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Life Without " Thinking " ・・・ Is Nothing!

〈 考える事 〉をしない人生なんて・・・〈無〉やね。

【 かつて格闘マシーンとして見る者を熱くさせた黒澤浩樹は晩年、懐の深い人間になっていた・・・・・。】

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■ 元極真空手聖心館空手道館長の黒澤浩樹氏が2017年3月25日、急性心不全のため、亡くなられました。享年54才。早過ぎる死です・・・。極真時代は、1984年の第16回全日本大会で初出場・初優勝して以降、松井章奎(国際空手道連盟・極真会館館長)・増田章(IBMA極真会館主席師範)と共に、三強時代を築き、その強烈な下段回し蹴りは黒澤氏の代名詞となりましたね。極真での大会出場を退いた後は、PRIDE.1に参戦(1997年)し、大山総裁の死去による極真会館分裂騒動では、松井派に所属したものの、松井氏との対立から独立して実戦空手黒澤道場を起こしました。その後、Kー1にも参戦(2000年)し、2011年には、黒澤道場を聖心館空手道に改名し後進の育成に当っている所でしたが、膝の手術後のリハビリの最中に亡くなられたという訳です。

 

■ 少なくとも、現在40代半ば以降の方なら、黒澤氏の全盛期であった極真時代における激しい戦いぶりをリアルタイムで体感し、熱い思いに駆られた事でしょう。〈格闘マシーン〉とは、その時期に付けられたニックネームであり、氏のパブリックイメージを確立させるものでしたね。ただ、今回は、氏のそんな格闘マシーン振りを示す詳細は他所に譲るとして、吉田豪によるインタビューを紹介する事によって、氏の晩年の人間性の一端を垣間見る事が出来るのではないかなと思います。

 

■ 中年以降のある程度長く生きてきた人ならば分かるでしょう、人間って、1つか2つのイメージで語りつくせる程単純な生き物ではない事を。つまり、格闘マシーンのイメージは黒澤氏の全てではなく、黒澤氏の1面なのであり、それ以外に日常を生きる人間性が当然あるという事ですね。このインタビューで分かるのは、彼は格好をつけて自分のパブリックイメージに固執するどころか、もはやそんな事にはこだわらず、インタビューを楽しみながら、ざっくばらんな自分の姿をさらけ出す懐の深さを見せてくれているという事です。

 

 

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吉田豪による黒澤浩樹へのインタビュー

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■ プロインタビュアーの吉田豪といえば、それこそ何人もの芸能人・著名人などにインタビューされているのですが、雑誌「BUBKA2015年6月号」の" BUBKA流スーパースター列伝 "というインタビュー連載で黒澤浩樹氏に登場してもらっています。今から約2年前。吉田氏の絶妙なインタビューによる黒澤氏の饒舌ぶりを読むと、氏の晩年における最後の本音のインタビューだったといっても過言ではないでしょう。

 

■ それにBUBKAってサブカル雑誌だから、そっち系に興味のある人じゃないと、読まないだろうし、黒澤氏へのインタビュー自体も、現時点では吉田氏の単行本には未収録という事もあるので紹介しておく事にしましょう。

 

以下、インタビューからの抜粋。

 

■ 冒頭の部分。黒澤氏、しょっぱなから自分の変化をあっさりと認めてますね。

( 吉田 ) 黒澤先生は現役時代からインタビュー嫌いという噂が流れていたわけですけど・・・・・。

( 黒澤 ) フフフフ、噂だけですけどね(笑)。

( 吉田 ) え!単なる噂だったんですか?

( 黒澤 ) 昔はそういうところがありましたね。〈 中略 〉最近、人あっての自分なんだと思えるようになってからはずいぶん柔らかくなって。 

 

( 黒澤 ) 〈 中略 〉 空手の世界もこれだけグチャグチャになって、独立して自分で道場やるとなると、毒もずいぶん飲まなきゃいけないので。簡単に言うと丸くなったというか、人間らしくなったというんですかね。なので、よっぽどのことがない限りはふつうに取材も受けます。

 

( 黒澤 ) 〈 中略 〉だからそういう意味では、極真を辞めてからのほうが内面的なところで鍛えられました。極真会館にいたときは大きな組織にいたぶんだけ大きな試合にも出られましたんで、そこで肉体的な部分を育てたと思うんですけど、辞めてからのほうが、ある意味不合理というか、毒はしょうがないから飲むしかない、みたいなことをやってたんで。      

 

正道会館との過去の確執や大山総裁についても触れてます。総裁の口癖をマネする黒澤氏。こんなに楽しい人だとは・・・。

( 吉田 ) 昔は、佐竹雅昭さんが女性の裸が出ている雑誌に出てただけで激怒したけれど(笑)。

( 黒澤 ) あの頃はホントに・・・・・子供だったんでしょうねぇ。やっぱり正道会館のあり方と、自分がいたときの極真会館のあり方は真逆にあって。「黒澤さん、そんなこと言ったって正道はこうなんですよ」とか「極真はこうなんですよ」とか、いろんなことを言われたりすると、俺はずいぶんきれいなところだけ見てやってたのかなって。

 

( 黒澤 ) 総裁と食事したとき、佐竹さんがまだこっちで稽古したりしてた時期で、佐竹さんと街ですれ違ったことがあるんです。「こっちは挨拶したんですが、向うは何も返さなかったんです」って言ったら、「君ィ、どうしてそこで叩きのめさなかったんだ!」と。

( 吉田 ) ダハハハハ!「それが極真だ」と。

( 黒澤 ) 「やらなくちゃダメだよ!」「それが極真だよ!」みたいなことを、総裁が亡くなる1年前、池袋の中華料理屋で言われて。まだそんなこと言っちゃうのか、言っちゃってもいいわけ?みたいな(笑)。

( 吉田 ) 90年代にもなってまだ(笑)。

( 黒澤 ) 緑健児が優勝して自分と増田章が呼ばれたときですよ。「君ィ、そういうときは、その場で叩きのめさなきゃダメだよ。なんでやらなかったんだ、だから君は世界チャンピオンになれなかったんだ!」と(笑)。

( 吉田 ) ダハハハハ!そのせい(笑)。

 

■ 他人が抱く自分のイメージについて

( 吉田 ) この辺りで話を戻すと、これまでに黒澤さんの本を出す人もいたけれど、そのお金は全然入ってなかったってことなんですかね。

( 黒澤 ) そうですね。本を書いていただいたときにはその人なりの黒澤浩樹像みたいなものがあるんですけど、それも主観なんですよ。

( 吉田 ) その黒澤浩樹像とズレてくると、向うはモヤモヤしてきたりもするわけですよね。

( 黒澤 ) 簡単に言うと、気に入らないんですよ。「こうじゃないと黒澤浩樹じゃない」って。 

( 吉田 ) 黒澤浩樹は取材嫌いでニホンオオカミみたいな極真空手家のはずなのに、どうしてPRIDEとかKー1に出てるんだよ!って。

( 黒澤 ) そうなんですよ。自分はイメージをすごく持たれやすいんですけど、くだらないことにこだわらないでいかなきゃなって。だから、組織が分裂してまたくっついてとか見ても、好きにやったらいいんじゃないかとか、もう極真にこだわらないで自分の腕で築き上げていったほうがいいのにとか、そんなふうに思った時期もあるんですけど、いまはそういうことすらも気にならなくなって。

 

■ 試合に勝てなくて多摩川と横浜港に飛び込んだ話とかも。凄すぎる。そんな空手家が他にいるのか!しかし・・・人間そう簡単には死なないという話なのですが、黒澤氏の早過ぎる死という事実が訪れた今となっては、複雑な思いを抱いてしまいますね・・・・・。

( 黒澤 ) 生徒とはいろんな話をするんですけが、「おまえら死ぬ死ぬってよく言うけど、人はそう簡単に死ねないよ」と。〈中略〉全然勝てないんで、もう死んでやれと思って多摩川に道着を全部投げ捨てて、自分も多摩川に飛び込んだことがあったんですよ。ところが、飛び込んだら、あまりにも冷たいんで、「死んじゃう死んじゃう!」って言いながら勝手に泳いで岸まで出てきて、そして「死にそうだ、死にそうだ!」って震えてタクシーに乗って家に帰ったことがあるんです(笑)。

( 吉田 ) 体力があればなんとかなる(笑)。

( 黒澤 ) 人間ってよっぽど腹が据わってないと、気がついたときには防衛本能が働くから、そう簡単に死なないよ、と。それから何年かして、今度は横浜港に飛び込んだんです。

( 吉田 ) えぇーっ!!

