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CHAPTER 1 ヴェンダースにおける傑作のひとつ?
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▶ まず、最初に言っておくべきは、この作品はヴェンダースの円熟さが十分に反映された優れた作品だという事です。この円熟性は悪く言うと相変わらずの紋切型、昔から変わらない硬直性、とでもいうべきものなのですが、現代社会の閉塞性を和らげるヴェンダースならではの作品の空気感は多くの人の心を癒すものとなっている。
▶ それは極端に言うならば、ヒーリング映画であり、現実生活に疲れた人たちにとっての避暑地、幻想の逃避先、となっている。たとえ、それが幻想であろうとも、映画にしか出来ないのならば、映画史においてひとつの価値を体現するものだとして認めるべきでしょう。
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CHAPTER 2 抑制された人間存在
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▶ ただし、ヴェンダースの作品を以て、人生とは何か、人間とは何か、と考えさせらたと感傷的な感想を抱く風潮がある事については、それは果たしてどうなのかと言っておく必要がある。というのもヴェンダースは一見人間について描いているように見えるが、基本的に人間心理の内面に奥深く入る事なく ( そこには時として 非人間的なもの に行き着く恐ろしさがある )、人々を気分良くさせる部分を都合よく取捨選択して描き出しているからです。ただ、これには良い面もある。それは人間を軽い浮遊性の存在 ( それこそ天使のような ) として描く事に繋がる。つまり、重苦しくない 遊歩的存在としての人間 を描く彼ならではのロード・ムービーという訳です。しかし、重苦しさをスルーしようとするそこに本当に普遍的な 人間存在の全て が込められているかどうかは疑問に思うべきです。
▶ ここで『 パーフェクトデイズ 』において役所広司演じる平山についてみましょう。寡黙な役柄設定があたかも彼の人間性の温厚性を象徴していると解釈する方は多い。しかし、口数の少ない人間が温厚だという人間解釈は余りにも単純すぎる ( そう思わせるヴェンダースにも問題があるのですが ) のは、多くの時間を生きて多くの人間を見てきた人ならば納得するはず。寡黙な人から、その周囲の人間関係について秘かな打ち明け話を聞いた時、その隠していた感情の激しさに驚く経験をした事がある人も少なくないでしょう。
▶ その厄介な部分にこそ人間存在の本質がある。面倒な奥深さを敢えて知らない振りをして温和な日常を生きて行こうとするのは、もちろん個人の自由だが、そういうのは人間性の真実を無視する空気を生み出す 小さな政治的愚行 ( 限られた集団内における ) にしか行き着かない。面倒くさいもの、つまり、ある人間的類型、には蓋をしておこうという具合に。
▶ だから平山はトイレの清掃労働者という一見マイナーな存在者として美化され、観客の共感を呼び起こすようにヴェンダースによって描かれてはいるものの、それは 平山の人間性の総て ではなく、あくまでもヴェンダースによってこういう人間であって欲しいという極めて個人的な欲望によって 矮小化された人間存在になっている に過ぎない。この平山という清掃労働者の架空の人間性に、ヴェンダース個人趣味の読書や音楽が唐突に宛てがわれる事で、その人間的激しさを抑制させてしまっている。
▶ かろうじて役所広司の存在感がヴェンダースの思惑の抵抗するかのようなキャラ立ち ( 漫画の世界ではよくある作者の意図を超えたキャラの自立的強さ ) を見せている事が救いだろうか。そもそも役所は静謐さとは対極にある、人間的存在感を激しく体現する俳優ですからね ( たとえ黙っていても )。例えば、西川美和の映画『 すばらしき世界 ( 2020 ) 』で元ヤクザの三上正夫を演じた時など。
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▶ 『 パーフェクトデイズ 』で僕の好きな役所の演技が、柄本時生演じる同僚のタカシが突然バックレて、自分にその分の負担が来る事に清掃事務所に文句を言って感情を露にする場面です。実際によくあるエピソードが役所の演技によって生々しいリアルを獲得している。そこには平山の本当の人間性の一面が垣間見える。平山は決して人の好い物静かな人間などではなく、内心でタカシの事を冷めた目で見下していたのが分かる。本来は、こういう嫌な部分も含んでこその人間存在 なんですね。ヴェンダースの平山を良き人に描きあげようとする演出は、その無垢な人間性設定が浮世離れしたブルジョワ的幻想でしかない事 を露呈させている。
▶ 無理してでも出勤するのが当たり前の昔ならいざ知らず、急に休む事が当たり前になってしまった現在ならではの仕事上の負担はどこにでも見受けられるこの箇所は、トイレ清掃の出勤シフト上の問題なんて何の興味もないであろうヴェンダースのものではなく、実際の清掃業者の方にリサーチした脚本の高崎卓馬によるものでしょう。
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CHAPTER 3 永続されるミニマリズム
