It ( Es ) thinks, in the abyss without human.

Not〈 I 〉 but 〈 It 〉 thinks, or 〈 Thought 〉 thinks …….

▶ アンドレイ・タルコフスキーの映画『 惑星ソラリス 』を哲学的に考える

 

       

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監督 : アンドレイ・タルコフスキー

公開 : 1972 年              

出演 : ドナタス・バニオニス       ( クリス・ケルヴィン / 心理学者 )

   : ナタリヤ・ボンダルチュク     ( ハリー / クリスの元妻 )

   : ユーリー・ヤルヴェト       ( スナウト )

   : アナトーリー・ソロニーツィン   ( サルトリウス )

   : ソス・サルキシャン        ( ギバリャン )

   : ニコライ・グリニコ        ( ニック・ケルヴィン / クリスの父 )

   : タマラ・オゴロドニコヴァ     ( アンナ / クリスの母 )

 



  1. SFセットの舞台劇・・・

 

惑星ソラリス 』の165分という長い上映時間は、観る人によっては退屈だと感じる人もいるかもしれませんね。というのもこの作品は、彼の特徴である映像美よりは、物理的に限られたSFセットの中で繰り広げられる "対話劇" がメインになっているものだからです。もちろんその事情は、限られた予算の中で作りこまれるSFセットには物理的限界があるからでしょうが、逆に言うと、限られたセットの中では、登場人物の対話や遣り取りによって話を進行させる事が主な手段になるという訳です。つまり、この形式は固定されたセットで登場人物達の遣り取りによって話が進行される "舞台劇" に限りなく近い ( 極端に言うなら、室内劇のSF版といえるでしょう )。

 

前半では、ソラリスの謎について、延々と対話や遣り取りが繰り広げられます。

 

「 何か異常なことが起こっているようですが・・・」by クリス

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「 結論を急いではいかん。ここは宇宙だ。」by スナウト

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私は頭が変になったようです。by 物質化された見知らぬ人間を見て驚くクリス

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この舞台劇がタルコフスキー的映像表現で味付けされると独自の世界観を持ったSF映画になるという所なのですが、あくまでも対話劇である事を念頭に入れれば、この映画は惑星ソラリスの海の謎に迫るものというよりは、その海を媒介にした人間関係にこそ重点を置くもの である事に注意すべきです。

 


 

 2. 人間関係という"秘密"を写し出すソラリスの海

 

この人間関係を楽しまずに、人間の記憶の一部を物質化するソラリスの海に "知的生命体としての秘密" があるのではないかとSF的詮索ばかりしていては、この映画を退屈なものにしてしまうでしょう。これはこの映画の結論にもなりますが、唯一、"秘密" があるとすれば、"人間関係それ自体"です。ソラリスの海とは、その "人間関係" を写し出す "鏡" であり、人と人を結びつけるものは "愛" という事になるのです、タルコフスキー的には・・・。

 

「 もしかすると我々は人類愛を実現するためにここにいるのかも 」by クリス

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  3. 個別的な愛と普遍的な愛

 

しかしタルコフスキーは飛躍しすぎているといえるでしょう。個別的な愛 ( 男と女のロマンスなど ) の延長上に普遍的な人類愛を持ってくるのは、単純すぎる考えです。事実は、個別の人間関係という特殊なものが奇妙で複雑であるがゆえに "普遍的な愛" の概念を持ち込まない限り、救いようがない ものなのだと考えるべきではないでしょうか。

 

つまり人類愛という考え方自体は、人間関係における個別的な愛の延長上にあるものではなく、人間関係というそこでは主体が絡めとられるどうしようもない袋小路を避けるために出現する幻想 だといえるのです。特に、男と女の関係はロマンスという意味での愛だけでは到底乗り越えられない複雑なものです。お互いに相手に何かを求めようとするロマンスの欲望には限度がないのであり、それは相手の存在を踏み越えていく・・・。そんな二人が一緒に生きていくには、ロマンスとは別の愛が必要になる、つまり二人の間で互いを燃やし尽くすロマンスは瞬間的なものだが、相手を"人間という普遍的存在"として見る冷静な愛は一緒に長く生きていく事を可能にするといえるでしょう。

 

よくある話ですが、普遍的愛で知られる著名人たちの家族は、日常生活では彼らは普遍的愛とは程遠い存在だったと発言しますね、喧嘩や冷たい振舞いなどを挙げて。ジョン・レノンオノ・ヨーコについて語る息子のショーン・レノンや、タルコフスキーを非難する妹の発言で示されるように・・・。

 

彼らは身近にいるからこそ知りえる著名人の素顔を暴露する事によって一片の真実を語っているつもりなのかもしれませんが、重要な事を見落としているといえるでしょう。彼らは普遍的愛と日常生活というダブルスタンダードの落差の中にいると思われる著名人の振舞いを理解出来ないのですが、残念ながらそれはダブルスタンダードではないのです。というのも先に述べたように、普遍的愛は、まさに当事者が深く関わる人間関係の袋小路から出現したという意味で、日常生活から連続する幻想なのであって、そこには身近な家族ですら気付かない、当事者の日常に裏づけされた彼らにしか分からない "秘密" があるといえるのです。