( 黒澤 ) それも12月なんですよ。バーンと飛び込んだら、やっぱり寒くて。なおかつ、川と違って海は潮があるから余計に冷たくて、そのときもやっぱりタクシーで帰って(笑)。

 

( 黒澤 ) 〈中略〉「だからそう簡単に死ねるもんじゃないよ。ということは、相当根性がないと自殺できないよ。おまえら死ぬだけの根性はあるのか?中途半端になると苦しいぞ。だったら乗り越えろ」と生徒に言うんです。死ぬ気でやるってことは大変なんだけど、でも死なないから。そう言うと、なんか納得してるみたいなんですよ。もしかしたら自分はそういうことを言うために、神様に試練を与えられてたのかな、と。

 

■ トレーニングについても話しています。黒澤氏の現役選手時代、筋トレのスクワットで確か330か340kgを挙げた時、膝はバキバキと音を立て、毛細血管が切れて鼻血が出たというエピソードを記憶していますが、そんな話を聞くと、もはや数字で示される筋力の凄さを超えた精神的なものの強靭さを感じてしまいますね。

( 吉田 ) 常にオーバーワークでしたもんね。

( 黒澤 ) 何かもがオーバーワークで、オーバーワークじゃないと安心できない。怖がりもあると思うんで。だから血尿が出ないと安心できない。よくないですけど。だから砂袋を蹴ると毛細血管が切れてそれがオシッコから出るだけだったんですけど、でも頑張って蹴ったりとか。でも、辛かったことと楽しかったことだと、辛かったことのほうが人はみんな記憶に残っている。たぶんそれが人間の成長の糧になってると思うので。だから、「俺なんか勝ってる試合も負けにさせられたよ、指がグチャグチャになったよ」って言いますけど、でもそれもう1回やってみろって言われたら、「もういいです」ってなるので。だから、格闘技の本なんかで「そういう思いをしたのは極真で黒澤さんだけですよね」って言ってくれると、ちょっと心のなかでは「そうそう、俺ってすごいでしょ?」っていうのがあるんですけど(笑)。

 

■ 失われていない闘志

( 吉田 ) 考え方が変わってきたんですね。

( 黒澤 ) でも、やっぱり奥底で眠っている・・・・・グローブを着けてスパーリングやっているときは、いまだに叩かれたら倍にして返すみたいなのはちゃんとあるんだな、と。根底には打たれたら3倍返し、5倍返しみたいなところはあるんだけど、でもそれを表に出すんじゃなくて、それがエネルギーとなっていけばいいんで。 

 

■ 自分の哲学についても語っています。ここでの話しは興味深いものになっていますね。人間歳をとって丸くなると、周囲の人としゃべるし、周囲の人の方からも話しかける程、馴染んで溶け込んでいく・・・黒澤氏はこれを "空気のようになる" と表現しています。こうなると人は周囲から浮き出る豪傑のような存在にはならないはずだ、と黒澤氏は語っています。多分、昔の黒澤氏ならば、むしろ、周囲に馴染まない豪傑のような存在の方に惹かれていたのかもしれないのに、晩年にはそうじゃないよ、というその哲学。黒澤氏の全盛期を知っているならば、驚きを覚える人もいるかもしれません。でも、そこには人間とはやはり周囲との関係性の中で生きていく動物なんだ(※1)、という事を客観的に分析出来る程の心境に達している晩年の黒澤氏がいるという事です。もちろん、そんな事を弱い人間が言ったって、説得力がないけど、幾多もの激戦の中を生きてきた黒澤氏の言葉だと色々と考えさせるものがある事は間違いないでしょう。

( 黒澤 ) 「英雄色を好む。いくつになってもいい女をはべらしてないと男は強くなれないよ」って総裁は言ってましたけど、自分としては違うよ、と。それはある程度までいくと、そういう欲はどんどんなくなっていってホントに丸くなる。そして空気のようになってきて、いつまでもこの人と話していたいなっていう気持ちになるから豪傑にはならない。総裁も歳をとって、90とか100歳くらいまで生きてらしたら、そういうふうに変わったかもしれない。

 

■ なんとVシネマについても語る。この辺はかなり面白いです。

( 黒澤 ) 仁義なき戦い』はバイブルでした。何年か前に久々に観たんですけど、俺なんでこんなのにハマッたのかなって(笑)。

( 吉田 ) 極真の人があれにハマるのはわかるんですよ。極真っぽい部分がありますからね。

( 黒澤 ) そう!ありますよね。あれを立て続けに観て、小笠原(和彦)先輩とかとそういう話をしてたなあ・・・・・。〈中略〉・・・、『首領への道』っていうVシネマのシリーズがあって、俺もこんなのに出て関西弁で演技してみたいなと思って、それでいろいろ頼み込んで。

( 吉田 ) 自分から頼んだ!

( 黒澤 ) ちょうどK-1の試合が一段落したときに、田代まさしさんがVシネマの仕事をやってて、『広島四代目』っていうVシネマの親分役で出てくれって言われたんですよ。で、行ったら田代さんに「黒澤さんじゃないですか!黒澤さんが来るんだったらもっといい役をやってもらいたかったです」と。加藤雅也さんとか、共演者もみんな空手とか知ってるんで、「なんで黒澤がいるんだ!?」みたいな感じで。言えないじゃないですか、「自分、ちょっと出たかったんですよ」って(笑)。ミーハーって思われちゃうから。だから「いや、ちょっと知り合いにどうしてもって言われたんで」って感じで。

 

■ プロレスの話も。長州力が好きだったとは。

( 吉田 ) 初出場で初優勝した84年の全日本大会の直前に、藤波と長州の試合を観ていた、みたいな話も本に出てましたね。

( 黒澤 ) ああいうのもすごく共鳴しましたね。

( 吉田 ) 共鳴してたんですか!

( 黒澤 ) 共鳴しましたね。そのちょっとあとに長州さんが独立して。ウチの兄貴が銀行員だったんで、たまたま「浩樹、いま俺、五反田支店でジャパンプロレスと取引があるんだよ」って、チケットをよくもらって観に行ったりとかして。長州力、大好きだったですね。だから変にプロレスを否定することもないし。

〈中略〉

( 吉田 ) しかし、黒澤先生がこんなに饒舌だとは思わなかったですよ!びっくりしました!

 

 

 

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(※1)

これに対して『 誰も学ばない、誰も知ろうとはしない、誰も教えない。一孤独に耐えることを。孤独に耐えてこそ、それを真の武士道という。』という黒澤氏の言葉がありますが、もちろんこれは "精神的な" 意味で解釈すべきであって、物理的に孤独になるような振舞いをする事を意味しないのは言うまでもないでしょう。

 

 

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【 レンブラントからジュネへ 1. 】

■ 思想 ◆マイナーBOOKS

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新潮文庫の『泥棒日記』で有名なフランスの作家ジャン・ジュネが1967年に発表したレンブラント〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉は小作品でありながら、ジュネの独特な哲学的思考によって、青年期を抜け出した自らの人生を、お気に入りの芸術家レンブラントと絡み合わせながら織りなした美しい傑作だといえるでしょう。現代企画室から鵜飼 哲による訳で出版されている『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に所収されているこの作品について、今回は考えてみますね。 

    

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                                 ジャン・ジュネ (1910 ~ 1986)

 

一般的に知られているジュネの相貌は老年期のものなので、その老成した男が男娼であったという事実を信じられない人もいると思います。しかし、この若かりし頃のジュネを見ると、普通の青年であった事が分かるでしょう。最も、自分がイケメンでない事はジュネ自身も認めていましたが。しかし、服の着こなしを見ると洒落た所もあり、そこはフランス的なものを感じますね。この写真では、コートの襟を微妙に立てるという小技を何気なく使っている。完全に立ててしまうと、やりすぎ感が出てしまうのですが、このバランスが格好いい。当時、ジュネと近かったジャン・コクトーやジャン・ポール・サルトルなどもスーツ姿が決まっていました。ひらたく言うと、格好をつけていただけという訳ですが、着こなし(単に高い服を着るという意味ではないけど)に無頓着な知識人よりも、普通にそれが出来る方が〈センス〉が感じられて僕的には好感が持てます。

 

 

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1. 『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』という長すぎるタイトルについて

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f:id:mythink:20170330232931j:plain この長すぎる異様なタイトルについては、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』の訳者、鵜飼 哲による訳者付記を参照しましょう。サーカスの綱渡り芸人だったアブダラが自殺した事(1964年)にショックを受けたジュネ (アブダラはジュネの恋人だった) が、当時書いてあったレンブラント論をすべて破棄し、便器に流してしまったという。この話は、作家ゴイティソーロの妻がジュネのアシスタントをしていた時に、彼に語ったものらしいのですが、実際に便器に流してしまったかどうかは微妙だなと個人的には思いましたね。だってある程度の分量の草稿を破って実際に流すととしたら、詰まってしまうでしょう・・・。まさか、詰まらないように毎日、小分けにして流すマネなんてしないだろうし。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain なぜ、こんなつまらない話をするのかというと、〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉というタイトルは、テクストの実際の成立過程とは逆の地点、つまりその後の〈未来〉から投げ込まれたものですが、〈過去〉の時点で作品になるかどうかも分からない草稿が果たして、その〈未来〉を待っていたかどうかという哲学的推理をしようとするならば、草稿が破られて便器に流されたという話を実際のものとして即物的に受け止めていては、その試みは難しくなるからですつまり、草稿が破られて便器に流されたという話は、たとえそれが実際の話だとしても、〈象徴的なもの〉として理解される必要があるという事ですね。

 

 

2.『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』の成立過程への哲学的考察 Ⅰ.

