■ 3月31日に死去したザハ・ハディド氏に対して磯崎新氏が追悼文を書いています。以下の追悼文は 〈 建築 〉が暗殺された というセンセーショナルな言葉で始まっていますが、この言葉を中心に、追悼文を哲学的に考えてみたいと思います。
〈 建築 〉が暗殺された。
ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った。
彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命-異文化と女性-を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈 建築 〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。
デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。
彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈 建築 〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。
そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。
ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。
その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。
〈 建築 〉が暗殺されたのだ。
あらためて、私は憤っている。
磯崎 新
1章 〈 建築 〉が暗殺された。ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
1. 磯崎新氏の余りにも率直な言葉は、共感を呼ぶ以上に、否定的な反応を引き起こしているといえるでしょう。もちろん、そんな事が分からない磯崎氏ではない。否定的反応が起こるのは分かっていた、だがそんな事は問題ではない、ザハ氏という稀有な建築家の存在を消滅させる死という出来事に直面して、今ここでしか言えない事を率直に言っただけだという所でしょう。僕自身も、この追悼文を冷静に読んだ限りでは否定的感想は持たなかったです。むしろ、理論的言説で埋め尽くされるいつもの磯崎節が剥ぎ取られ、〈 ザハという建築家 〉、そして〈 建築 〉に対する磯崎氏ならではの誠実さを感じ取りましたね。ザハ氏を "排外" した人達への皮肉も、もちろん感じましたけど。
2. 問題なのは、一部の人達が、建築論的装いで磯崎氏を批判しながらも、その根底にあるのが "排外主義" などの表現に過剰に反応するヒステリックな倫理観である事だと思います。排外主義は言いすぎだ、そういうものではないだろうという所なのでしょう。確かに "排外主義" という表現の選択は誤解されやすい負のイメージがありますが、ザハ氏が "複合的な排外" にあったのは間違いないはずです。
2章 複合的排外
1. 複合的という事について考えていきましょう。まず第一に、槇文彦氏らによるザハ案 ( あくまでもザハ案ですね、ザハ自身ではないです ) への反対運動がありました。
このブログの記事で 以前にも取り上げていますが、具体的な行動化と、その理論付けという意味では槇氏以外に、あの当時に上手く動けた人はいなかったでしょう。
2. 第二に、槇氏らの運動の成果もあってザハ案への反対がTVなどのマスコミを通じて世論に浸透していきましたね。しかし、ここでザハ案を税金の無駄使いであるとする事と共に、ザハ案が、いやザハの建築自体がキワモノ的なものである、というイメージも世論の中に形成された事は否定出来ないでしょう ( 注意すべきは、槇氏らはあの場所にザハ案はふさわしくないとしただけで、ザハの建築物自体を否定しているわけではないのですが、微妙にズレながら浸透していった訳です )。
3. 第三に、政府の介入です。第一、第二、の状況を見ながら、このタイミングで最初のコンペを破棄し、ゼロベースで再コンペを行う事を宣言しても、ほとんどの人は反対しないだろうと見越した上での政府の介入です。そして再コンペは、デザインビルド方式 だったので、組むゼネコンが見つからなかったザハ側は、見送るしかなかったという訳です。この方式は、ゼネコン主体のものであり、あらゆる建築家のオープンな参加と言う意味では絶望的なものでした。つまり、この時点で、ザハ氏のような論争を引き起こす不都合なものは 政府 / JSC によって意図的に閉め出されたのです。
4. 少なくとも、この三つの状況が絡み合って複合化した大きな潮流が、"排外" だったのです。第一、第二、の状況にいた人達が、自分たちは排外したつもりはないと言っても、結果として自分たちの意図とは違う所で、つまり政府に都合よく利用されたという意味では、結果として一緒に排外の潮流を形成したのです。もしこれに対してそうではないという人がいるのなら、その人は、この潮流に対して部外者 ( 建築の専門家じゃないという事ではなく、この問題を深く考察しようとしない人の事 ) である事を知らないうちに告白している事になるでしょう。
