Constructing the Private language in which Thought is sharpened.

Vanishing the Self so that no one else can receive it. Leaving the Thought-logic instead of the Self. Escaping from mediocre self-approval.

〈 Random Notes 2024 〉 トランプ前大統領狙撃事件

 

  2024年7月13日、アメリカ東部ペンシルバニア州での選挙集会で前大統領のドナルド・トランプが会場外の百数十メートル離れた建物から狙撃される暗殺未遂事件が起きました。衝撃のニュースでしたがトランプが無事で何よりでしたね。以下はクーリエ・ジャポンの記事を転載したヤフーニュース ( 2024年7月14日付 )。


  以上の記事では、ニューヨーク・タイムズの写真家 ダグ・ミルズが1/8000秒のシャッター速度で "偶然に" 撮影できたという銃弾の軌跡のようなものについて書かれています。トランプは右耳を貫通されているので、この軌跡は彼の左耳ではなく奥の反対側の奥に向かってのものでしょう。この軌跡は銃弾そのものを写しているというよりかは、銃弾が進む際の空気の中を貫通した瞬間的痕跡とでもいうべきものですが、この写真の真実及び事件の究明については多く語られると思われるのでそこに任せましょう。

 

  ここで考えてみたいのは、下手をしたらケネディの二の舞、いや、鮮明な映像が残る現在ではそれ以上の衝撃的死になっていたかもしれない中で、トランプが生き延びる事が出来た "偶然性" についてです。あの瞬間のトランプは、生か死かの究極の選択にいつの間にか追い込まれていた ( * )。それは本人の意志の圏外からの視野の範囲外からの暴力の飛来だった のですが、このような時、人間一般で考えた時、生の方に踏み止まる事が出来た偶然性を自分の方に引き寄せる何かが本人の中にはある のでしょうか。生きる人間と死ぬ人間を分ける境目を成す何かが生き延びた人間の中にはあって、こちら側に踏み止まる事を可能にしてる のでしょうか。

 

( * ) 7/16 追記分

もちろん、誰よりもこの経験に踊りたのはトランプ本人なのですが、彼は事件後、ミルウォーキーでの共和党全国大会に向かう途中に、自家用飛行機の中で NEWYORK POST のインタビューに対して「 非常に現実離れした体験 ( very surreal experience ) 」だと答えている。続けて「 自分はここにはいなかったかもしれない。死んでいたかもしれない。死んでいたかもしれない ( I’m not supposed to be here, I’m supposed to be dead, I’m supposed to be dead. 」と答えているのですが、同じ言葉を繰り返して言い表す程の衝撃だったのが伝わりますね。

 

  僕自身も信号待ちの停車中に後方からかなりのスピードで衝突された全く予期せぬ交通事故の経験があるのですが、車の後ろ半分がぺしゃんこに潰れた有様を見た警察に後日、"相手が大型トラックだったら確実に死んでいたかも。不幸中の幸いでしたね" と言われたのを思い出しました ( これ以降怖くてルームミラーで後ろを執拗に気にするようになった )。もちろん、そのような事故や事件というものは本人にはどうにも出来ないのですが、生きるしろ死ぬにしろどちらに転んでも偶然であるとしても、生き延びる方に転ぶのは、そこに生への執着が本人が思う以上に自分の中で強く働いているからなのだろうか と考えたりしましたね ( もちろん、生への執着があっても死ぬ時は死ぬのですが )。

 

  もし、そうであるのならトランプの中には常人以上の生への執着があるのでしょうか。というのも、バイデンが81才の高齢から来る衰えで批判されているとはいえ、トランプだって既に78才ですからね。3才しか変わらないのに、バイデン以上の覇気を感じさせるのは彼の中に生物的な生への執着以上のもの、つまり、国民の頂点に立つという政治的欲望こそが彼の生の執着心を満足させるからではないのか、と考える事が出来ますね。それは結局の所、人間の人間に対する関係性こそが人間の欲望を最も満足させる のであり、その関係が性的関係であれ、政治的関係であれ、スケールの違いこそあれ、相手をコントロールする事こそが人間を最も満足させるのだという "暴力の原型" がそこには潜んでいる 事でもあるのです ( * )。

 

 

( * )

このような人間の人間に対する関係性こそが政治の基本であると考えたのが、ドイツの法学者カール・シュミット。彼の言葉、"人間は人間にとって人間である" にはその真実が言い表されている。これについては以下の記事を参照。