■ 2016年12月8日は、へヴィメタルバンド、PANTERA のギタリストだった ダイムバッグ・ダレル ( 本名:ダレル・ランス・アボット ) が、パンテラ解散後の新バンドであるダメージプランでの演奏中に観客に射殺 〈 ※ 1 〉 されてから12年目の日になりますね。享年38歳の早過ぎる死でした。
■ それまで音楽ファンの間では、12月8日といえば、ジョン・レノンの命日でしたが、少なくとも、僕の中では、この事件以来、12月8日はダイムバッグ・ダレルの命日となりましたね。それ程、パンテラの音楽は、若い時の僕に衝撃を与えました。最も、それは僕だけじゃなく、リアルタイムでパンテラの音楽を聴いていた連中は誰もがそうだったはずです。そして誰もが感じていた・・・音楽のトレンドが変わりつつある現場に立ち会っている、と。
■ つまり、それまでアンダーグランドの音楽シーンの中で流通していた "獰猛なへヴィネス" の概念をメジャーシーンに向けて解き放ったという事です。もっと分かりやすく言うと、"へヴィネス" を音楽シーンにおけるひとつの基準にさせる事に成功したという事です。
■ 彼らが1994年に発表したアルバム、『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" ) 』はキャッチーさがこれっぽちもない獰猛なアルバムなのに ( 強いて挙げれば、ブラックサバスのカバー "Planet Caravan" が唯一キャッチーなくらい ) アメリカのチャートで1位 〈 ※ 2 〉 を獲得している程です。ここでは、そんな彼らのアルバムについて語ってみますね。
■ では、パンテラがメジャーデビューしてからのアルバムを紹介しましょう。
■ 1990年に発表されたメジャー第1弾が『 COWBOYS FROM HELL 』です。アートワークだけを見ると、4人の兄ちゃん達がカジノバーみたいな所にいるだけの何じゃこりゃって感じなのですが、このアルバムの内容こそが、アートワークの単調さなんか吹っ飛ばしてしまう程の衝撃を与えましたね。特にアルバムタイトルにもなっている " Cowboys From Hell " は、当時、どんな奴にも影響を与えずにはいられないってくらいの迫力でした 〈 ※3 〉。今風に言うと "神曲" という事になるでしょうか。ヴォーカルのフィリップ・アンセルモの攻撃的な歌唱が象徴するように一見乱暴なバンドパフォーマンスなのですが、演奏自体は非常にタイトであり、そしてなおかつダレルによる歪んだギターサウンドの、つぶれる事のないクリアな音作りが注目されるなど、へヴィなバンドサウンドが既にメジャークラスであった事が分かりますね〈 ※4 〉。
" Cowboys From Hell " from 『 COWBOYS FROM HELL 』
■ 1992年に発表されたメジャー第2弾が 『 VULGAR DISPLAY OF POWER ( 邦題 "俗悪" ) 』。このアルバムのアートワークもダレル風の男がぶん殴られているというよく分からないものですが、前作同様、名曲揃い ( "Walk" "Fucking Hostile" など ) の内容が素晴らしい。特に有名なのが "Mouth For War "。MVでの聴衆を含めての暴れっぷりがいい ( 笑 )。
" Mouth For War " from 『 VULGAR DISPLAY OF POWER 』
■ こちらはLIVE版。" Heresy " から " Mouth for War " 。激しいのに演奏が乱れない。技術の高さが分かる。1992年で皆若いから、とにかく元気がいい。それにしてもダレルのギターの音がクリア過ぎる!