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f:id:mythink:20170330232931j:plain それではテクストの成立過程を見ていきましょう。そもそもは、レンブラントについての草稿から抜粋された2つの文章が、アブダラの自殺による破棄〈以前〉アルジェリア戦争中(1954~1962年)に、ある雑誌に別々のテクストとして〈既に〉発表されていたという経緯がまずありました。その後、アントナン・アルトー全集の編集者だったポール・テヴナンがジュネの2つの文章の事を思い出し、前衛文芸雑誌『テルケル』に発表する事をジュネに提案し、その際、2つの文章が同じ頁上に2つの欄としてあるという特異な形式で掲載される事になった(1967年)という訳です。〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉というタイトルも、その時に付けられという。こう書くと一見、違和感のないストーリーのように思えますが、幾つか考える点がありますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain まず、レンブラントについての草稿から2つの文章が抜粋された、という言い方だと、まるで〈1つ〉のテクストの草稿から2つの文章が抜粋されたかのような印象を受けますね。しかし、この見方だと、草稿は形式的には、〈1つのもの〉として〈既に〉完成されていたという事になります。〈1つのもの〉として〈既に〉完成された草稿から2つの文章を抜粋して、わざわざ別々の文章として、発表するだろうか(編集者の介入の仕方という問題が仮にあったとしても)という疑問が起きますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そうすると、次のように考える事が出来ます。〈1つのもの〉としての草稿は完成されていなかった。2つの文章を抜粋する事が出来るというのは、草稿が幾つもの断章の集まりに過ぎなく作品として完成されていなかった、と。よくある話ですね。そして、この未完の草稿が数年後の1967年に『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』というタイトルを与えられて完成されたと考えれば、魅力的な話だといえるでしょう・・・。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし・・・〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉も、それ以前に発表された2つの文章も、基本的には、同じもの。それ以前に発表された2つの文章は、アルジェリア戦争中(1954~1962年)のものであり、『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』は1967年の発表。その間の1964年にアブダラの自殺があった訳ですが、ジュネがショックを受ける程の事件であったにも関わらず、その前後に発表されたテクストが同じであるとは、どういう事なのか・・・。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain つまり、それが意味する所は、アブダラの自殺(1964)により、ショックを受けたジュネがレンブラントについての草稿を破り捨てたものの、それ以前に発表されていた(1954~1962)2つの文章が、草稿の〈残り物〉として、後年、〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉(1967)として陽の目を見る事になったというストーリーには矛盾が見られるという事です。

なぜなら、草稿が破り捨てられる以前から、テクストは2つの文章でしかなかったからです。もし〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉が、2つの文章という形式にこだわらないものであったなら、草稿の〈残り物〉としてジュネが思い出しながら書き起こしたかもしれないと考えられるのですが、『小さな真四角・・・』は、その特異な形式から分かる通り、以前に発表したままの2つの文章という形式への強いこだわりが見られます。これは草稿の〈残り物〉どころか、草稿〈それ自体〉であるとさえ言えるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain という事は〈残った物〉とは、直接的な意味で草稿の事ではない(全く関係ないという訳ではないが)と考えるべきです。〈破棄〉という言葉に囚われ、〈残った物〉を草稿と解釈するのは、1967年のテルケル掲載時の完成形テクスト『小さな真四角・・・』からの過去への遡及的投影に他ならないでしょう。1. でも言及したように、それでは即物的過ぎるのです。『小さな真四角・・・ 』は、アブダラの死による草稿破棄というストーリーを主軸として解釈するのではなく、もっと別様に、より〈思弁的〉に解釈する必要があるように思われますね。

 

 

3. 『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』の成立過程への哲学的考察 Ⅱ.

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f:id:mythink:20170330232931j:plain では、別様に解釈するにはどの点から考え直すべきでしょう。〈残り物〉が草稿ではないとしても、それならば、その草稿をどう位置付けるべきなのかという問題が残りますね。〈残り物〉についての思弁的考察を行う上で、草稿は〈残り物〉存在論に思考する為に必要な最低限の実存的基盤であるからです。つまり、〈残り物〉について考えるには、〈草稿〉との関係性も未だ考える必要があるという事です。この〈草稿〉が、形式的にどのようなものであったか、未完成の断章であったのか、は実際の所、分からないと言う事しか出来ないでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし、〈残り物〉存在論的に思考する上で、〈草稿〉を実存的に確定する事の出来る1つの可能性がありますね。それは、〈草稿〉〈既に〉発表されていた。それこそ、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に同収されているテクスト、レンブラントの秘密〉(1958年発表) だと、僕は推測します。あくまで、推測ですけどね。もちろん、〈草稿〉の〈全て〉が発表された訳ではない。〈草稿〉の内、発表されたのが〈レンブラントの秘密〉であり、残りは発表されていない。それこそが、あの2つの文章、今日では〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉と呼ばれているものですね。つまり、そこにあった〈物たち〉とは、1つの作品になろうとしたものの、そこに収まりきれず分裂し増殖した〈草稿たち〉であったという訳です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain それらの短い草稿をひとつのものとしてまとめる事が出来なかった事は、ジュネの整合力の無さによるというより、それこそがジュネの特徴であるとさえいえるのです。つまり、至る所に生え、至る所から繁殖していく、〈思考〉の雑食性が彼の中にはあるのであり、それはストーリー性のあるはずの小説だろうと、おかまいなく忍び込んで、〈雑草〉として自らを増殖させていくという極めてドゥルーズ的なテーマの最たる例となっていて、彼の小説の中に見られる思弁的叙述がその事を物語っていますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そう、ジュネの中では、〈思考〉はアカデミックに育まれたものとしてあるのではなく、〈思考〉が〈雑草〉として生活の中で繁茂して、その生域を確保していたという訳です。ジュネにおいて〈思考〉の実存的形式は、〈雑草〉に他ならなかった。ジュネにおける哲学的思弁性の由来を問う声がありますが、それは〈雑草〉の由来を問うのと同じくらい、意味の無い事でしょう。〈雑草〉は気付いたら、至る所にいつの間にか生えている。それが示す哲学的様態は、ドゥルーズの言う所の〈中間的なもの〉に他ならない。それは何処にも属さない。まず思考する事から始めるのではなく、何処に向かうのでもなく、〈中間的なもの〉に留まり、そこを住処とする事。その時、人は〈思考〉の最中にいる。この〈中間的なもの〉は、後ほど述べますが、ヘーゲルとの比較において大きな意味を持つと言えます。

話を戻すと、勝手に増殖していく雑草性のために、ひとつにまとめる事ができなかった事例が、レンブラントについての幾つかの草稿であり、分かりやすい解釈を許さない小説作品だったという事になるでしょう。

 

 

 

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次回へ続く

 

 

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【 僕を楽しくさせるカルト映画〈 ザ・ヤクザ 〉】

■ CINEMA【カルト】

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公開1974年 監督シドニー・ポラック 原案:レナード・シュレイダー

脚本ポール・シュレイダー、 ロバート・タウン

製作総指揮俊藤浩滋

出演高倉健 ( 田中健 ) ロバート・ミッチャム ( ハリー・キルマー )

  :ブライアン・キース ( ジョージ・タナー ) 

  :ハーブ・エデルマン ( オリヴァー・ウィート )

  岸恵子 ( 田中英子 ) 岡田英次 ( 東野 )

      :ジェームス繁田 ( 田中五郎 "健の兄" ):郷 鍈治 ( スパイダー "五郎の息子" ) 

      待田京介 ( 加藤二郎 )

 

 

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 『 ザ・ヤクザ ( The Yakuza ) 』 というタイトルが示すように、田中健( 高倉健 )とハリー・キルマー( ロバート・ミッチヤム )という違う国の男同士の関係をヤクザ(というより任侠と言った方がいいでしょう)の世界における "義理" という概念で現し、その世界を垣間見せようとする映画です。今回はこの映画について考えていきましょう。

 

 

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1. 任侠イデオロギーとしての〈 ザ・ヤクザ 〉

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 〈 ザ・ヤクザ 〉に対するよくある反応は、監督がアメリカのシドニー・ポラックだという事だけで、外国人が作った割りには良く出来ているとか、所々で過剰な演出はあるものの任侠というものの扱いが結構分かっているとか、いう所でしょう。もちろん、このような見方は日本的なものを扱う外人に対する日本人の見方です。外人だけど結構、日本の事分かってるね、という感じですね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし、この外人が日本人であれば、日本的なものを扱う日本人という訳で、日本の事を分かっているのは当然だという事になりますね。何が言いたいかというと、この映画の製作に当って、シドニー・ポラックが自分色に染める事が出来た部分は僅か(シドニー・ポラックの映画を見たことがある人なら、この映画には僅かしか彼のカラーを見出せないと思うはず)であり、大部分が日本の、いや東映の任侠的イデオロギーで占められているという事です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain その東映任侠的イデオロギーの中心にいたのが、東映の任侠映画製作の筆頭であった俊藤浩滋(この映画においては製作総指揮)と、原案がレナード、脚本がポールの、日本通のシュレイダー兄弟であり、撮影場所もまさに仁侠映画にふさわしい東映京都撮影所であった(すべての撮影という事ではないですが)という訳です。この任侠的イデオロギーの要素の強調を果たして、シドニー・ポラックが望んでいたかどうかは微妙な所だと思われますね。この部分に関しては、やはり、俊藤浩滋がその豪腕でもって、シュレイダー兄弟と共に任侠カラーを強く主張した( ポラック、あるいは配給先のワーナーブラザーズに対して )と考えるべきでしょう。〈ザ・ヤクザ〉というポラックなら付けそうにもない露骨なタイトル、高倉健さんを印象付けようとする田中健という配役名、などにその一端が現れていますね。

