〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

サミュエル・マオズの映画『 運命は踊る 』( 2018 )を哲学的に考える〈 1 〉


初めに。この記事は映画についての教養を手短に高めるものではありません。そのような短絡性はこの記事には皆無です。ここでの目的は、作品という対象を通じて、自分の思考を、より深く、より抽象的に、する事 です。一般的教養を手に入れることは、ある意味で、実は "自分が何も考えていない" のを隠すためのアリバイでしかない。記事内で言及される、映画の知識、哲学・精神分析的概念、は "考えるという行為" を研ぎ澄ますための道具でしかなく、その道具が目的なのではありません。どれほど国や時代が離れていようと、どれほど既に確立されたそれについての解釈があろうとも、そこを通り抜け自分がそれについて内在的に考えるならば、その時、作品は自分に対して真に現れている。それは人間の生とはまた違う、"作品の生の持続" の渦中に自分がいる事でもある。この出会いをもっと味わうべきでしょう。

 

 

 

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監督  サミュエル・マオズ
公開  2018年
出演  リオール・アシュケナージ  ( ミハエル・フェルドマン )
    サラ・アドラー       ( ダフナ・フェルドマン )
      ヨナタン・シライ      ( ヨナタン・フェルドマン )
 

 

 

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 イスラエル軍からの報告で、兵役中の息子ヨナタンが死亡したことを知ったミハエルは母親にそのことを伝える。ミハエルがゆっくりと母の反応を確認する仕方、そして母の表情からも分かるように、彼女の様子が少しおかしいことが分かります ( 2~4. )。この時点では彼女は高齢故の認知症のように見えますが、後で明らかになるように精神を病んでいるのですね。彼女は息子のヨナタンに対して、なぜか彼の兄であるアヴィグドルの名で呼びかける ( 4~5. )。

 

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■ ミハエルは何故母が自分のことをアヴィグドルと呼んだのか理解できない ( 7. )。おそらく、この映画を観たほとんどの人は、この場面に疑問を抱かずにスルーするのでしょうが、この場面は、映画を哲学的に考えるための契機となっているので後で細かく考えていくことにしましょう。

 

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■ 息子の机の引き出しを開けたミハエルは男性誌を目にする ( 8. )。タイトルが BELLBOY と変更されているけど明らかに PLAYBOY 誌 ( 笑 )。これは親が見てはいけないものを見つけたということではなく、後で分かるようにミハエル自身が息子に送ったもの。ミハエルはなぜか激しく動揺する ( 10. )。ちなみにこのアメリカのPLAYBOY 誌 ( 日本の週刊プレイボーイとは全くの別物 ) の定番である表紙を飾るセクシーな女性の顔は冒頭から度々登場する ( 例えばシーン1. の新聞広告、そしてヨナタンが踊る傍らのバンに描かれたシーン31. )。

 

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■ しばらくして、息子だと思われた人物は同姓同名の別人であったと軍から再度報告を受けたミハエルは、喜ぶどころかブチ切れて息子を早く戻せと興奮状態になる。兄のアヴィグドルにまで食って掛かる ( 11~16. )。

 

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■ 妻のダフナのミハエルの過去に踏み込むような言葉によって、ミハエルは静かになる ( 17~20. )。妻の言葉に動揺するミハエル ( 21. )。

 

 

 

■ ここから国境での警備に当てる息子ヨナタンと同僚の若い兵士たちを描く第2章というべきものが始まります。ここで初めて、ヨナタンから映画の原題である "Foxtrot" について語られる。ヨナタンは、踏みだした足が最後には元に戻る "Foxtrot" のステップについて同僚に説明するのですが、そのステップの円環性に、過去に残した "何か" がミハエルの元に回帰してくる運命を重ねて邦題は "運命は踊る" としているのですね。

 

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■ もちろん、その邦題は秀逸なのですが、それだけではこぼれ落ちてしまうものがあるのであり、それを抄い上げる解釈が必要となるでしょう。というのもヨナタンは "Foxtrot" のステップを説明した後も踊り続けるのですが、それはもはや Foxtrot がそこから生まれた社交ダンスの動きからはかけ離れた即興的な物に崩れている ( 31. )。言うまでもなく、それはヨナタンに一緒に踊るべきパートナーがいないつまり、"1人" であるが故のこと なのです。1人では Foxtrot は出来ない … 。ここを見落とさずに念頭に置いておきましょう ( ほとんどの人はなんてPOPなシーンなんだとしか思わないでしょうけど )。

 

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■ 以下は、任務時間後に、ヨナタンが同僚に、父 ( ミハエル ) の "最後のベッドタイムストーリー" を語るシークエンス ( もちろん "最後の晩餐" に掛けている )。"それ" は父だけの話ではなく、フェルドマン家系にまつわる "ユダヤ教の伝統とそれに対する反発の話" でもあり、ミハエルの運命を強く規定するものなのです。32. 8. からインスパイアされたもの。ヨナタンはフェルドマン家に代々伝わる聖書があると語りだす。

 

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■ ヨナタンの曾祖父 ( 4. でミハエルにアヴィグドルと間違って呼びかけるミハエルの母にとっての父親 ) はユダヤ人にとっては忘れることの出来ないアウシュヴィッツで死ぬ前に、ミハエルの母にその聖書を遺言と共に託した ( 35~41. )。

 

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■ 曾祖父の遺言とは、"その聖書をお前の息子が兵士になる日に渡せ" と "売ってはならない" というものだった。

 

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■ しかし、ヨナタンの父ミハエルは学生時代に、こともあろうか、本屋の店頭に置かれた例のプレイボーイ誌に心を奪われ、代々受け継がれてきた聖書と引き換えに、雑誌を手にしてしまう ( 48~57. )。

 

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■ その後、父はヨナタンが入隊する前夜、聖書の代わりに、彼にプレイボーイ誌を手渡して祖父の遺言をなぞるように "息子が兵士になる日に渡してやれ" と言う。ここにおいてフェルドマン家で行われてきた聖書の引継ぎという伝統がミハエルにおいて変異してしまったことを理解する必要があるでしょう〈 続く 〉。

 

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