■ 『 COWBOYS FROM HELL 』と『 VULGAR DISPLAY OF POWER 』の2作品は、それまでのへヴィメタルをアグレッシヴにモダン化したという意味で、伝統的なメタルの延長線上に生まれたものだといえますが、メジャー第3弾の『 FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』においては、もはやへヴィメタルという形式に囚われないパンテラ独自のアメリカ南部からのハードコアと呼べるであろう音楽を創り上げています。
■ そんな強烈さを示すがごとくアートワークも迫力あるものになっているし、個人的には音楽性だけを考えるならば、一番のお気に入りです。実際、パンテラの作品の中でも音楽的にも、メンバー間の関係性においても、最も緊張感が高まっていた傑作だと思うのは間違いないと思いますね。このアルバム以後、メンバー間の結束が徐々に崩れていくにつれて、発表されるアルバム自体のインパクトが弱まっていったといえるでしょう ( 1曲毎の作りはさすがというべきなのですが、全体性という意味では弱まっているという事ですね )。
■ 『 FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』というタイトルについて考えてみましょう。このタイトルは意味が分かりにくいからですね。通常だと、"driven" は、drive の過去分詞形、あるいは形容詞になるのですが、意味としてはよく用いられる "動かす" ではなく、アートワークから推測して、"打ち込む"、"掘る"、"貫通させる" という意味である事が分かりますね。そうすると、この場合、"driven" は形容詞 ( 過去分詞 ) の名詞的用法 ( the は省略されているけど ) だと考えるのが一番意味が採りやすい。つまり、文字通りに訳すなら『 打ち込まれる事をはるかに超えて 』という意味になりますね。
■ それだけでは、意味がはっきりしないので、もう少し解釈します。ドリルが頭蓋骨に打ち込まれているというアートワークが与える以上の "衝撃" をパンテラは自分達の音楽で強力に示している、それこそが 『 FAR BEYOND DRIVEN 』という意味になっているという訳です。
■ と解説したものの、実は上のアートワークは発禁処分されたオリジナルの差替え分です。オリジナルはこちら。
■ 陰部にドリルがぶち込まれているという衝撃のアートワーク! あっ、ここでアルバムのタイトルって下ネタだったんだって分かるという。『 ぶちこまれる快感以上のモノを与えてやるぜ!』って感じ。こりゃ発売禁止になるわ。ここまでくると、アルバムの中身を聞く以前に衝撃を与えすぎて、普通の人は引いてしまうでしょう ( 笑 )。
■ 『 FAR BEYOND DRIVEN 』からの曲 "5 minutes Alone"。歌詞の内容が、後に世間にフィル・アンセルモの悪名を轟かせてしまう人種差別的要素 〈 ※5 〉 が彼の中に既にあった事を暗に仄めかすものになっています。この曲に象徴されるように、評価の高い音楽性とは裏腹に、歌詞だけ読んでいると、どうしようもなく暗澹たる気持ちになる曲のオンパレードです ( 悲 )。その意味で、本作品はパンテラの中でも最も凶悪なものである事は間違いないでしょう。それはまるで地の底でへばりつき、身動きが出来ない中で、怒りと憎悪が激しくのたうちまわっているような印象です。よくこんな詩が次から次へと書けたなあ、と変に感心するばかりですね。まるでロートレアモンの『 マルドロールの歌 』ですよ ( いきなり文学になってすみません )。
"5 minutes Alone" from 『 FAR BEYOND DRIVEN 』
■ こちらはLIVE版の "5 minutes Alone" ですが、メンツが凄すぎる。リードギターがスレイヤーのケリー・キング。リズムギターが、エクソダスのゲイリー・ホルトとアンスラックスのスコット・イアン。ベースがアンスラックスのフランク・ベロ、ドラムも同じくアンスラックスのチャーリー・ベナンテという豪華すぎる布陣。そんな中でもフィルの存在感は彼らに負けていないのはさすがというべきか。もちろん演奏力だけで見ると本家にはかなわないが、そんな事抜きで楽しめます。
