◆ 僕を楽しくさせる花森安治のデザイン 2.

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◆ 僕を楽しくさせる花森安治のデザイン 1. の続きという事で。

 

 

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 1. 花森安治の『暮らしの手帖』の表紙デザインⅡ

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f:id:mythink:20160731190155j:plain 1948年から1969年の約20年間で、100号を迎えた『暮らしの手帖』は、それまでの100号を1世紀と位置付ける事によって(100号であって100年じゃないけど・・・。初心に返るという意味を込めているとはいえ強引な気もしますが、花森安治らしいという所でしょう〈笑〉)、次からを101号で始めるのではなく、2世紀1号からで・・・という事にしちゃったようですね。判型もB5判からA4変形判になりました。

 

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f:id:mythink:20160731190155j:plain 2世紀~で特徴的なのは、特に25号以降ですが、女性のアップの顔が増えていく事ですね。『暮らしの手帖』のメインターゲットである女性をより意識している事が現れていますね。

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f:id:mythink:20160731190155j:plain 花森安治による最後の表紙である53号のデザインは、生前「自分が病気になった時に使いなさい」とスタッフに渡されていたものでした。

 

 

2. 手仕事へのこだわり、手仕事への考察

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f:id:mythink:20160731190155j:plain そんな花森が自分が使う文房具にこだわりを持っていた事はよく知られていますね。鉛筆、定規、ハサミなどは机の上の定位置に置かれていなければならず、それらを管理するスタッフは鉛筆の芯も折れないように丸く整えたりするという気の使いようだったらしいです。それだけにファーバー・カステルの鉛筆(ゴッホムンク、クレーも使っていた)やシェーファーのインクを花森が高く評価したのも頷けますね。

                                       

                                       【花森の作業用文房具】

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f:id:mythink:20160731190155j:plain そこには自分の手で使用し満足を与えてくれる道具に対する愛着があります。道具を使用し自分の手を動かす事から何かを生み出す喜びがあります。道具を使用し自分の手を動かす者はその事を誰よりも知っているといえるでしょう。

花森の生前の最後のエッセイ『人間の手について(1978年)』を読むと、手仕事の大切さを説いているのが分かりますね。このエッセイは、鉛筆を削るのにナイフを使わせずに鉛筆削り器を子供たちに使用させる小学校の教育方針を批判しながら、手仕事の経験を通じて本当の教育の在り方について考えるべきだという提案をしています。

 

f:id:mythink:20160731190155j:plain もちろん時代が変わった現在では、学校教育に対する花森の主張がそのまま通用する訳ではありませんが、それでも彼の手仕事に対する考察は興味深いものがありますので少し長めに抜粋しておきますね。

"  人間は、道具をつかう動物だ、といわれています。ここで、はっきりしておきたいのは、人間は、道具につかわれる動物ではない、ということです。

 道具をつかうのは、人間の手です。あるいは、人間の目や、耳や、鼻といった感覚です。こういった感覚は、訓練をすればするほど、鋭くなっていきます。

 たとえば、昔、海軍の水兵たちは、暗闇でものを見る訓練を、そうとう痛烈にやらされたということです。その結果、本来なら見えないはずのものが、水兵たちは見ることができた、いいます。

 この話は、レーダーのなかった日本軍の苦しいあまりの一策だった、といわれています。しかし、もしも、レーダーがこわれたとき、そういう訓練ができているのと、いないのとでは、たいへんな違いがおこります。鉛筆削り器にしても、こわれることはよくあります。一度こわれたら、新しいのを買うまで、だれも鉛筆を削ることができないのでしょうか。そんなバカげたことは、ありますまい。

 人間の手のわざを、封じないようにしたいというのは、つまりは、人間の持っているいろんな感覚を、マヒさせてしまわないように、ひいては、自分の身のまわり、人と人とのつながり、世の中のこと、そういったことにも、なにが美しいのか、なにがみにくいのか、という美意識をつちかっていくことになるからです。"

 

"  人間の手わざは、みんな自分でなにかを作り出す喜びというものに、つながっています。ところが、いくらよくできた鉛筆削り器でも、それを使って鉛筆を削ったとき、なにかを作り出したというよろこびがあるでしょうか。

 鉛筆の芯がまるくなったから、鉛筆の芯が折れたから、新しい鉛筆をおろさなばならないから、そういったときに、まるでビジネスのように、鉛筆削り器を使っています。料理ひとつ作るにしても、じぶんの手で材料を洗い、切り、煮炊きし、味をつけて、ひとつの料理に仕上げていく、そこにこそ、じぶんで作り出すというよろこびがあるのです。"

  

 

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