 4. クリスの動揺・・・

 

この映画においても主人公の心理学者クリスの振舞いは、人類愛どころか、亡き妻との関係が清算出来ていなかった事を示しています。

 

「 愛している?」「 何を言うんだハリー。当り前だろ 」by 妻を出現させたクリスの思い

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亡き妻ハリーの突然の出現 ( もちろんソラリスの海の作用による ) に動揺したクリスは、何とハリーを小型ロケットに閉じ込めて始末してしまう・・・。ロケット噴射の際の炎によってクリスは火傷してしまうが、そこまでしなければならなかったのか ( 笑 )。

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「 彼女のイメージが物質化したものさ 」by スナウト

クリスはスナウトとの会話によってハリーがソラリスの海によって物質化されたものである事を確信します。

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私は動揺して間違ったことをしたby 妻をロケットで始末して後悔するクリス

とはいえ、彼女はクリスのイメージの物質化に過ぎないのでまた現れるのですが。

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 5. クリスとハリー

 

再び現れたハリーは常にクリスと一緒にいようとします、片時も彼から離れたくないという感じで。彼の方もかつての負い目 ( 昔、彼女を自殺させてしまった事 ) を振り払うがごとく彼女への思いを強めていくのですが・・・。しかしハリーは自分が本物のハリーでない事に気付いていて彼に彼女の死の真相を聞きだします。

 

「 私がどこから来たのかあなた知っているくせに 」by 物質化されたハリー

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私は全く別の人間なのby 物質化されたハリー

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彼女はすでに息絶え腕に注射の跡があったby クリス

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今は愛しているby クリス

ここではSFというよりは恋愛ものの要素がかなり強くなっていますね。

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君たちは何のためにソラリスにやって来た?by サルトリウス

そんな彼らにサルトリウスは苛立ちを隠しません。まあ当然でしょう ( 笑 )。

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「 生き返るのを待つ 」by 自殺したハリーが生き返るのをそばで待つクリス

ハリーは衝動的に液体窒素を飲んで自殺を試みます。でも元はイメージなので前のロケットの時と同様、死ぬ事はありません。そんな情緒不安定な彼女にクリスとスナウトは人間らしさを感じていく・・・。

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〈 自殺したハリーが蘇生するシーン 〉 performed by ハリー

ハリーが身体をビクンビクンと震わせながら蘇生するシーンはSF的な感じに引き戻してくれます。この長回しの名演技をするナタリヤ・ボンダルチュクは、当時20歳前だというのにかなり大人っぽい雰囲気を醸し出しています。

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 6. 過去に退行するクリス・・・

 

やがてクリスは体調を崩し、寝込んでしまいます。そこで彼の見る夢が彼の精神的危機を象徴しているといえるでしょう。彼の夢には、まず亡き妻のハリーが出てくるのですが、この妻が彼の母へと切り替わるのです。亡き妻への思いに固着していた彼の精神は、妻への思いを清算してしまう前に、さらに過去にさかのぼり、母への思いに囚われてしまいます。映画では強く示されるわけではないので解釈しにくいかもしれませんが、この夢から彼の精神的崩壊は始まっているといえます。

 

ハリーはもういないby 夢から覚めたクリス

夢から覚めたクリスは、ハリーがもういない事を聞きますが、残念な事に彼の精神的退行は治まったわけではありません。それはここからラストの場面において示されるでしょう。

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「 いまだ見ぬ新しい奇跡を待つのだ 」by クリス

ソラリスの海との交信を期待するクリスは、自分を危険に晒す可能性を考慮する事なく奇跡を待つという・・・。ここにおいて彼は今の自分の危険より、過去の思い出に浸る享楽を優先させてしまっている のです。

 

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その結末がこの場面です。

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やはりクリスは地球に戻らずソラリスに残る事を選択したのです。そこでクリスが期待した奇跡が起きます、つまりクリスのイメージした父親との再会を果たすのです・・・。しかし、これは奇跡でも何でもないでしょう。それどころか実際の父親ではなく、彼のイメージ上の父親である事 ( それはハリーや母親にも共通する事ですが ) は大いに問題がある事なのです。というのも彼は実際の妻や父親と上手く付き合えなかった過去 ( 彼はもっと甘えたかったといえます ) をやり直す事で、自分の孤独を解消するという享楽を選んでいる だけだからです。

 

ここには人類への普遍的愛が描かれているどころか、クリスという個人の享楽に浸る姿が示されているという意味で、自分の理想 ( 人類愛に触れたりしているが ) を裏切る映像を作るタルコフスキーの恐るべき作家性が垣間見れるのです。

 



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