年発表のアルバムMetallica ( 通称ブラックアルバム : アルバムのアートワークが真っ黒な事からそう呼ばれる ) 』ですがそれですらパンテラの『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" ) 』に比べるとキャッチーになってしまうと言っても言い過ぎではないでしょうまあメタリカからしたらハードロック寄りのへヴィなアプローチをしたのだからキャッチーなのは当然といえば当然なのですが

 

事実パンテラのようなへヴィな音作りをするフォロワーも多く生まれたしそれどころかパンテラが影響を受けた先輩達にも衝撃を与えたその代表例がメタルゴッドと呼ばれるジューダス・プリーストのヴォーカルロブ・ハルフォードその当時、彼は正統なHMを捨てFight というバンドを作りモダンでへヴィネスなアプローチに傾倒したこれには賛否両論あったけど僕は嫌いじゃなかったな

 

元々へヴィメタルの世界には激しいパフォーマンスとは裏腹に音作りにこだわりを持つ人が多い特にギタリストはその傾向が強くダレルもその1人でしたねへヴィな音作りをする上ではアクティヴ式ピックアップのEMG搭載のギター+マーシャルあるいはメサブギーのアンプという組合せが注目を集めていました時期がありました例えばザック・ワイルドメタリカなど

 

そんな時に現れたダレルはパッシヴ式ピックアップ ( フロントに セイモア・ダンカン "59 "、リアに ビル・ローレンス "L-500XL":後にセイモア・ダンカンの "Dimebucker " ) を使用して音がクリアな ランドール のアンプと組み合わせるという異なるアプローチで独自の強烈な音を作り上げたのでしたもちろんそれだけではなくアンプへの入力前にはエフェクターで中域をブーストさせながらもアンプ側では中域をカットして高・低域を上げるなどの工夫もあった

 

この微妙なニュアンスを読み取るにはネット上に散見される歌詞の機械的翻訳よりも、『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" ) 』 の日本盤 ( ちなみに旧盤の前提です。数年前に発売された20周年記念盤は持っていないので ) に付いている対訳を読むのがいいでしょう

 

フィル・アンセルモの白人の優位性を唱える人種差別的発言はこれまで何度かあったが最近最も問題視されたのがダレルを偲んで2010年から毎年開催されている DimeBash のステージ ( 2016年 ) で "ナチス式敬礼" を行い"White Power" と叫んだ事ですねこの問題によってフィルは最初は拒んでいたものの謝罪せざるを得ない程の騒ぎになってしまいましたここらの辺の経緯については

Rock is not Dead : ロックニュース -- www.rockisnotdeadoc.com を参照して下さい

     

 

フィルの謝罪涙目にも見えるがまさか芝居じゃないよね    

 

彼の人種差別発言は当然許されるものではありませんがただし彼の場合黒人のファンと抱擁したり、"ボクシングが好きで自分のヒーローは黒人だ" と言ったかと思えばマシーンヘッドのロブ・フリンに "Nigger 寄り ( いわゆるラップメタル ) のアルバムThe Burning Red ( マシーンヘッドの3rdアルバム ) 』が嫌いだ" と言ったりと複雑な様相を見せています

 

そこら辺は彼の出身地であるニューオーリンズの土地柄

( 黒人の人口比が70%近い、つまりアフリカ系黒人が奴隷として多く連れて来られた地域で、黒人差別が強い ) が彼の人格形成期に大きな影響を与えたのかもしれません彼を擁護する人達は彼はレイシストじゃないと言うしフィル自身もそんな人間ではないと釈明した〈 ※ りしましたが彼の根っ子の部分では彼の人格の一部として無意識的にその要素が組み込まれている可能性もあるといえるのですそうでなければいくら酔っていたとはいえあのような行為が出てくるはずがないでしょう

 

そして意識的な面で言うと音楽マニアでもある彼が白人至上主義を掲げるいわゆる ホワイトパワーミュージック ( ナチパンク など。イデオロギーと音楽が最悪の形で結びついたものですね )に影響を受けている事も容易に推測出来ると付け加えておきましょうそんな彼の今回の行為について、スレイヤーのケリー・キングは言っています彼は一線を越えた戻ってこれないかもしれない 」。つまり彼はレイシズムの強力な魔力に引き込まれているそこから引き返すのはそう簡単ではない、という事でしょう

 

ここに近年のレイシストの特徴が現れているといえますつまり彼らは自分は人種差別主義者ではない ( 本音では思っていても )自らの人種に対する "誇り" を持っているだけだと言うのですねたとえ"誇り""尊重" などの意識付けが正しいように思えても"人種"の概念を区別 ( これもレイシストの言葉使いの特徴。彼らは差別ではなく、区別という言い方を使う ) の基準にそもそも持込むこと自体が既に "差別" の概念によって侵食されている事に彼らは気付かない

 

"ホワイトパワー" という言葉で真っ先に思い出されるのはイギリスの元祖ネオナチバンドのスクリュードライバーであり彼らの曲 "White Power" でしょう1976年に結成されたバンドは当初セックス・ピストルズの影響下にあったが休止後1982年に活動を再開した時にはフロントマンのイアン・スチュアート・ドナルドソン主導による白人至上主義のバンドになっていた1993年にイアンは交通事故で亡くなってスクリュードライバーは解散したが未だに "ネオナチバンド" といえば "スクリュードライバー" という図式で紹介される程影響力を残している思想や歌詞は別にして音楽性は魅力あるだけに逆にそれまで政治性とは無縁の若者を惹き付けてしまい右傾化させる危険性があるという事ですね

 

 
〈 関連記事 〉