It ( Es ) thinks, in the abyss without human.

Not〈 I 〉 but 〈 It 〉 thinks, or 〈 Thought 〉 thinks …….

▶ 映画『 ゴジラ 』( 1954 : directed by 本多猪四郎 ) を哲学的に考える〈1〉

 

公開  1954年 ( 昭和29年 )
監督  本多猪四郎
脚本  村田武雄 本多猪四郎
原作  香山滋
製作  田中友幸
出演  宝田明  ( 尾形秀人 役 )   河内桃子  ( 山根恵美子 役 )
    平田昭彦 ( 芹沢大助 )     志村喬   ( 山根恭平 役 )

 

Chapter1  ゴジラとは何なのか、という問題

A.  ゴジラとは何なのか? これこそ批評家たちを悩ませ幾つもの解釈を提示させてきたという意味で、この問いを考える事こそ、このゴジラ第1作目の哲学的意味を明らかにする事に繋がる。それはゴジラがたんに怪獣、あるいは神 ( "GOD" ZILLA ) 、という具体的対象である事に留まるのではなく、様々な解釈を引き寄せる抽象的対象である事も意味する。この 具体的でありながら抽象的でもある二重の対象 は、シリーズ2作目以降は明らかに子供ファンへの商業的接近路線によって分かりやすい具体的対象 ( キャラクターデザイン的対象 ) へのその比重を強くした為に、抽象的意味はほとんど失われてしまった。第1作目におけるこの 具体=抽象の二重性こそがゴジラの存在をミステリアスなものに仕立て上げていた事 を考慮すれば、この失われた抽象性を哲学的に考える事こそが初代ゴジラの存在がいかなる要素、いかなる論理、で成立していたかが明らかにするはずです。

B.  では初代ゴジラのみが保持していた抽象性とは何なのでしょう。言うまでもなく、それは怪獣という生物でありながらも、それが "何らかの象徴性" をも同時に帯びているという意味での "脱-生物的存在" である という事です。では、その何らかの象徴性とは何か。それはこれまでのゴジラ批評で見られてきた幾つかの事象に分けられる。
B-1.  まず第1は、アメリカのビキニ環礁での1954年の水爆実験により第5福竜丸が被爆したという当時の背景が反映された、水爆被害の象徴である という最も基本的なものです。ゴジラはまさにその影響で誕生したという 原型設定がそこに由来する のは周知の通りですね。
B-2.  第2に、これこそ最も問題含みであるのですが、上の B-1の水爆被害も含めた大掛かりな普遍性かつ同時に大雑把な一括りな粗雑性でもある 戦争の象徴である というものです。これにはかなり注意を要する解釈です。というのも、そこにはすぐに短絡的に戦争に賛成なのか、それとも反対なのか、というイデオロギー的区別が持ち込まれてしまい、戦争事象の諸々の内部要素について考える事を困難にする "大衆的全体主義性" が現れているからです。これについてまた後で詳しく考えましょう。
B-3.  第3は、数あるゴジラ批評の中でも最も興味深い、加藤典洋による "ゴジラ=亡霊論" です。

 

 それは、ゴジラは、なぜ南太平洋の海底深く眠る彼の居場所から、何度も、何度も、日本にだけ、やってくるのか、という問いである。〈 中略 〉。

 その理由は、ゴジラは、亡霊だからである。テクスト論的な立場から第一作『 ゴジラ 』を見ると、このテクストは非常に多義的に私たち観客に働きかけてくる内実をもっている。ゴジラの意味は単一ではない。しかし、その意味の多元性をささえる基本的な意味像があり、それは、ゴジラが亡霊であること、ゴジラ第二次世界大戦の日本における戦争の死者、より具体的には戦場に行ってそこで死んだ死者たちの相同物 ( 体現物 ) にあたっている可能性を、示唆しているのである

 英語、フランス語で、亡霊は "revenant" と書く。これは、フランス語で「 再来してくる者 」という意味である。思いを果たせずに死んだ霊は、亡霊となる。それは、天国に行けないまま、この世界に漂い、さまよっている。それは、機会があれば、自分のもとにいた場所、生きていたときに住んでいた場所に、帰ってくる。それを私たちは、再再来者=亡霊 ( revenant ) と呼ぶ。

 筆者の考えを言うなら、第一作の『 ゴジラ 』が日本人の観客に強く訴えた理由は、当時の日本人 ー いまもそうかも知れないが ー にとっての戦争の死者の多義性を、このゴジラという怪獣が、このうえなく見事に体現しているからである

 

"さようなら、『 ゴジラ 』たち" p. 148~149 『 さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて 』所収  加藤典洋 / 著 岩波書店 ( 2010 )