5. この複合的排外は、当初は確かにザハ案への反対という対象がはっきりと定まった反対論を起点としていました。景観の問題、コストの問題などを通じてザハ案の問題点について槇氏らが理論付けを行いました。この時点では、あくまでコンペにおけるザハ案が問題だったのであり、ザハ氏の建築自体が問題とされた訳ではありません。つまり、ザハ氏という建築家への尊重の余地は残されていたはずです ( 磯崎氏を含めたごく一部の人は、ザハ氏にプランの修正や変更を含めて継続的な依頼をすべきだとしましたね )。
6. しかし、この反対論には、ザハ氏の建築自体への否定的な見方の発生という危険な萌芽もあったといえるでしょう。反対論が槇氏らの手を離れ世論に浸透していくにつれ、ザハの建築自体を奇異なものとして見る ( あるいは、そういうものとしてしか見れない ) という "世間の解釈の安易な傾向" が形成された という事です。そういった傾向の中で、ザハ氏は、尊厳のある建築家というよりは、揉め事を起こす厄介な対象として位置付けられたといっていいでしょう。
7. 結局の所、複合的排外とは、ザハ案への反対を起点として始まりましたが、最終的にはザハを排除するというよりは、あらゆるものを含めた厄介な対象を締め出すという日本の全体的な傾向だった といえます。つまり、ここでは、ザハという特定の固有名を持つ対象が明確な批判的態度 ( *A ) で締め出されたのではなく、匿名的な無用なもの ( ここではザハとは単なる記号になっているのであり、ザハ氏でなくてもそうなる可能性がある ) として "対象への尊厳を欠く排外" に遭っているという訳です。
3章 〈 建築 〉が暗殺された? あるいは〈 彼女 〉が・・・?
1. そして "排外主義" 以上に、衝撃的な言葉が "暗殺" です。「〈 建築 〉が暗殺された。」と磯崎氏は言う。もちろんこの括弧付きの建築はオブラートな言い方に変えられたものです。括弧の中に入るべき本当の言葉が〈 ザハ・ハディド 〉である事は、多くの方が察したでしょう。
2. ザハ氏は現実には心臓発作で亡くなっているのですが、磯崎氏はこれを 建築界における象徴的出来事 として解釈し直している のです、ザハ氏の排外という一連の流れと関連させた上で。これに対して実際に暗殺された訳じゃないのだから暴論だろうと言う人もいるでしょう。
3. しかし、そういう事ではないのです。先程、述べたように、日本におけるザハの排外とは、匿名的な無用なもの ( 彼女の建築家としての尊厳など殆どの人が気にかけていないという意味で ) として扱われているという事であり、ザハという対象がきちんと認識されずに曖昧に葬られている ( 私達は、ザハのコンペ案を批判しているのか、ザハの建築自体を批判しているのか、それともザハ自身を批判しているのか、はっきりとした線引きをする事の出来ない曖昧な排外の主体となってしまっている ) のは、まさに秘かに殺されたという事、つまり磯崎氏が言う所の "暗殺" という訳なのです。
4. それと「〈 建築 〉が暗殺された」の〈 建築 〉は〈 ザハ・ハディド 〉に置き換える前に ( いや正確にいうなら磯崎氏は大文字の建築とザハ・ハディドを重ね合わせて語っている )、文字通り大文字の建築、つまり象徴的なものとしての建築だと解釈する事も出来るのです。ザハ・ハディドの死と共に、象徴的なものになりえる建築の可能性も死んでしまった という事です。建築が象徴にならないのなら、何になるのか? 答えはおそらくコストや景観、地域性とのマッチングなど、ますます実用的なもの ( しかし 実用性とは何か? この言葉の定義と使い方次第では、将来的には〈 建築 〉があらゆる場面で放棄される可能性も増大する ) として残っていくしかないと言えるでしょう ( *B )、〈 実用 〉以外の可能性が閉ざされているという条件で・・・。
( *A )
逆説的だが、このような明確な批判的態度においては相手への最低限の尊重がある。なぜなら批判すべきものであれ、まずは相手を 対象 として認識しなければならないのだから。明確な批判作業には、相手への最低限の尊重が必要な要素として発生してくる。
( *B )
放棄の可能性という事でいえば、磯崎新氏は、その著書『 偶有性操縦法 』において、神宮外苑の国立競技場建設予定地を「 原ッパ 」として残す事を提案している。このような国立競技場建設を巡る一連の騒動を止揚し、記憶として残そうという発想はいかにも磯崎氏らしい。もちろん、そのような事が現実には難しいことは磯崎氏も承知だろうけど。
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