■ 1996年発表のメジャー第4弾『 THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL ( 邦題 "鎌首 ") 』。アルバムのアートワークとしてはこれが1番好きです。ただし、音楽的には、散漫な印象派拭えない。1曲目の "The Great Southern Trendkill " が無ければ本当にまとまりが無かったかも。まあ、タイトルの和訳、『 偉大なる南部のトレンド殺し 』の通り、トレンドに迎合しない姿勢は健在ですが。これを聞いた後では、『 FAR BEYOND DRIVEN ( 邦題 "脳殺" ) 』 の出来がいかに良かったかというのが再認識出来るのですが、その『 FAR BEYOND DRIVEN 』の音楽性をサザンロック的な方向性で薄めたという印象ですかね ( これを前作に比べてバラエティに富んでいると評価する人もいますが )。とはいえ、そこはやはりパンテラなので、そこら辺の音楽では到底太刀打ち出来ない激しさがあるのは当然です。"Suicide Note Pt. II " などのライブでの再現度が人間技じゃない曲もありますからね。そして全米4位にまで登りつめているのはすごい。
■ 1997年に発表されたライブ盤『 OFFICIAL LIVE 101 PROOF ( 邦題 "ライブ~狂獣 " ) 』。Amazonのレビューでもよく書かれているが、パンテラの入門としては最適。ライブでのアルバムの再現度が凄い、いや、それを超えているといっても過言ではない出来! 新曲が2曲 ( "Where You Come From" "I can't Hide" ) も付いている。それにしてもこのアートワークもカッコイイです、ジャック・ダニエルのラベルみたいで。酒好きのバンドでしたからね。
■ 2000年に発表されたパンテラ最後のスタジオアルバム『 REINVENTING THE STEEL ( 邦題 "激鉄" ) 』。このアートワークは格好良くない・・・そう感じたのは僕だけではないと思う。しかし、楽曲的には傑作揃いです、1曲目の "Hellbound "、6曲目の "Death Rattle"、8曲目の "Uplift" などで他の曲も優れています。バンドの危機的状況の中で、よくこれだけのアルバムをつくったなという感じですね。というのも、この時、フィルとアボット兄弟 ( ダレルと兄のヴィニー ) の確執は強くなっていて、ほとんど一緒にはスタジオには入っていない ( フィルは自分の住んでいる場所が彼らから離れていて、しかもDOWN〈 フィルのサイドプロジェクト 〉などで忙しかったという建前を述べていた )。出来上がった曲に後から別の場所でフィルがヴォーカルを乗せるという方法をとっていたはず。そう考えると、このアルバムはパンテラという炎が燃え尽きる前の最後の一閃だったと言えるでしょう。
■ 音的には、ダレルのギターの特徴であるノイズのような粒立ちの歪みは抑えられていて伝統的なへヴィメタルの方向性で纏められている。しかし、下手したらアルバムの前半は『 COWBOYS FROM HELL 』や『 俗悪 』よりも控えめな音になっているかも。後半、特に8曲目の "Uplift" あたりから聞きなれたパンテラっぽい音になっているけど。よく聞いたら分かる音の微妙な統一感の無さ は、やはり、それまで一緒に作業してパンテラの音を作り上げたプロデューサー兼エンジニアリングのテリー・デイトが参加してない事が原因なのでしょう ( この作品はパンテラのセルフプロデュース )。出来れば、このアルバムを『 FAR BEYOND DRIVEN 』の頃のようなゴリゴリの音で聞きたかったなあ。
〈 ※1 〉
犯人は元海兵隊員のネイサン・ゲール( Nathan Gale )、当時25歳。ダレルは3発撃たれて即死。ネイサン・ゲールも駆けつけた警察により射殺される。彼はダレルがパンテラを解散させたとして恨んでいたのと共に、精神病院への入退院歴があった事も明らかになっている。
〈 ※2 〉
ちなみに、へヴィメタルの偉大な開拓者であるメタリカが、アメリカのチャートで1位を獲得したのは1991年発表のアルバム『 Metallica ( 通称ブラックアルバム : アルバムのアートワークが真っ黒な事からそう呼ばれる ) 』ですが、それですらパンテラの『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" ) 』に比べるとキャッチーになってしまうと言っても言い過ぎではないでしょう。まあメタリカからしたらハードロック寄りのへヴィなアプローチをしたのだからキャッチーなのは当然といえば当然なのですが。
〈 ※3 〉
事実、パンテラのようなへヴィな音作りをするフォロワーも多く生まれたし、それどころかパンテラが影響を受けた先輩達にも衝撃を与えた。その代表例がメタルゴッドと呼ばれるジューダス・プリーストのヴォーカル、ロブ・ハルフォード。その当時、彼は正統なHMを捨て、Fight というバンドを作り、モダンでへヴィネスなアプローチに傾倒した。これには賛否両論あったけど、僕は嫌いじゃなかったな。
〈 ※4 〉
元々、へヴィメタルの世界には、激しいパフォーマンスとは裏腹に、音作りにこだわりを持つ人が多い。特にギタリストはその傾向が強く、ダレルもその1人でしたね。へヴィな音作りをする上では、アクティヴ式ピックアップのEMG搭載のギター+マーシャル、あるいはメサブギーのアンプという組合せが注目を集めていました時期がありました。例えばザック・ワイルドやメタリカなど。
