◆ 僕を哲学的に考えさせる映画:ラース・フォン・トリアーの〈メランコリア〉

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          監督:ラース・フォン・トリアー

          公開:2011年       

 

出演:キルスティン・ダンスト    ・・・ ジャスティ

  シャルロット・ゲンズブール  ・・・ クレア〈ジャスティンの姉〉

  キーファー・サザーランド   ・・・ ジョン〈クレアの夫〉

  :キャメロン・スパー      ・・・ レオ〈クレアの息子〉

  アレクサンダー・スカルスガルド・・・ マイケル〈ジャスティンの夫〉

  ジョン・ハート        ・・・ デクスター〈ジャスティンの父親

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説の記事ではなく、『メランコリア 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という個人的欲求に基づいています。細かく言うなら、"映画という教材" にいかに哲学的解釈を施すか、という試みになりますね。なのでストーリー解説を求める方は他の場所で確認されるのがよいでしょう。

 

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 1.〈惑星ソラリス〉へのオマージュ

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a. この映画がアンドレイ・タルコフスキー惑星ソラリスへのオマージュである事はよく言われるところです。宇宙探査ステーションのプロメテウスの図書室に飾られてあったブリューゲル"雪中の狩人"メランコリアにも登場するという具合に。

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               雪中の狩人

               by ブリューゲル

b. ただし、この絵画は〈惑星ソラリス〉においては故郷を感じさせる北方的なものの役割しか果たしていない。もちろん北方的だからといってもブリューゲルソ連(懐かしい国名!惑星ソラリスが撮影された当時はロシアではなくソ連でしたからね)の画家ではない事は言うまでもないですね。絵が描かれた当時はソ連もなかったのだから(笑)。では〈メランコリア〉が〈惑星ソラリス〉へのオマージュであるからには、どのような関係性があるのでしょう。それについては後で考えていく事にしますね。

 

 

2.〈メランコリア〉におけるドイツ的なもの

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a. それよりも、ラース・フォン・トリアーの芸術的なものへの接近という意味では"ドイツ的なもの" がこの映画において影響を与えているのは明らかでしょう。タイトルの〈メランコリア〉からはアルブレヒト・デューラー"メランコリアⅠ"が容易に指摘されているし、サウンドトラックはリヒャルト・ワーグナー"トリスタンとイゾルデ"なのですから。

      

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              メランコリア

           by アルブレヒト・デューラー

 

b. そしてトリアーの例の悪名高い"ナチスへの傾倒とヒトラーへの共感発言"を聞くと、それが冗談に過ぎないとしても、そのような考えが生まれる土壌がこの映画を作り上げる過程で形成されていたのは疑いようがないでしょう。問題なのはドイツ的なものの影響を受けている事を認める彼の中では、彼を魅了する"ドイツの美的なもの"というカテゴリーがナチス反ユダヤ主義と切り離して論じるられると素朴に考えられている事です

トリアーは反ユダヤ主義には組しないという旨の発言をしていましたが、ナチスに言及するのであれば、そのような切り離しが不可能である事は、哲学者のジャン・フランソワ・リオタールやフィリップ・ラクー・ラバルトのナチスについての批判的説明以降では明らかなはずです。

 

c. 彼はあるインタビューの中で、マルセル・プルースト"失われた時を求めて"を引き合いにしながらワーグナー"トリスタンとイゾルデ"の偉大さに言及しています(プルーストワーグナーの愛好家である事は有名ですね)が、もちろん彼はワーグナーの中に反ユダヤ主義の要素がある事やヒトラーワーグナーを好んでいた事を知らないはずはないでしょう。

にも関わらず、〈切り離し〉が可能であるかのように彼は振舞っているのです。また、彼はインタビューの中で、ナチスの急降下爆撃機のシュトゥーカ(Stuka)について軍事マニアのように語りだし、ナチスのデザインの驚異に言及する事によってインタビュアーを困惑させてしまう程です(にも関わらずインタビュアーは芸術的側面の観点からトリアーの映画に関して公平であろうとして苦心している)。

 

d. ただし、だからといってワーグナーの音楽やトリアーの映画が全く駄目だという事にはならないでしょう。というのもナチス的要素だけで彼らの芸術を全て説明する事は出来ないからです。注意すべきは、そのような要素がどれ程作用しているかを見逃すべきではないという事でしょう。

 

 

3.〈メランコリア〉における惑星が暗示するもの

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a. 以上のことを踏まえた上で、〈惑星ソラリス〉と〈メランコリア〉の関係性について考えてみましょう。このブログでも以前書いたように、〈惑星ソラリス〉とはソラリスの海の秘密について迫るSF映画なのではなく、そこに登場する人物達の人間関係がソラリスの海によって鏡のように写し出されるという人間の精神についての映画なのですつまりソラリスの海とは、人間の関係性の象徴となっている訳ですだから、そこでは人間関係を楽しむしかないそういう理解をしないと長いだけの退屈な映画になってしまう。

