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▶ サム・メンデスの映画 『 007 スカイフォール 』( 2012 ) を哲学的に考える

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■ 監督 : サム・メンデス

■ 公開 :2012年   

■ 出演 : ダニエル・クレイグ

    ハビエル・バルデム

     : ジュディ・デンチ

 

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  1. メンデスの作家性

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a.   007シリーズの通算23作目、ダニエル・クレイグの新ボンドシリーズとしては3作目『 スカイフォールは、英国人監督のサム・メンデスによって創り上げられた傑作といえるでしょう。では、どのような意味で傑作なのでしょう? その技術的作風によるものなのか? それともシリアスなストーリーによるものなのか? それとも英国的なものを漂わす娯楽性によるものなのか?

 

b.   確かにそうなのですが、決定的なのは50年以上続くボンドシリーズにおいて、伝統の中に埋没することなく( これは、もちろん伝統を無視する事ではない。サム・メンデスがボンドシリーズにおける "英国的なもの" を尊重し、そこに回帰しようとしているのは明らかでしょう )、自らの "作家性" という力量を示す事が出来たという意味で傑作なのです

 

c.   もっと分かりやすく言うなら、"サム・メンデスという監督名" が 『 スカイフォール 』という作品名とダニエル・クレイグという主演俳優に負けないくらい見る者の印象に刻まれ、前面に出る007の作品を創り上げたということですね。

 

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  . 伝統の中に埋もれてしまわないメンデス

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a.   通常、シリーズもの ( 特に007のような長い歴史を持つシリーズ ) では、各作品はいい意味でも悪い意味でも、その中に飼い馴らされてしまう運命にあります。しかし、強力な "作家性" を持つ監督はシリーズという伝統の中にいながらも、自らの創った作品の足元にその他の作品を従えさせてしまう程の強度を放つ事があります。メンデスが、そのような "作家性" を持つ監督の一人である事は間違いないでしょう。ただし、伝統の中で、そのような作家性を保つには、自分の考え方や方法にこだわる強力な信念を持ち続ける必要があったでしょう。

 

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   3. クリストファー・ノーランの作家性とその影響

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a.   その信念を後押ししてくれたのが、メンデス自身もその影響を公言したクリストファー・ノーランの作品バットマン ダークナイト です。これはよく言われるように、その重厚かつシリアスな作風だけではなく、クリストファー・ノーラン"作家性" も含めて考えるべきかもしれませんね。

 

b.   というのも作家性の強いノーランの商業的成功は、映画を創る者にとって、ファンとは違う意味で衝撃だったと思われるからです。つまり作家性とは、監督の権力が発揮しやすいマイナーな作品においてしか保たれないものではなく、メジャー作品においても保てることをノーランは証明したという事です。それは同時に、マイナー作品を創り続けることが、必ずしも作家性を保障するものではないことを意味します。

 

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 4. 作家性という概念の哲学的考察

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a.   ノーランの出現は間違いなく、それまでの作家性の概念をふたつの意味で更新したと哲学的にいえるでしょう。ひとつはメジャー作品でも作家性は保てるのだから、マイナーであることが必ずしも作家性を保障しはしない事。もうひとつは、マイナーな作家性から出発した者がメジャー作品をつくりあげてしまったがゆえに、メジャー概念の同一性 ( 作家性にこだわっていてはメジャー作品に挑めないというような ) を打ち崩してしまった事です。

 

b.   もちろんサム・メンデスも、このノーランの作家性の概念に連なる監督です。その意味で『 007 スカイフォール、そしておそらく次回の『 007 スペクターも、ノーランの【 バットマン3部作 】と同様に語り継がれる作品になるでしょう。

 

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 5. 絵画的構図とカメラポジション

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a.   そして、サム・メンデスを語る上で欠かせないのが、よく言われる "絵画的構図の美しさ" です ( *1 )。余り気付かれないかもしれませんが、この絵画的構図を可能にしているのが、"カメラポジションの安定性" ですね

 

b.   つまり、絵画的構図とは、それを見る者の視線の動きを止めることであり、そのためにはカメラ・ポジションが安定していないといけない。"カメラポジション" に対して "カメラワーク" が勝っていては、見る者の視線の動きは落ち着かず、絵画的構図を味わうことが出来ないという事です。

 

c.   この "カメラポジションの安定性" が抜群のサム・メンデスが007というアクション要素の大きい映画の監督を引き受けた時、アクションをどう表現するのだろうかと思ったのですが・・・・・

 

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( *1 )

a. 絵画的構図の最たる例が、メンデスの監督デビュー作である『 アメリカン・ビューティー ( 1999 ) 』 における以下のショットでしょう。レスター ( ケヴィン・スペイシー ) の妄想の中で、大量のバラの上に横たわるアンジェラ ( ミーナ・スヴァーリ )。

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b. ちなみに『 アメリカン・ビューティー 』では、娘のチアリーディングを見に行くレスター ( ケヴィン・スペイシー ) とキャロライン ( アネット・ベニング ) の車の中での会話で 007 の話が出るシーンがあります。サム・メンデスの007好きが分かりますね。

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 6. アクションとカメラポジション  

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a.   それに対してメンデスは『 スカイフォール 』で答えを示しました。アクションシーンでさえも、"安定したカメラポジション" で収めてしまったのです。どういう事かというと、あるアクションの運動性を捉えようとしてアクションを追いかけるような "カメラワーク" に向かうのではなく、逆に安定した "カメラポジション" によるフレーミングの中にアクションをいかに表現していくかという方法をとったという事ですね。

 

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 7. フレームの映画作家

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a.   この意味で、メンデスは何よりも "フレームの映画作家" といえます。安定したフレームこそ、観客が映画を覗き込む為の視線の誘導口なのです。

 

b.   ただし、それはフレームの中に表現される内容次第にかかっています。メンデスは、それをカメラワークによって成し遂げるのではなく、"絵画的構図"によって、自らの作品をまさに "フレーム( 額縁 )によって縁取られた絵画" として観客の目を楽しませていることに成功しているといえるでしょう。

 

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 8. フレームの哲学的考察

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a.   では、このフレームを "作品という内部""それを見る外部""境界" に位置するものと哲学的に考えて見ましょう。普通に考えたらフレームとは作品を際立たせるために作品を縁取る飾り的なものであり、"作品に付属するもの" とみなすでしょう。

 

b.   しかし、この "フレーム" は外部からの視線のために予め与えられた、より覗き見るための "窓枠" といえます。これは、観客の視線に晒されることを先取りしている、つまり、作品完成後の観客による鑑賞という事後の行為を、事前に先取りした結果としての形式的装置なのです。

 

c.   なので観客は、作品の見方を予め秘かに与えられていて、無意識的にそれを受容れているのです。観客がどんなに自発的に作品を見ているつもりでも、その作品は既に監督または撮影監督の見方が嵌め込まれているので、私達は彼らのフィルターを通してしか作品に接する事が出来ないという訳です。

 

d.   もっといえば、作品のストーリーを追う以前に、既にストーリーの追い方自体( 結局の所、私達は映像を目で追いかけるしかないのですから )を気付かないうちに与えられているということなのです。

 

e.  ゆえに "絵画的構図" を得意とするメンデスは、フレームをどう使えば、観客の視線をコントロールして作品に釘付け出来るかを知っている。その絵画的構図は、観客の視線を可能な限り画面の中に引き込んで、作品の中に同化させる力があるといえるでしょう。

 

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