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▶ 上で述べてきた事から分かる通り、ヴェンダースにおける人間賛歌は、普遍的なものではありません。彼の今までの仕事経歴が示しているように、特定の人々 ( 特に芸術系 )、こそ既存の権力社会に秘かに抵抗する希望の象徴として周縁的に特権化されている。そして、その特定の人々とはヴェンダースと相性の合う選択された人間だという事を念頭に置いておくべきでしょう ( 特にU2のボノなど )。取捨選択の隠れた非情さがそこにある ( 話は逸れるが彼と同じドイツの哲学者マルクス・ガブリエルもその柔和な外見に反して、似たような傾向を有している )。
▶ それは自分と合わない人間 ( 人間の深淵に近い重力的存在者 ) はスルーするという 極めて凡庸で世間に蔓延るコミュニケーション術 ( 主体の安定性を乱す要素はとことん除外される ) でしかないのです。それ以上でもないしそれ以下の事でもないこの思想の無い凡庸性は登場主体を保護する大きな安定性としてヴェンダースの作品を覆っている ( ただし、『 エンド・オブ・バイオレンス ( 1997 ) 』のような主体の不安を描写した例外もある )。
▶ そして、ヴェンダースの美学化が象徴的に現れているのが トイレそれ自体の描き方 及び、作品タイトルの付け方、です。『 パーフェクトデイズ 』とは言うまでもなく、サウンドトラックで使用されているルー・リードの "Perfect Day" ( 1972年のアルバム「 Transformer 」に収録 ) から来ている。ルー・リードと言っても、今では知らない人が多いかもしれないけれど、かつてはロック史において有名な The Velvet Underground の創設メンバーとして誰もが耳にする人物だった。
▶ その彼がソロとして発表した2ndアルバム『 Transformer 』に収録されていた "Perfect Day" な訳です。注意したいのは、あくまでも "パーフェクトデイ ( day:1日 )" であって "パーフェクトデイズ ( days:日々 )" ではないという所ですね。そこが映画のタイトルとは違う。些細な差異ですが、細かく考えていく必要がある。
▶ というのも、映画の "デイズ" というタイトルから多くの人は、平山の清掃業を中心とした地味だがささやかな生活の積み重ね、つまり、平山の "日々の繰返し" が贅沢とは無縁ではあるものの、樹木が静かに生い茂り脈々と続いていく生命のイマージュとシンクロするかのような "永続性" として描かれている事を自然に読み取っているからです。
▶ しかし、ルー・リードの "パーフェクトデイ" はそうではない。ビートルズをはじめとしてロック史に名を残すミュージシャンがドラッグの使用と無縁ではなかったように、ルー・リードもその中の1人だった。むしろ、積極的にその事を歌詞で語ったりもした ( The Velvet Underground には "Heroin" っていうそのまんまの曲があった )。彼は、ドラッグのみならず、露骨な性的表現、マイノリティな人々について、等の今日ではカウンターカルチャーとして括られるだろう社会に対する対抗性・攻撃性を歌詞化した。社会との戦いの中で自分を擦り減らしながらも主体性を確立していくというロックミュージシャンのスタイルを彼も貫いていた。それが彼の日々だった。
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▶ その中にあって "パーフェクトデイ" が際立つのは、その歌詞が女の子と公園でサングリアを飲んで二人の時間を楽しんで帰るというデートの1日がパーフェクトだったというシンプルな世界観にある。そこにメロディの静謐さ・美しさも相俟って、この曲は ある種の日常のミニマリズム を謳っているのか、それとも ドラッグの覚醒効果による日常の疑似多幸感化を謳っているのか、という解釈に長年付き纏われてきた。
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▶ 後年のルー・リードの言葉を信じるならば、この曲はドラッグについて謳ったものではない事になる。そうすると、これは日常のささやかなミニマリズム、または幸福、について謳ったものとなるでしょう。ただし、それは先に述べた社会とのアーティスティックな戦いにおける個人的疲弊を背景にしている事を考慮しておく必要がある。そのような日常の真っ只中において、女の子との公園デートは最高に幸せに思える程の奇跡的な1日だった、と "パーフェクトデイ" は謳っている訳ですね ( 聖書の1節を引用する事で示している )。
▶ それは 瞬間的な1日 ( day ) であり、毎日起こる訳ではないし、毎日続くものでもない、でも未来に何かしら繋がるかもしれない期待が込められた1日だ、と解釈するべきものです。この意味で、この曲は反復的かつ永続的ミニマリズムの極地とでもいうべき映画『 パーフェクトデイズ 』とは少しだけ意味合いが違う。危機的状態にある主体に、ささやかな希望を与えるような 奇蹟的な1日の重み をルー・リードは謳っているのですね。
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【 以下の記事に続く 】
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