そんな時に現れたダレルは、パッシヴ式ピックアップ ( フロントに セイモア・ダンカン "59 "、リアに ビル・ローレンス "L-500XL":後にセイモア・ダンカンの "Dimebucker " ) を使用して音がクリアな ランドール のアンプと組み合わせるという異なるアプローチで独自の強烈な音を作り上げたのでした。もちろんそれだけではなく、アンプへの入力前にはエフェクターで中域をブーストさせながらもアンプ側では中域をカットして高・低域を上げるなどの工夫もあった。
〈 ※5 〉
この微妙なニュアンスを読み取るには、ネット上に散見される歌詞の機械的翻訳よりも、『 Far Beyond Driven ( 邦題 "脳殺" ) 』 の日本盤 ( ちなみに旧盤の前提です。数年前に発売された20周年記念盤は持っていないので ) に付いている対訳を読むのがいいでしょう。
フィル・アンセルモの白人の優位性を唱える人種差別的発言は、これまで何度かあったが、最近最も問題視されたのが、ダレルを偲んで2010年から毎年開催されている DimeBash のステージ ( 2016年 ) で "ナチス式敬礼" を行い、"White Power" と叫んだ事ですね。この問題によってフィルは最初は拒んでいたものの、謝罪せざるを得ない程の騒ぎになってしまいました。ここらの辺の経緯については
Rock is not Dead : ロックニュース -- www.rockisnotdeadoc.com を参照して下さい。
フィルの謝罪。涙目にも見えるがまさか芝居じゃないよね。
彼の人種差別発言は当然許されるものではありませんが、ただし、彼の場合、黒人のファンと抱擁したり、"ボクシングが好きで自分のヒーローは黒人だ" と言ったかと思えば、マシーンヘッドのロブ・フリンに "Nigger 寄り ( いわゆるラップメタル ) のアルバム『 The Burning Red ( マシーンヘッドの3rdアルバム ) 』が嫌いだ" と言ったりと複雑な様相を見せています。
そこら辺は、彼の出身地であるニューオーリンズの土地柄
( 黒人の人口比が70%近い、つまりアフリカ系黒人が奴隷として多く連れて来られた地域で、黒人差別が強い ) が彼の人格形成期に大きな影響を与えたのかもしれません。彼を擁護する人達は、彼はレイシストじゃないと言うし、フィル自身もそんな人間ではないと釈明した〈 ※6 〉 りしましたが、彼の根っ子の部分では、彼の人格の一部として無意識的に、その要素が組み込まれている可能性もあるといえるのです。そうでなければ、いくら酔っていたとはいえ、あのような行為が出てくるはずがないでしょう。
そして意識的な面で言うと、音楽マニアでもある彼が、白人至上主義を掲げる、いわゆる ホワイトパワーミュージック ( ナチパンク など。イデオロギーと音楽が最悪の形で結びついたものですね )〈 ※7 〉に影響を受けている事も容易に推測出来ると付け加えておきましょう。そんな彼の今回の行為について、スレイヤーのケリー・キングは言っています「 彼は一線を越えた。戻ってこれないかもしれない 」。つまり、彼はレイシズムの強力な魔力に引き込まれている、そこから引き返すのはそう簡単ではない、という事でしょう。
〈 ※6 〉
ここに近年のレイシストの特徴が現れているといえます。つまり、彼らは自分は人種差別主義者ではない ( 本音では思っていても )、自らの人種に対する "誇り" を持っているだけだと言うのですね。たとえ、"誇り" や "尊重" などの意識付けが正しいように思えても、"人種"の概念を区別 ( これもレイシストの言葉使いの特徴。彼らは差別ではなく、区別という言い方を使う ) の基準にそもそも持込むこと自体が、既に "差別" の概念によって侵食されている事に、彼らは気付かない。
〈 ※7 〉
"ホワイトパワー" という言葉で真っ先に思い出されるのは、イギリスの元祖ネオナチバンドの〈 スクリュードライバー 〉であり、彼らの曲 "White Power" でしょう。1976年に結成されたバンドは当初、セックス・ピストルズの影響下にあったが、休止後、1982年に活動を再開した時には、フロントマンのイアン・スチュアート・ドナルドソン主導による白人至上主義のバンドになっていた。1993年にイアンは交通事故で亡くなってスクリュードライバーは解散したが、未だに "ネオナチバンド" といえば "スクリュードライバー" という図式で紹介される程、影響力を残している。思想や歌詞は別にして音楽性は魅力あるだけに、逆に、それまで政治性とは無縁の若者を惹き付けてしまい、右傾化させる危険性があるという事ですね。
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