 

 

2. フィルム・ノワールとしての〈 ザ・ヤクザ 〉

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f:id:mythink:20170330232931j:plain ではポラックは、どのような映画を撮りたかったのか、という仮定の話を考えてみるのも 面白いでしょう。ここで参考になるのが、もう1人の脚本家のロバート・タウンです。ロバート・タウンといえば、ロマン・ポランスキー〈 チャイナタウン(1974) 〉ブライアン・デ・パルマミッション:インポッシブル(1996)〉などで脚本を担当しているように、フィルム・ノワールやサスペンスものが得意ですね。特にフィルム・ノワールに特徴的な登場人物のモチーフである探偵、そしてファム・ファタール(運命の女)は、この映画に当てはまるといえるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain フィルム・ノワールの虚無感を体現する探偵役のロバート・ミッチャムファム・ファタール(運命の女)としての岸恵子ここにロバート・タウンを起用したポラックの狙いがあったするのは的外れではないでしょう。

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f:id:mythink:20170330232931j:plain ファム・ファタールの要素に、ポラック的手法である人間(男女)関係を交差させる事(代表的な所では、彼の映画である〈愛と哀しみの果て〉。ここでは田中花子を巡る夫の健とハリーの関係)によって物語を進行させるという特徴を加える事によって彼なりのフィルム・ノワール的映画を作ろうとしたといえるでしょう。

 

 

 

3. 任侠映画でもフィルムノワールでもなく・・・カルト映画としての〈 ザ・ヤクザ 〉

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f:id:mythink:20170330232931j:plain もちろんポラックの試みは中途半端なものになっているのは言うまでもないのですが、その要因は東映の任侠イデオロギーとの折合いが上手くいってない、いやそれどころか押し切られているという所にあるのはお分かりでしょう。ポール・シュレイダーとかは、ポラックのストーリー構築の手法(先に述べた人間関係の交差による物語の進行)が理解出来ずに、ラブストーリーを導入しようとしていると非難したくらいですから。しかしポラックによる田中花子を巡る健とハリーの複雑な関係性がなかったら、この映画は単なる海外向けの東映任侠映画でしかなく、ポラックが監督をする意味は全く無かったでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そんな状況でもポラックは、東映任侠イデオロギーと折合いを付けるべく、田中健とハリー・キルマーの関係を、ハリーが健に感じた負い目 (健を花子から遠ざけ、彼の娘までを死なせてしまった事) を清算すべく指詰めするという形で描き上げたというのは、仕方のない帰結だったのかもしれませんね。

目の前で健の指詰めを見ておきながら知らないふりをしても、日本の流儀の異文化性を浮彫りにするだけだし、かといってハリーが指詰めをしても、日本の流儀が似合わない外人の部外者性がつきまとうだけに終わったという難しさがそこに残る訳です。

 

     健さんの指詰めシーン。やはりサマになっています。

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ハリーことロバート・ミッチャム指詰めシーン。

痛さが伝わってこない・・・。やる気あるのかな(笑)。

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f:id:mythink:20170330232931j:plain この和洋折衷とでもいうべき〈ザ・ヤクザ〉は、映画の内容だけでなく、製作の舞台裏でも和洋間の微妙な力関係が働いていたわけですが、出演・製作者のほとんどが亡くなられた現在では、 この映画をひとつの娯楽作品として楽しむ事が適当なのでしょう。幾つかの力関係の中で作られてたこの映画は、年月の経過と共に視聴者にアナクロニズムを感じさせるものになっていますが、まさにそこを含めた〈カルト映画〉として味わう事こそが、ひとつの楽しみ方だという訳ですね。

 

 

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【 僕を哲学的に考えさせる映画〈 ヒメアノ~ル 〉】

■ CINEMA【サスペンス】

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公開:2016年  監督:吉田恵輔  脚本:吉田恵輔  原作:古谷実

出演:森田剛 (森田正一)  :佐津川愛美 (阿部ユカ)

  :濱田岳 (岡田進)   :ムロツヨシ (安藤勇次)

 

 

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オープニングクレジットが上映開始から43分後に出てくるという効果的な演出が凝っている〈ヒメアノ~ル〉。もちろんこれは、それまでコメディー的要素のあった前半の物語が、岡田進(濱田岳)と阿部ユカ(佐津川愛美)が結ばれている事を知った(部屋の外の森田にまで、行為中の声が聞こえている)森田が明確に岡田を殺そうと決めたのをきっかけとして殺人行為が満載になる後半へと切り替わっていく事を示していますね。

観る人によっては、森田正一の感情の壊れた殺しっぷりについていけないかもしれませんが(もしそうなら、そう思わせるだけ森田剛の演技が凄まじかったという事ですね)、この映画について哲学的に考えていく事にしましょう。

 

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1. 〈衝動〉によって結びつく〈性行為〉と〈殺人行為〉

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f:id:mythink:20170330232931j:plain この映画の最大の見せ場は、岡田と阿部による〈性行為〉と森田による和草浩介(駒木根隆介)と婚約者の久美子(山田真歩)に対する〈殺人行為〉が細かく交互に映し出されるシークエンスだといえるでしょう。もちろん、このふたつの〈行為〉は別々の場所で起きているのですが、ふたつの行為が交互に映し出される事によって、まるで〈繋がり〉があるかのように見せていますね。人によっては、このシークエンスを二つの行為の〈並列〉だという見方をするかもしれませんが、それでは、観る人の性的快楽を交差的に刺激するエロチックなものという帰結以上のものをそこから引き出すのは難しいでしょう。

 

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f:id:mythink:20170330232931j:plain では、どのような意味で繋がっているといえるのでしょう?監督の吉田恵輔は「日常と非日常、コメディとサスペンスが融合する映画のキーとなるシーン」と言っています(※1)〈繋がり〉どころか〈融合〉と言っている所が興味深いですね。〈繋がり〉であれば、ふたつの〈行為〉は各々の形式を保ちながら、接続されるという所なのでしょうが、〈融合〉とは、各々が自らの形式を捨て相互に浸透していくというイメージになるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain とはいえ、ふたつの〈行為〉は、表面的には違う行為なのだから、〈融合〉とはどのような位相でそうなるのか考える必要がありますね。そのためには精神分析でいう所の衝動(欲動)の概念を参考にしましょう。〈性行為〉における〈衝動〉も〈殺人行為〉における〈衝動〉も両方とも、最終的には身体における局部的な性器という器官において得られるオーガスムによって〈性的快楽〉へと転化してしまっているのです(※2)

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そしてこの性的快楽以前の〈衝動〉の位相においてこそ、未だ区別も分化も知らない無差別的なものとしての〈衝動〉がカオス的に在るという意味で〈融合〉が可能になると言えるでしょう。つまり、〈性行為〉と〈殺人行為〉は社会性や日常性という視点では別物であっても、哲学的、あるいは精神分析的には、快楽以前の人間存在の原初の〈衝動〉という意味では共通しているのです。監督の吉田恵輔は、おそらく無意識的でしょうが、その事をこの映画で暴き出していると言えるでしょう。なのでこの映画は、一見すると倫理的に耐え難いように思えるかもしれないけど、実際には、人間という生物の原初の〈衝動〉を扱った存在論的な映画だと考えられるのです。

 

 

2. この映画の無意識性・・・

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f:id:mythink:20170330232931j:plain この映画での森田正一の犯行の原因が学生時代の強烈なイジメにあるという描かれ方は原作の漫画とは違う、という指摘が見られる事がありますね。漫画の森田はそれこそ外部の原因に関係なく自分の異常性に気付く点が彼の怪物性を際立てたせています。しかし、ある意味で人間を超えた〈衝動〉という無差別性の概念をここで導入するならば、犯行の動機を外部に求めようが自分に求めようが、犯行の残酷性という点からすると、彼が自分の中に抱え込んでいた〈衝動〉の獰猛さについては変わりないのではないかと考えられますね。仮に森田の殺人行為の動機がイジメであったとしても、彼は既にイジメの報復以上の行為を犯している訳であり、それどころか殺人行為そのものに快楽を覚えているという点からすると、イジメというトラウマは自らの殺人行為を正当化するために森田の中で保持されているアリバイに過ぎないというべきでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain つまり、殺人行為を平然と為す森田に対して、アリバイになるような原因を提供する構成というのは、無意識的に彼に感情移入し過ぎているのです、あるいは感情移入させるような無意識的操作になっている。森田剛に周囲を突き放すような無感情的で驚くべき演技をさせておきながら、最終的には観客に彼に感情移入させるような構成は無意識的であれ、この監督の計算高さと同時に力技を示していると言えるでしょう。

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 岡田を連れて逃げる森田( 18.19.)。車で逃走中に犬を避けようとして電柱に激突してしまう( 20.21.22.)。この衝撃で森田は、岡田とゲームなどをして遊んだ過去への退行現象が出てしまう( 23.)。

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 警察から車の外に引きずり出される森田。その右足は肉が削れて骨だけになっているというちょっとしたホラー状態( 25.)。連行されながらも「また遊びに来てよ」という笑顔の森田、壊れています( 26.)。車に残された岡田は、かつて森田と遊んだ少年時代を回想する( 27.28.29.)。ここで、森田の家の庭先に飼われている犬が先程、車で逃走中に避けた犬と重なって いる事は言うまでもありませんね( 30.31.)。