* 下線は引用者である私によるもの

この "ゴジラ=亡霊"第二次世界大戦における日本の戦死者の象徴であり、人によっては加藤の解釈を "英霊論" として考える人もいる。しかし、それを英霊と言い切ってしまうと、そこには国家規定による戦死者の全体的一括化が働き始めるので注意する必要がある ( 戦死者には兵士以外の一般人もいますからね )。だから、加藤も亡霊を英霊だと "直接的に" 言い換えたりはしないし ( 三島由紀夫の『 英霊の声 』に触れる形で間接的に言及はしているが )、戦争従軍者であった本多猪四郎自身も戦後は戦争における国家主導権力をあまり快く思っていない事を述べている。彼はインタビューで次のように言っている。

 

 これはね、ぼくが生きてきた歴史というものが、だいぶ影響していると思うんですよ。明治時代に生まれて、大正デモクラシーで育ってきて、いろんな戦争を経験してね、軍主導というものは絶対に危険だという考えがね

 

本多猪四郎ゴジラ 」とわが人生 』p. 128 インタビュー・構成 / 山本真吾 実業之日本社 ( 1994 ) 

* 下線は引用者である私によるもの

 

 人間というのは、お互いに関係しあいながらね。歴史がそういうふうに関係しあいながらするうちに、軍が主導するようところに流れていくと、ものすごい人間になって犠牲を強いるでしょ。その権力のためなら、みんな犠牲にしてもいいんだっていうかたちになる。これが怖いんであってね

 

前掲書 p. 130

* 下線は引用者である私によるもの

C.  さて、加藤のゴジラ=亡霊論が熟考に価するのは、では なぜ戦死者はゴジラとして日本に戻って来るだけに留まらず、日本を破壊しようとするのか、という問題が手つかずのまま残されているからです。加藤は、その問いにはっきりとした答えを与えていないので。彼は次のように言う。

 

 さて、ゴジラが再来し、戦後九年をへてようやく復興の緒についたばかりの東京の市街は再び破壊されて尽くす。ゴジラは高圧防止線を放射能の火炎を吐いてあっさりと踏み越え、品川から田町、有楽町方面へと進み、国電を踏みつぶし、東京の中心地を東京大空襲を思わせるスケールで破壊する。ゆっくりと動き、ときどき立ち止まり、苦しげに身をよじり、夜の中で咆哮するゴジラは、現在、この一九五四年の映画を見る目に、文字通り、「 自分がそのために死んだ国は、いま、どこにあるのだ? 自分の祖国はどこに行ってしまったのだ? 」と、嘆くかのようである

 

"さようなら、『 ゴジラ 』たち" p. 153 『 さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて 』所収  加藤典洋 / 著 岩波書店 ( 2010 )

* 下線は引用者である私によるもの

 

D.  加藤はゴジラの破壊行動を直接的な暴力ではなく、行き場を失った亡霊たちによる怨恨の象徴的具現化として考えている。戦死者との関係を絶って新しい社会を構築する日本に対して "一体自分たちの存在は何だったのか、自分達の事を忘れてしまったのか" と激しく訴えているという解釈ですね。おそらくその解釈は間違っていない。ただし、ゴジラの全てがそこに還元されるのかどうか亡霊の怨恨こそがゴジラの存在の最終審級であるかどうか はまだ考察の余地はある。それについて考えて行きましょう。

 

Chapter2  戦死者たちとの関係

A.  加藤は "ゴジラ=亡霊" について語った後、しばらくしてフロイト"不気味なもの" という精神分析概念を提示してゴジラについて語る。

 

 フロイトは、自分に身近なもの、親しいものが、いったん排除され、抑圧され、隠されると、それは「 不気味なもの 」として再来してくる、と言っている。フロイトは、ドイツ語で「 不気味な 」という意味のウンハイムリッヒ ( un-heimlich ) という形容詞が、その語幹に "heimlich" ( 英語でいう "famil-iar" あるいは "homely"、親しい、身近なの意 ) という、一見これと反意的な形容詞を含んでいることに注目した。〈 中略 〉。私たちに昆虫の死骸は不気味な感じを与えない。しかし、それが、魚になり、鳥になり、猫になり、やがて人になると、私たちの口から、恐怖の叫びがもれる。

 日本人にとってのゴジラが、アメリカ人にとってのキングコングと同様に、不気味で恐ろしいもの、しかし、いったん撃退され、殺されてみると、急激に安堵とともに、後悔の念とはいわないまでもある後ろめたさ、あるいは悲哀の感情を喚起する特別の存在なのは、それが、日本人にとり、"un-heimlich" なもの ー かつては親しかったが、いまは抑圧され、遠ざけられたものの、再来する形 ー だからなのではないか。

 

"さようなら、『 ゴジラ 』たち" p. 166~167 『 さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて 』所収  加藤典洋 / 著 岩波書店 ( 2010 )