 

b. では〈メランコリア〉における地球に接近するこの惑星は、どのような役割を果たしているのでしょう。それはソラリスにおける海の役割と同様、人間関係の象徴として機能しているのでしょうか。もちろん、そういう側面もありますが、それ以上に、惑星メランコリアはトリアーの恐るべき概念を暗示しているといえるのです。

よく指摘されるようにトリアーが鬱病の頃、セラピストから鬱病患者はある緊急な状況下においては、普通の人よりも冷静になる事があるのを聞いたという話がありますが、これを単なる鬱病患者の特徴に過ぎない話として片付けるべきでしょうか。たしかに〈メランコリア〉の第1部でキルスティン・ダンスト演じるジャスティンは結婚式において鬱病的な行動によって式を台無しにしたものの、惑星メランコリアが迫ってくるという切迫した状況下の第2部において、シャルロット・ゲンズブール演じる姉のクレアがうろたえるのと対照的に悟りきったかのように冷静に振舞います(※1)。しかし、これを鬱病患者の行動パターンの変化を描いたとしか読み取らないのであれば、トリアーの恐るべき本質を見逃してしまう事になります。

 

 

4. 鬱病患者の述べる真理・・・

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a. ではトリアーは何を示そうとしたのでしょうか。鬱病患者だから戯言を述べている事を彼は示しているのではないのですそれどころか、彼は鬱病患者だからこそ振舞える冷静な言動の中に真理の一面を示そうとしているのです・・・。

 

b. ここには、精神的に病んでいる者が音楽や映画に没頭する事によって回復するなどという自己療法的なセラピーなど吹き飛ばしてしまう恐ろしさがあります。精神的に病む者だけが、まさに病気であるからこそ述べる事が出来る"哲学的真理"があるのですフロイトラカンが参照したドイツの官僚だったダニエル・パウルシュレーバーがその例です。

 

c. では映画の中で示される真理とは何でしょう。それについて考えるために以下の会話の場面を参照しましょう。

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d. ジャスティンはクレアとの会話の中で、冷静に「地上の生命は邪悪だ」と言い放ちます。この発言はトリアーの作家性を考えると、思われる以上に過激なのです。というのも"地上の生命"と言う時、普通は娯楽的ストーリー(ハリウッドのSF映画など)の進行上必要な、象徴的生命(人間以外の生命も含めた)という設定なのでしょうが、トリアーの場合、"人間以外の何物でもない事"をオブラートに包んだ言い方だといえるからですそもそもトリアーの映画自体が人間の存在の闇を描いたものに他ならない。なので、ジャスティンの発言を言い直すと「人間は邪悪だ」「滅んでも嘆く必要はない」という事になるでしょう。

 

 

5. トリアーの映画の本質としての〈崩壊〉

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a. たしかに、人間の存在が悪だというのは、哲学的真理の一面を示していて詳細に考えなければならない問題ですが、ここから早急にトリアーの人間不信や人間嫌いを結論とするのは単純すぎます。「人間は邪悪だ」という発言の過激性にこだわり過ぎて、トリアーの映画の本質を見逃すべきではないでしょう。

 

b. そうではなく、この発言を可能にしているものこそ、トリアーの映画の哲学的本質だと考えるべきなのです。ではその本質とは何か。それこそ地球に迫る惑星メランコリアが人間の存在に及ぼす作用、つまり"崩壊"です惑星メランコリアとは"崩壊"の作用を暗示しているのであり、トリアーの映画の本質とは物事(人間関係を含む)が崩壊していく様を描くことにあると言えるでしょう。そして崩壊の様子を最も具現化するのが人間という存在であり、それを追及する事こそがトリアーの映画の秘密なのです

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(※1) ジャスティンの振舞いが冷静になる兆候として、野外でのジャスティンを演じるキルスティン・ダンストのヌードシーンがありますが、これは単なる話題作りというよりはタルコフスキーの〈惑星ソラリス〉へのオマージュを示すひとつの例といえるでしょう。

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惑星ソラリス〉においても、ハリーを演じるナタリヤ・ボンダルチュクの有名な半裸シーンがありますが、トリアーの映画マニアぶりが出ていますね。そうでなければ、キルスティン・ダンストのヌードシーンは果たして必要だったのかと思えますから(笑)。

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惑星ソラリス〉については当ブログの記事を参照して下さい。

◆ 僕を哲学的に考えさせる映画:アンドレイ・タルコフスキーの〈惑星ソラリス〉

 

 

 

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