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(※1)

(※2)

岡田と阿部の性行為は当然の事として、森田の場合は、殺人後に自慰行為をするという点を説明として付け加えておきましょう。まあ、この自慰行為自体は、最初の殺人のシーンでしか描写されていませんが、以降の殺人でも同じだと考えるのが妥当でしょう。

 

 

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【 僕を楽しくさせる異形のアルバムジャケット〈 パンテラ 〉】

◆MUSIC

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2016年12月8日は、へヴィメタルバンド、PANTERA (パンテラ) のギタリストだったダイムバッグ・ダレル (本名:ダレル・ランス・アボット) が、パンテラ解散後の新バンドであるダメージプランでの演奏中に観客に射殺 (※1) されてから12年目の日になりますね。享年38歳の早過ぎる死でした。       

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それまで音楽ファンの間では、12月8日といえば、ジョン・レノンの命日でしたが、少なくとも、僕の中では、この事件以来、12月8日はダイムバッグ・ダレルの命日となりましたね。それ程、パンテラの音楽は、若い時の僕に衝撃を与えました。最も、それは僕だけじゃなく、リアルタイムでパンテラの音楽を聴いていた連中は誰もがそうだったはずです。そして誰もが感じていた・・・音楽のトレンドが変わりつつある現場に立ち会っている、と。

つまり、それまでアンダーグランドの音楽シーンの中で流通していた"獰猛なへヴィネス" の概念をメジャーシーンに向けて解き放ったという事です。もっと分かりやすく言うと、"へヴィネス"を音楽シーンにおけるひとつの基準にさせる事に成功したという事です。

彼らが1994年に発表したアルバム、 Far Beyond Driven (邦題 "脳殺" ) 』はキャッチーさがこれっぽちもない獰猛なアルバムなのに(強いて挙げれば、ブラックサバスのカバー "Planet Caravan" が唯一キャッチーなくらい) アメリカのチャートで1位(※2)を獲得している程です。

ここでは、そんな彼らのアルバムジャケットについて語ってみますね。

 

 

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パンテラがメジャーデビューしてからのアルバムのアートワークを紹介しましょう。

 

 

1. パンテラの〈へヴィメタル〉アルバム 『 カウボーイズフロム・ヘル 』、『 俗悪 』

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 1990年に発表されたメジャー第1弾が『 COWBOYS FROM HELL 』です。アートワークだけを見ると、4人の兄ちゃん達がカジノバーみたいな所にいるだけの何じゃこりゃって感じなのですが、このアルバムの内容こそが、アートワークの単調さなんか吹っ飛ばしてしまう程の衝撃を与えましたね。特にアルバムタイトルにもなっている" Cowboys From Hell " は、当時、どんな奴にも影響を与えずにはいられないってくらいの迫力でした。今風に言うと "神曲" という事になるでしょうか。ヴォーカルのフィリップ・アンセルモの攻撃的な歌唱が象徴するように一見乱暴バンドパフォーマンスなのですが、演奏自体は非常にタイトであり、そしてなおかつダレルによる歪んだギターサウンドの、つぶれる事のないクリアな音作りが注目されるなど、へヴィなバンドサウンドが既にメジャークラスであった事が分かりますね(※3)

     

     " Cowboys From Hell " from 『 COWBOYS FROM HELL 』

     

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 1992年に発表されたメジャー第2弾が 『 VULGAR DISPLAY OF POWER (邦題 "俗悪")』。このアルバムのアートワークもダレル風の男がぶん殴られているというよく分からないものですが、前作同様、名曲揃い( "Walk" "Fucking Hostile" など)の内容が素晴らしい。特に有名なのが "Mouth For War "。MVでの聴衆を含めての暴れっぷりがいい(笑)。

     

     " Mouth For War " from 『 VULGAR DISPLAY OF POWER 』

     

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain こちらはLIVE版。" Heresy " から " Mouth for War " 。激しいのに演奏が乱れない。技術の高さが分かる。1992年で皆若いから、とにかく元気がいい。それにしてもダレルのギターの音がクリア過ぎる!

     

 

 

 

2. パンテラの〈ハードコアメタル〉アルバム『 脳殺 』

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 『 COWBOYS FROM HELL 』『 VULGAR DISPLAY OF POWER 』の2作品は、それまでのへヴィメタルをアグレッシヴにモダン化したという意味で、伝統的なメタルの延長線上に生まれたものだといえますが、メジャー第3弾の『 FAR BEYOND DRIVEN (邦題 "脳殺")』においては、もはやへヴィメタルという形式に囚われないパンテラ独自のアメリカ南部からのハードコアと呼べるであろう音楽を創り上げています。

そんな強烈さを示すがごとくアートワークも迫力あるものになっているし、個人的には音楽性だけを考えるならば、一番のお気に入りです。実際、パンテラの作品の中でも音楽的にも、メンバー間の関係性においても、最も緊張感が高まっていた傑作だと思うのは間違いないと思いますね。このアルバム以後、メンバー間の結束が徐々に崩れていくにつれて、発表されるアルバム自体のインパクトが弱まっていったといえるでしょう(1曲毎の作りはさすがというべきなのですが、全体性という意味では弱まっているという事ですね)。 

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 『 FAR BEYOND DRIVEN (邦題 "脳殺")』というタイトルについて考えてみましょう。このタイトルは意味が分かりにくいからですね。通常だと、"driven" は、drive の過去分詞形、あるいは形容詞になるのですが、意味としてはよく用いられる "動かす" ではなく、アートワークから推測して、"打ち込む"、"掘る"、"貫通させる" という意味である事が分かりますね。そうすると、この場合、"driven" は形容詞 (過去分詞) の名詞的用法 (the は省略されているけど) だと考えるのが一番意味が採りやすい。つまり、文字通りに訳すなら打ち込まれる事をはるかに超えて という意味になりますね。

それだけでは、意味がはっきりしないので、もう少し解釈します。ドリルが頭蓋骨に打ち込まれているというアートワークが与える以上の "衝撃" をパンテラは自分達の音楽で強力に示している、それこそが "FAR BEYOND DRIVEN" という意味になっているという訳ですね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain と解説したものの、実は上のアートワークは発禁処分されたオリジナルの差替え分です。オリジナルはこちら。 

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f:id:mythink:20170330232931j:plain アナルにドリルがぶち込まれているという衝撃のアートワーク!こりゃ発売禁止になるわ。まさか尻が頭蓋骨に変わっていたとは!ここまでくると、アルバムの中身を聞く以前に衝撃を与えすぎて、普通の人は引いてしまうでしょう(笑)。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 『 FAR BEYOND DRIVEN 』からの曲 " 5 minutes Alone "

歌詞の内容が、後に世間に彼の悪名を轟かせてしまう人種差別的要素(※4)が彼の中に既にあった事を暗に仄めかすものになっています。この曲に象徴されるように、評価の高い音楽性とは裏腹に、歌詞だけ読んでいると、どうしようもなく暗澹たる気持ちになる曲のオンパレードです(悲)。その意味で、本作品はパンテラの中でも最も凶悪なものである事は間違いないでしょう。それはまるで地の底でへばりつき、身動きが出来ない中で、怒りと憎悪が激しくのたうちまわっているような印象です。よくこんな詩が次から次へと書けたなあ、と変に感心するばかりですね。まるでロートレアモンの『マルドロールの歌』ですよ(いきなり文学になってすみません)。

      

      " 5 minutes Alone " from 『 FAR BEYOND DRIVEN 』

     

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain こちらはLIVE版の " 5 minutes Alone " ですが、メンツが凄すぎる。リードギターがスレイヤーのケリー・キングリズムギターが、エクソダスゲイリー・ホルトアンスラックススコット・イアン。ベースがアンスラックスフランク・ベロ、ドラムも同じくアンスラックスチャーリー・ベナンという豪華すぎる布陣。そんな中でもフィルの存在感は彼らに負けていないのはさすがというべきか。もちろん演奏力だけで見ると本家にはかなわないが、そんな事抜きで楽しめます。

     

 

 

 

3. パンテラの〈サザンロック + ハードコアメタル〉アルバム 『鎌首 』

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 1996年発表のメジャー第4弾『THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL (邦題 "鎌首")』。アルバムのアートワークとしてはこれが1番好きです。ただし、音楽的には、散漫な印象派拭えないですね。1曲目の " The Great Southern Trendkill " が無ければ本当にまとまりが無かったかも。まあ、タイトルの和訳、『偉大なる南部のトレンド殺し』の通り、トレンドに迎合しない姿勢は健在ですが。これを聞いた後では、『 FAR BEYOND DRIVEN (邦題 "脳殺")』 の出来がいかに良かったかというのが再認識出来るのですが、その『 FAR BEYOND DRIVEN 』の音楽性をサザンロック的な方向性で薄めたという印象ですかね(これを前作に比べてバラエティに富んでいると評価する人もいますが)。とはいえ、そこはやはりパンテラなので、そこら辺の音楽では到底太刀打ち出来ない激しさがあるのは当然です。そして全米4位にまで登りつめているのはすごい。 