B.  加藤はその "不気味なもの" を "ゴジラ=亡霊" の援用概念として持ち出している。しかし、亡霊の故郷への回帰行動は、生者は現実にはもうどうする事も出来ない、帰ってきたであろうという潜在的現実をただ受け止め眺めるしか出来ない、もう黙祷する事しか出来ない、というものなのです。つまり、亡霊の回帰それ自体は際限のないもの であり、その "終わり" は亡霊自身には考える事も出来ないし止める事も出来ない。ただひたすら回帰するだけなのです。この事は注意を要する。さて、加藤はこの亡霊の回帰行動を、戦死者たちとの関係を切った日本社会自身の反省性へと転換判断させ日本の存続の犠牲となった事を、平和と民主主義という新たな価値観に目覚めても忘れるべきではない と考える。

 

 もし戦後の日本社会が、戦争の死者たちと正面から向かい合い、自分たちと戦争の死者たちの間に横たわる切断面、ねじれを伝って、相手に繋がる、困難な関係性構築の企てに成功していたなら、ゴジラは、その根底において、もはや日本に何度もやってこなくともよい意味記号に変わったはずである。日本の戦後の知識人でもっとも戦中派としての問題にこだわり続けた思想史家の橋川文三は、二十三歳で敗戦を迎えたその八月十五日の思いとして、これから自分たちと戦争で死んだ仲間たちの関係はどうなるのだろう、と書いている。

 

前掲書 p. 168

 

そこでの死者は、いずれ、祖国を守るための尊い犠牲だった。どのように思想的に戦争に反対の人間でも、当時にあって、戦争で死んでいった人間に敬意を感じないことは、難しかったはずだ。しかし、戦争が終わると、事情は一変する。〈 中略 〉。一般の日本人は、新しい価値としての民主主義を受け入れない理由はないと感じただろうし、それまでの国家主義軍国主義の実態、八紘一宇の理想の浅薄さ、また大義名分と実態の落差を知らされた後では、とても戦前の価値をなお肯定するという気にはなれなかっただろう。その結果、宙に浮いたのが、戦争を生き残り、平和と民主主義という新しい価値の素晴らしさに気づいた戦後の日本人と、かつて聖なる戦争と目された戦争で死んでいった日本人、つまり戦争の死者との関係である。

 

前掲書 p. 169

 

 ところで、歴史が示すように、この問題に、日本の社会は、しっかりと正面から向き合うことをしなかった。日本人の多くも、時代をへるにつれ、浅く民主主義を倣うようになり、彼らに自分の「 与えられた民主主義 」を懐疑するという作法は、育たなかった。その結果、戦争の死者は、「 行き場のないもの 」、とても一様には考えられないもの、否定したらよいのか肯定したらよいのか、定かではないものに、なってゆく。やがて、どうしても直面しなければならないときには「 不気味なもの 」としてしか再来できないものに、それは、なりかわってゆくのである。

 

前掲書 p. 170

 

C.  以上の事からすると、"ゴジラ=亡霊" は一体何うを怒っているのかというと、国の為に戦死した自分たちの事を忘れるなという事になる、のですが、ここで拘るべき言葉は "忘れる" です。何を以て亡霊は自分らが忘れられたと感じるのか ( 亡霊はまさに忘れられない為に回帰する )、それは それまでの社会体制を捨て、敵であったはずのアメリカから与えれられた民主主義に基づく市民社会へと簡単になびいた という事に他ならない … のかもしれない。自分たちを殺したはずのアメリカに喜んで従うのか、という具合です。敗戦を境にしたこの風見鶏的な順応現象それ自体こそが、自分らの死を無駄にしているのではないか と亡霊は思い、忘れられたと感じる。それはまさに亡霊側の怨恨だともいえるかもしれない。しかし、それで納得する前に、まだ深く考える余地が残っている …… 。

[ 以下の記事に続く ]

 

 
[ 参考資料 ]
  本多猪四郎ゴジラ 」とわが人生 』 インタビュー・構成 / 山本真吾 実業之日本社 ( 1994 )
  『 さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて 』 加藤典洋 / 著 岩波書店 ( 2010 ) 
  今ひとたびの戦後日本映画 』 川本三郎 / 著 岩波書店 ( 1994 )
  『 映画宝島 vol.2 怪獣学・入門 』 赤坂憲雄・他 / 著 JICC出版局 ( 1992 )
  『 グッドモーニング、ゴジラ 監督 本多猪四郎と撮影所の時代 』 樋口尚文 / 著 筑摩書房 ( 1992 )
  ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義 』 佐藤健志 / 著 文藝春秋 ( 1992 )
  『 別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本 』 洋泉社 ( 2014 )