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ヘーゲルにおける精神と幽霊 -幽霊の哲学ー(7)

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    ヘーゲルにおける精神と幽霊 -幽霊の哲学ー(6)からの続き。

 

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 7.   人間的なものについて

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a.   人間が〈 精神の過程 〉において発生したものに過ぎないのであれば、人間的なものとはいかなる意味を持つのでしょう。起源の分からない意識の中で、自らを人間であると漠然と思い込み、それ以外の物であるとは思わない生き物とは何か? おそらくはそれこそが、ここで問題になる人間的なものについての、いかなる規定よりも根本的な規定であるでしょう。つまり、誰しも自らを人間ではないと思わないという事 です。

 

 

b.   それは人間的なものについての積極的な規定があるのではない事を示しています。まず、その根本概念からして人間的なものそれ自体を普遍的に規定する事は不可能 な事を言っておく必要があるでしょう。それは規定される事によって成立するのではなく、ある状況下( 我々の存在を脅かすものが強力である状況 )において "偶然に出現したもの" です。その偶然としての我々の存在を維持する事によって様々な状況に抵抗する事こそが人間的なものの本質であると言えるのです。

 

 

c.   それは自らの存在をこの場から遠く( 究極的に言うなら、それは "死" )に追放するような状況を否定する事によってひとつの力を有する事でもあります。そのような状況とは、移行する精神の運動であり、現実の生活における危機( 政治、経済、環境、戦争、犯罪 )です。我々はその状況を何の媒介なしに直接的に否定するのではなく、我々自身の存在を媒介として、自らの存在を追放するであろう移行としての状況を否定するのです。

 

 

d.   移行の否定を本質とする人間的なものは、肉体の問題においても精神の移行を引き留めるこの肉体こそが精神の運動に対抗するかのように強力な重力を発して距離を取ろうとするある意味では精神よりも肉体の存在こそが大いなる謎とも言えるでしょう。

 

 

e.   質量を有するこの塊が、世界の中で自らの存在を引き受けようとする時、移行する精神の運動の全体性とは別に、自らに留まろうとする個別の意志が、いやもっと率直に言うなら、かすかな "狂気" が動き出すそれは肉体が自らの存在をどう受け止めるべきか分からず、自らの中でひたすら痙攣しながら精神を自らの方に手繰り寄せ、我が物とするのです。

 

 

f.   想像してみるといいかもしれません。〈 肉体 〉という言葉でさえ、私達の事を指し示す利便的な表現に過ぎない。この言葉を抹消した時、その下に現れる現実としてのこの〈 物 〉を直感するならば、言葉の支えを途中で失う事によって人間の精神は現実の圧力に耐え切れず、いともたやすく崩壊するでしょう。この意味で私達の肉体とはひとつの〈 他者 〉なのです。驚くべき事に、精神はこの "他者において" 直接的統一をなす為に自らを見出すのです。

 

 

g.   肉体において精神は意識となり、自らを対象として扱い、自己を産み出す。精神の現象は、この肉体なしでは精神は先に進めないという意味で、肉体を資本とした論理であるとも言えます。人間が自らを確信するのは、意識という精神の側においてであるのですが、肉体は我々であるところの精神にとっての他者であり、その存在は謎であり、不安の元でもあります。自らの肉体が他者であるからこそ、意識は自らを確信する際に自らの位置取りに苦労する のです。

 

 

h.   そうすると、デカルトのコギトは今までとは違う視点で捉えられるようになるでしょう。哲学的にも精神分析的にも詳細に論じられてきたコギトですが、それは自らの存在の確信の表明ではなく、"意識の自らの位置取りの困難さの表明" であると言える。つまり自らの意識の位置を自らの思考と紐付ける事により、何とか確保しようとする試みなのです。意識は自らが何者であるのか、自分がどこにいるのか知らない。ただこの肉体を経験を通して自分のものであると信じ込む事しか出来ないという意味で、"意識それ自体が最も無意識的なもの" なのです。

 

 

i.   この意識の地位の曖昧さは、それが人間的なものと非人間的なものの境界線上にある事に起因します。非人間的なものである精神の移行において意識は発生するが、肉体という強力な他者が意識を自らの元に引き留める為に、疎外関係を自らの運動の糧とする精神の移行それ自体が肉体において中断され疎外されるという "反ー疎外" が発生している。ここでの出来事は、人間的なものによる精神の否定 なのです。

 

 

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続きは以下の記事を参照。 

 

 

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