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4. パンテラの〈ライブ〉アルバム

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 1997年に発表されたライブ盤『 OFFICIAL LIVE 101 PROOF (邦題 "ライブ~狂獣 ")』Amazonのレビューでもよく書かれているが、パンテラの入門としては最適。ライブでのアルバムの再現度が凄い、いや、それを超えているといっても過言ではない出来!新曲が2曲( " Where You Come From " " I can't Hide " )も付いている。

それにしてもこのアートワークもカッコイイです、ジャック・ダニエルのラベルみたいで。酒好きのバンドでしたからね。 

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5. パンテラ最後のスタジオアルバム

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 2000年に発表されたパンテラ最後のスタジオアルバム『 REINVENTING THE STEEL ( 邦題 "激鉄" )。このアートワークは格好良くない・・・そう感じたのは僕だけではないと思う。しかし、楽曲的には傑作揃いです、1曲目の " Hellbound "、6曲目の " Death Rattle "、8曲目の " Uplift " などで他の曲も優れています。バンドの危機的状況の中で、よくこれだけのアルバムをつくったなという感じですね。というのも、この時、フィルとアボット兄弟(ダレルと兄のヴィニー)の確執は強くなっていて、ほとんど一緒にはスタジオには入っていない(フィルは自分の住んでいる場所が彼らから離れていて、しかもDOWN〈フィルのサイドプロジェクト〉などで忙しかったという建前を述べていたが)。出来上がった曲に後から別の場所でフィルがヴォーカルを乗せるという方法をとっていたはず。そう考えると、このアルバムはパンテラという炎が燃え尽きる前の最後の一閃だったと言えるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 音的には、ダレルのギターの特徴であるノイズのような粒立ちの歪みは抑えられていて伝統的なへヴィメタルの方向性で纏められている。しかし、下手したらアルバムの前半は『 COWBOYS FROM HELL 』や『俗悪』よりも控えめな音になっているかも。後半、特に8曲目の " Uplift " あたりから聞きなれたパンテラっぽい音になっているけど。よく聞いたら分かる音の微妙な統一感の無さは、やはり、それまで一緒に作業してパンテラの音を作り上げたプロデューサー兼エンジニアリングのテリー・デイトが参加してない事が原因なのでしょう(この作品はパンテラのセルフプロデュース)。

出来れば、このアルバムを『 FAR BEYOND DRIVEN 』の頃のような音で聞きたかったなあ。

 

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(※1)

f:id:mythink:20170330232931j:plain 犯人は元海兵隊員のネイサン・ゲール(Nathan Gale)、当時25歳。ダレルは3発撃たれて即死。ネイサン・ゲールも駆けつけた警察により射殺される。彼はダレルがパンテラ解散させたとして恨んでいたのと共に、精神病院への入退院歴があった事も明らかになっている。

 

(※2) 

f:id:mythink:20170330232931j:plain ちなみに、へヴィメタルの偉大な開拓者であるメタリカが、アメリカのチャートで1位を獲得したのは1991年発表のアルバムMetallica (アルバムのアートワークが真っ黒な事から呼ばれる通称ブラックアルバム、) 』ですが、それですらパンテラ『 Far Beyond Driven (邦題 "脳殺" ) 』に比べるとキャッチーになってしまうと言っても言い過ぎではないでしょう。まあメタリカからしたらハードロック寄りのへヴィなアプローチをしたのだからキャッチーなのは当然といえば当然なのですが。

 

(※3)

f:id:mythink:20170330232931j:plain 元々、へヴィメタルの世界には、激しいパフォーマンスとは裏腹に、音作りにこだわりを持つ人が多い。特にギタリストはその傾向が強く、ダレルもその1人でしたね。へヴィな音作りをする上では、アクティヴ式ピックアップのEMG搭載のギター+マーシャル、あるいはメサブギーのアンプという組合せが注目を集めていました時期がありました。例えばザック・ワイルドメタリカなど。

そんな時に現れたダレルは、パッシヴ式ピックアップ(フロントにセイモア・ダンカン "59"、リアにビル・ローレンス "L-500XL〈後にセイモア・ダンカンのDimebucker〉")を使用して音がクリアなランドールのアンプと組み合わせるという異なるアプローチで独自の強烈な音を作り上げたのでした。もちろんそれだけではなく、アンプへの入力前にはエフェクターで中域をブーストさせながらもアンプ側では中域をカットして高・低域を上げるなどの工夫もあります。

 

 

(※4) 

f:id:mythink:20170330232931j:plain この微妙なニュアンスを読み取るには、ネット上に散見される歌詞の機械的翻訳よりも、 Far Beyond Driven (邦題 "脳殺" ) 』 の日本盤(ちなみに旧盤の前提です。数年前に発売された20周年記念盤は持っていないので)に付いている対訳を読むのがいいでしょう。

フィル・アンセルモの白人の優位性を唱える人種差別的発言は、これまで何度かあったが、最近最も問題視されたのが、ダレルを偲んで2010年から毎年開催されている DimeBash のステージ(2016年)で " ナチス式敬礼 " を行い、" White Power " と叫んだ事ですね。この問題によってフィルは最初は拒んでいたものの、謝罪せざるを得ない程の騒ぎになってしまいました。ここらの辺の経緯については

Rock is not Dead : ロックニュース -- www.rockisnotdeadoc.comを参照して下さい。

    

 

     フィルの謝罪。涙目にも見えるがまさか芝居じゃないよね。

    

f:id:mythink:20170330232931j:plain 彼の人種差別発言は当然許されるものではありませんが、ただし、彼の場合、黒人のファンと抱擁したり、" ボクシングが好きで自分のヒーローは黒人だ " と言ったかと思えば、マシーンヘッドのロブ・フリンに " Nigger 寄り(いわゆるラップメタル)のアルバム『 The Burning Red (マシーンヘッドの3rdアルバム) 』が嫌いだ " と言ったりと複雑な様相を見せています。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そこら辺は、彼の出身地であるニューオーリンズの土地柄(黒人の人口比が70%近い、つまりアフリカ系黒人が奴隷として多く連れて来られた地域で、黒人差別が強い)が彼の人格形成期に大きな影響を与えたのかもしれません。彼を擁護する人達は、彼はレイシストじゃないと言うし、フィル自身もそんな人間ではないと釈明した(※5)りしましたが、彼の根っ子の部分では、彼の人格の一部として無意識的に、その要素が組み込まれている可能性もあるといえるのです。そうでなければ、いくら酔っていたとはいえ、あのような行為が出てくるはずがないでしょう。

そして意識的な面で言うと、音楽マニアでもある彼が、白人至上主義を掲げる、いわゆるホワイトパワーミュージック(ナチパンクなど。イデオロギーと音楽が最悪の形で結びついたものですね) (※6) に影響を受けている事も容易に推測出来ると付け加えておきましょう。

 

そんな彼の今回の行為について、スレイヤーのケリー・キングは言っています「彼は一線を越えた。戻ってこれないかもしれない」。つまり、彼はレイシズムの強力な魔力に引き込まれている、そこから引き返すのはそう簡単ではない、という事でしょう。

 

(※5)

f:id:mythink:20170330232931j:plain ここに近年のレイシストの特徴が現れているといえるでしょう。つまり、彼らは自分は人種差別主義者ではない(本音では思っていても)、自らの人種に対する"誇り"を持っているだけだと言うのですね。たとえ、"誇り""尊重" などの意識付けが正しいように思えても"人種"の概念を区別(これもレイシストの言葉使いの特徴。彼らは差別ではなく、区別という言い方を使う)の基準にそもそも持込むこと自体が、既に "差別" の概念によって侵食されている事に、彼らは気付かない

 

(※6)

f:id:mythink:20170330232931j:plain "ホワイトパワー" という言葉で真っ先に思い出されるのは、イギリスの元祖ネオナチバンドのスクリュードライバーであり、彼らの曲 " White Power " でしょう。1976年に結成されたバンドは当初、セックス・ピストルズの影響下にあったが、休止後、1982年に活動を再開した時には、フロントマンのイアン・スチュアート・ドナルドソン主導による白人至上主義のバンドになっていた。1993年にイアンは交通事故で亡くなってスクリュードライバー解散したが、未だに "ネオナチバンド" といえば "スクリュードライバー" という図式で紹介される程、影響力を残している。思想や歌詞は別にして音楽性は魅力あるだけに、逆に、それまで政治性とは無縁の若者を惹き付けてしまい、右傾化させる危険性があるという事ですね。

 

 

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〈 このブログ内の関連記事 〉

 

 

 

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【 欅坂46のナチス軍服衣装問題から〈 無知 〉を哲学的に考えてみる 】

■ 思想

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アイドルグループ欅坂46ナチス風軍服衣装が世界中のマスコミから問題視され、2016年11月1日には、アメリカのユダヤ人組織のサイモン・ヴィーゼンタール・センターがソニーミュージック秋元康に対して謝罪を要求するという出来事がありましたね。

この出来事から既に1ヶ月以上経ちますが、当初の加熱過ぎるマスコミ報道が嘘であったかのようにおとなしくなってます(苦笑)。

それはさておき、ここでは、この問題について巷にあふれる倫理的に如何なものかという非難、つまりこの問題はホロコーストについての〈無知〉が招いた結果だというようなありふれた批判を行うつもりはありません。そうではなく、この問題において〈無知〉が、どのような〈無知〉が、いかに機能しているかという事について哲学的に考えてみようという訳です。    

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1. ホロコーストに対する〈無知〉・・・

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 欅坂46ナチス風軍服衣装の着用は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に対する無知から生じたユダヤ人への配慮を欠いた不適切なものだ、という非難が巷に溢れましたね。これは、無知〉それ自体を倫理的に問題とする態度であると言い換える事が出来るでしょう。ホロコーストという事実〉に対する〈無知が、ユダヤ人の感情を不快にさせる行為(軍服衣装の着用)の〈原因〉になっているという訳ですね。そして、もし知っていれば、そのような行為はなかったはずだ・・・というのが一般的見方になるのでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain ただし現場的には、欅坂46のデビュー時からの軍服衣装は、デザイナーの尾内貴美香によるもの(欅坂46の衣装は軍服風にという注文は管理者サイドからあったよう)であり、彼女の案は、今野義雄などの一部の管理者によって目を通されただけで、おそらく、ほぼ了承されていたであろう事を考えるならば、そこに倫理的視点が欠けていたとはいえ、政治的意図はなかったといえるでしょう。この人のTwitterを見る限り、今回の件で削除された内容があるとはいえ、何らかの政治的意図を読み取る方が難しい。一方、今野義雄の方(秋元康も含んで)も、乃木坂46の管理も兼任している事から察すると、欅坂46の軍服風衣装も乃木坂46のお嬢様的雰囲気との対比で考え出されたという以上の事を読み取るのは難しい。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain この件に関してイスラエル大使館側はホロコーストの歴史についての対話を求めながらも、欅坂46に悪意がなかった事は理解している、と言う、つまり、〈政治的意図〉によるものではないと判断している訳ですね。しかし、政治的意図〉の有無に関わらず無差別的に商業的文化にもナチスの要素を見つけ出そうとする姿勢(メディアやサイモン・ヴィーゼンタール・サンターなど)は、もはや〈無知〉それ自体を倫理的に問題とするものであるといえるでしょう。

 

 

2. 〈無知〉は〈罪〉である?

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f:id:mythink:20170330232931j:plain そのような無知〉が〈罪〉であるという考え方は、倫理的にはもちろん、哲学的にも正しいように思えますが、詳細に考える必要があります。ここで参照したいのが、フランスの精神分析家であるジャック・ラカンの思考です。とはいえ、ここでは臨床治療の方法論としての彼の思考を忠実に再現するのではなく、このブログにおける哲学的分析のために、哲学的教養に富む彼の思考から哲学的帰結を引き出すことが重要だと考えます。

 

       

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 彼の思考から〈無知〉についての哲学的帰結のひとつを引き出すとすれば、主体は自分の〈無知〉について責任を持たなければならない、別の言い方をするなら、主体は自分の〈無知〉についての責任に直面する事になる、というものでしょう。

ここで注意しなければならないのは、この〈無知〉を何の思考もなしに〈原罪〉であるのだから責任を持たなければならないと性急に倫理的に解釈するのは間違いであり、それこそ思考停止という事態に陥いる事になりかねないという事です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain なぜなら、主体は自分の〈無知〉について常に〈事後的〉にしか、つまり、何らかの〈行為〉の後でしか向き合う事が出来ないからです。何らかの過ちの行為を犯した後でしか、過ちの原因としての〈無知〉を認識出来ないのです。

つまり最初から〈無知〉をそれとして認識出来るのであれば、それはもはや〈無知〉ではないというパラドックスが起こるのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain なので欅坂46サイドがホロコーストについて知っていたならナチス風軍服を着せなかったはずだという "言い方(あくまで個人的感想のレベルならという限定付きの)" は、事後的だからこそ成立しているだけで、軍服衣装を着用させる以前においては成立しない(未来において何が起きるかは、"その時点" では容易に推測出来ないが故) "遡及的幻想" であるとさえいえるのです。

 

 

3. 〈無知〉と〈行為〉

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f:id:mythink:20170330232931j:plain そして実は、このような 〈無知〉 は、個人が行為する上で、重要な要素である事を理解する必要があります。行為〉は、〈無知〉であるからこそ可能になる

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain では、〈行為〉を可能にする〈無知〉とは厳密には何か?それこそ〈無意識〉であるといっていいでしょう。だから〈行為〉は〈無意識〉から生まれると言い換える事が出来るのです。ただし、この場合、心理学や精神分析における常識に囚われて〈無意識〉を〈意識〉に対立するもの、あるいは変形的なものと考えていては、深く考える事は出来ません

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 〈無意識〉を根本的に考え直す事、それにはドイツの哲学者シェリングが〈自己意識〉を〈無意識〉とみなしたように、〈無意識〉はそれ自体で単独で在るものではなく、何らかの物(意識)が在るという超越的出来事の裏面であると理解する必要があります。

そのように根本的に理解すると、意識〉という仕組みそれ自体が、永続的な安定したシステムではなく、それどころか、その〈意識という仕組み〉自体が当然だと思い込ませる程、〈意識という出来事〉の〈無意識性〉が浸透してしまっているのだという事に気付くでしょう。

 

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f:id:mythink:20170330232931j:plain ただし、この考え方は、〈意識というもの〉の〈真理〉に近づくのと引き換えに、感覚的にはある種の危険性に陥る可能性も考慮する必要がありますね。〈意味〉や〈日常性〉を剥ぎ取られた〈意識〉は、外部から到来した〈何か〉であるように感じられ神秘主義に向かう人もいれば、ラカンが言う所の〈現実界〉への侵入のように感じられ、底無しの穴に落ち込んでいくかのように精神のバランスを崩す人もいるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし、誤解がないように急いで付け加える必要があるのですが、以上の事はホロコーストについて知る必要がないという事を主張している訳ではありません(ホロコーストの記憶は受け継がれるべきなのは言うまでも無い)。以上の所では全く別の事柄が起きている事を言いたいのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain つまり、無知〉故に〈行為〉は可能になるのですが、〈行為〉はその後、〈現実〉に直面する事になります。その〈行為〉が〈過ち〉であると分かったならば、人はこう考えるでしょう、なぜ、こんな事をしたんだろう?と。この時、人は〈無知による行為〉に意味を与えて〈意識化〉しようとしているのです。それをしたのは自分だ、と考え〈行為の主体〉としての〈責任〉に直面するという訳ですね。

この主体の態度は、〈行為〉以前の未分化の〈無知〉を実は "こうなる事は知っていたはずだ" と主体が解釈し直す事によって、物理的には関わる事の出来ない〈無知という過去〉を、今では分かる・・・というように現在における〈知〉へと変化させるものなのですこのような主体の自分への関わりこそ、自分の〈無知〉について責任を持つという事の意味だといえるでしょう。

 

 

4. 政治的要請としての倫理

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f:id:mythink:20170330232931j:plain さて以上の事は、個人的主体レベルでの〈行為〉の話でしたが、次のような反論が考えられるでしょう。〈ホロコースト〉について無知な個人がいるのなら、その無知が引き起こしうる事件を想定できる訳だし、ひとつの〈教育 〉としての必要性が考えられて当然なのではないか、というものですね。

しかし、そのような態度は何を意味するのでしょう。仮にホロコーストの教育の必要有り無しに関わらず、そこに〈無知〉を〈知〉へと変換する "個人的反省(先に述べた哲学的な意味での)" が無いのであれば、それは個人に強制される "倫理という形式の政治的要請" である以外にはないでしょう。

イスラエル大使館が欅坂46サイドをホロコーストのセミナーに招待しようとする動きがあった時、反発する声もありましたね。おそらくその声は直感的なものなのでしょうが、哲学的に考えるならば、それは "政治的同一化の要請" への反発であり、間違っていないといえるでしょう。ユダヤ人であろうが、ドイツ人であろうが、人種に関わり無く、ある立場からの強力な政治的要請(それが倫理的なものであれ)に対しては、同一化されまいとして用心深くある事は、個人レベルにおいては必要なことだといえるでしょう。そのような政治的同一化に対して〈無知〉である事程、危険な事はないでしょうから。

 

 

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〈 このブログ内の関連記事 〉

 

 

 

 

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【 アール・デコ、あるいは北欧モダニズムの伝統から抜け出したデザイナー〈 スティグ・リンドベリ 〉】

◆デザイン ◆ART ■ 思想 ◆食器

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2016年の今年で生誕100周年を迎えたスウェーデンのデザイナー、スティグ・リンドベリ(1916~1982)について、哲学的に考えてみますね。といっても彼の作品について個別的に考えるのではなく、彼のデザインが "北欧デザイン" という括りで語られるものの中で、いかなる意義を持つのかを全体的な流れの中で考えてみようという訳です。

        

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1. スウェーデンの国民的デザイナー、リンドベリ

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f:id:mythink:20170330232931j:plain スティグ・リンドベリといえば、スウェーデンの陶磁器メーカーであるグスタフスベリ社のアートディレクターであり、経営難のグスタフスベリを建て直したという話がよく聞かれますね。そのきっかけが、彼がグスタフスベリ社に持込んだ "POPなデザイン" にある事は間違いないでしょう。"POPなデザイン" で彩られた食器は、スウェーデン国民の日常の食器使いを華やかなものにするという意味で、グスタフスベリ陶器の普及に貢献したという訳です。

      

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          彼のデザイン性を象徴するテキスタイル 【 楽園

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 彼のPOPデザインの斬新性は、彼と共にグスタフスベリ社の三巨頭として語られる、ヴィルヘルム・コーゲ(1889~1960) ベルント・フルーベリ(1899~1981) に比べてみても明らかでしょう。はっきりと指摘される事はありませんが三巨頭と言っても、リンドベリは他の2人と比較出来ない独自の道を進んだのであり、北欧モダニズムと称される北欧現代陶芸の枠には収まりきれない "POPなデザインを駆使する北欧アーティスト" へと至ったと考えるべきですね。

 

 

2. スティグ・リンドベリが登場した時代背景

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f:id:mythink:20170330232931j:plain 若きリンドベリを見出したヴィルヘルム・コーゲ(彼がグスタフスベリのアート・ディレクターを務めていた1937年にリンドベリは20才で入社した) から始まったとされる北欧現代陶芸を美術史的に考えるならば、それは1910~1930年代にかけてヨーロッパ・アメリカで流行したアール・デコ様式の時代に位置するといえるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain アール・デコ(Art Déco)は文字通り訳すなら "装飾芸術" となりますが、それ以前のアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)様式ほど過剰な装飾ではなく、当時台頭してきた大量工業生産という時代背景と隣接する適度な装飾デザイン(つまり大量工業生産と共に発達する大衆消費社会へ量的に行渡ることが無意識的に前提とされている)になっているのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain さらに細かく言うなら、アール・デコにおいては "芸術的装飾性" "無駄を排除する機能的モダニズム" "両極性" の振り幅の中で幾つもの作品が作られたのですが、特徴的なのはそれらの作品の活力が "異国的なもの"(※1)から得られている事です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain もちろん芸術における異国的なもの影響(例えば西洋に対する日本の浮世絵など、いわゆるジャポニズムの影響など)は前世紀でも見られるのですが、1920、30年代は世界を横断する交通が増大していく過程(※2)での "脱 - 境界的なもの" が一般的になった(※3)という意味で、"デザイン装飾" が特定の国家や地域、伝統などの縛りから脱して世界の中で、それ自体がひとつのジャンルとして "一般的なもの"になったのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain つまり、アール・デコの作品が異国的な雰囲気を醸し出すのは、デザイン装飾それ自体が特定の縛りを受けない "脱 - 境界的な一般的なもの" になっているからですね。まあ実際には、デザインが一般的になったアール・デコ以後も、各々の作品は定義上、特定の呼称(北欧モダニズム、ミッドセンチュリー、民芸、ポストモダン、など)を与えざるを得ないのですが。

 

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain ではこの辺で、北欧現代陶芸に話しを戻しましょう。北欧現代陶芸の巨匠であるヴィルヘルム・コーゲと彼に師事したベルント・フリーベリの作品から分かるのは、彼らの装飾性を抑え簡素性から逸脱しない作品がアール・デコの両極の一方である無駄のないモダニズムを担っているのに対して、コーゲと並んで巨匠と称されるデンマークのアクセル・サルト(1889~1961) の生命力が凝縮されたかのような作品はアール・デコのもう一方の芸術的装飾性を担っているという事です。2人とも北欧現代陶芸の巨匠と呼ばれますが、アール・デコという芸術様式に照らし合わされると違いが明らかになりますね。

 

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    ヴィルヘルム・コーゲ

 

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        ベルント・フリーベリ

 

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     アクセル・サルト

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain いずれにせよ、コーゲ、サルト、フルーベリらの "陶芸作品" ( "陶芸作品" と限定するのは、コーゲやサルトは、グラフィックデザイナー出身という陶芸以外の素養もあるので)がアール・デコを無意識的基盤にしているのであり、それこそが北欧モダニズムの本質だといえますね。

 

 

3. リンドベリの "POPな絵画的デザイン"

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f:id:mythink:20170330232931j:plain では先に挙げたコーゲらとリンドベリとの違いとは何でしょう?それは既に述べたように "POPデザイン" にあるといえます。しかし、こう言うと、コーゲやサルトもグラフィックデザイナー出身なのだからデザイン的素養があったはずだし、それだからこそコーゲは若きリンドベリの才能を見出す事も出来たのでは?と考える人もいるでしょう。彼らとは違うリンドベリのデザインを哲学的に理解するためにも、ここで "POPデザイン" という言葉の意味を考える必要がありますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain まず彼のPOPデザインは2次元的なものという意味で "絵画的" だといえます。しかし、なぜ "絵画的デザイン" なのか?"単なるデザイン"だと、陶磁器のフォルムや絵付けを含めた雑多なものを意味してしまいますね。しかし、それだと "絵画的なもの" の哲学的意味が見えなくなってしまうのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain "絵画的なもの" とは、絵画が具現化されるためにはキャンバスという下地が必要なように、何らかの物質的基底材(もちろんこれはキャンバスだけでなく、それこそ陶磁器などの立体的なものを含む)の上に投影され貼り付けられる "イデア" としての "デザイン性それ自体" だと考えられるのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain 例えば、陶芸で考えてみるならば、通常のアプローチだと、陶磁器それ自体がひとつの作品であるために、フォルムや絵付けのデザインは作品を補助する要素であるはずですね。あくまでも主役は陶磁器という作品である訳です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain ところが興味深い事に、リンドベリの中では、コーゲに師事し、彼と共に陶磁器の製作に取組んだ北欧現代陶芸の枠組に忠実であった初期から、グスタフスベリのアートディレクター就任、そして独立、復帰といった一連の成熟期において、彼のデザイン観に哲学的変化が起きたといえるのです。つまり、陶磁器の絵付けとしての要素的デザインから、彼のデザイン世界観をひとつの具現化すべきイデアとする "絵画的デザイン" への移行ですね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そうすると、何が起きるかというと、陶磁器などの "物質的基底材" は主役なのではなく、彼の "絵画的的デザインというイデア"  を具現化するための "現実的なものという要素" に過ぎなくなるという変化が起きる訳です、少なくとも彼の中では。この点こそが、コーゲやフリーベリ、サルトに比べてリンドベリを陶芸家ではなく独自の "デザイナー" たらしめているといえるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain もちろんコーゲやサルトらも、デザイナーの資質があるので陶磁器以外にも手がけた作品があるのですが、リンドベリほど強力な一歩を踏み出せていない。その一歩を踏み出すには彼らは余りにもアール・デコの芸術に忠実でありすぎたのです。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain ではリンドベリにアール・デコに留まらせずに一歩踏み出させた "絵画的デザイン" の特徴とは何でしょう。それこそ "POP性" に他なりません。"絵画的" といっても西洋美術における絵画ではなく、デザインがそれ自体として成立するというイデア的意味での絵画なのであるのに加えて、大衆への普及(POP - ULARIZATION)という意味で、"POPな絵画" だといえるのです。大衆への普及(POP - ULARIZATION)という言い方につきまとう俗物性が気になるのであれば、"大多数への浸透" と言い換えるべきでしょうか。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかしリンドベリのデザインそれ自体を楽しませる "POPな絵画性"スウェーデン国民の間で共有されやすいものであったのは間違いないでしょうし、同時に、彼が従来の芸術(アール・デコ)の延長線上にある北欧モダニズムとは異質な流れ(もちろん、このPOP性は、今では北欧デザインのスタンダードなもののひとつとして引き継がれている)をつくりだした事も付け加えておくべきでしょう。

 

 

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(※1) 

アール・デコ期の異国的なものの例。

 

エジプトの影響 "エジプト風ヴァニティケース " by カルティエ

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                        フランス 1924年

 

アフリカの影響 "仮面" by サージェント・ジョンソン

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          アメリカ 1934年

 

アフリカの影響 "スツール" by ピエール・エミール・ルグラン

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           フランス 1925年

 

■ 日本の影響 装飾パネル "アルザスコウノトリ" by エドガー・ブラント

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           フランス 1928年

 

アフリカの影響  写真 "黒と白" by マン・レイ

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           フランス 1926年

 

(※2)

世界的交通の象徴的出来事

■ 1927年 チャールズ・リンドバーグによるニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行

■ 1928年 ドイツの巨大飛行船 LZ127 "グラーフ・ツェッペリン" 飛行開始

■ 1935年 フランスの巨大豪華客船 "ノルマンディー号" 就航開始

因みに、アール・デコを代表するフランスのグラフィックデザイナーのアドルフ・ムーロン・カッサンドルが1935年に発表したポスター"ノルマンディー号" は彼の作品の中でも最も有名なもののひとつですね。

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■ 1936年 ドイツの巨大飛行船 LZ129 "ヒンデンブルク" 飛行開始

 

(※3) 

"脱 - 境界的的なものが一般的となった" といっても、言うまでもなく国境や階級、様々な領域間の差異などにおける"境界的なもの"が消滅する訳ではない。フランスの哲学者ドゥルーズガタリによる『アンチ・オイディプス』でも示されるように、脱領土化と再領土化は絶えず繰り返される事によって資本主義における運動のダイナミズムとなるのであり、"境界的なもの" は依然としてある、あるいは新たに違う形態で再生産されると言うべきでしょう。

 

 

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