〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ベルナルド・ベルトルッチの映画『 暗殺のオペラ 』( 1970 )を哲学的に考える〈 2 〉

 

f:id:mythink:20200503215707j:plain

 

 

 

 




 ドライファの話を聞いたアトスだが、あまり興味がないのか、すぐに帰ろうとする ( 25~26. )。明らかに引き留めにかかるドライファ ( 26. のシーンの後で、彼女はわざとと気を失ったふりをしてアトスを心配させ帰りづらくしている )。暗殺事件での警察の捜査について語り、死体から封の切られていない警告の手紙が出てきたことを聞いたアトスはジュリアス・シーザーのようだと言う ( 31~36. )。この辺りは、ボルヘスの小説をそのまま踏襲していますね ( 2章 を参照 )。

 

f:id:mythink:20200506021106j:plain

f:id:mythink:20200506023400j:plain

 

■ ドライファは、アトスの父はこの町で敵が多く、見方は三人 ( 映画館主のコスタ、小学校教師のラゾーリ、ハム職人のガイバッツイ ) だけだとアトスに印象付ける ( 45~47. )。しかし、アトスの "死んだのか" という問いに、思わず "ええ・・・" と間違った返事をし、慌てて "三人とも生きている" と訂正する ( 48~51. )。

 

f:id:mythink:20200506123117j:plain

f:id:mythink:20200506123135j:plain

f:id:mythink:20200506123209j:plain

 

■ もし、それが単なる間違いであれば、ベルトルッチは必要ないとカットしたはず。そうしていないということは、ドライファは嘘をついているので、アトスの唐突な質問に、たじろぎ、適当な答えをしてしまったと解釈すべきでしょう。さらに自分の名前の由来を尋ねられたドライファは、1894年フランスにおいて無実のスパイ容疑で逮捕された ユダヤ人ドレフュス ( いわゆるドレフュス事件 ) にちなんでいるとして、自分の "政治的正義" をアトスに印象付ける。このようなドライファの "あざとさ" にアトスは、この後の場面で視線を下に送り、一瞬困惑の様子を示す ( よく見ないと見落とす場面 )。もちろん、ここでベルトルッチがそのような場面を用意したのは、ドライファ ( と三人の男たち ) の嘘に対する皮肉としてであり、観客に "真実" を気付かせるための符号のひとつして機能させていると考えるべきでしょう ( ほとんどの人は気づかないけど )。

 

■ ハム職人のガイバッツィがアトスに父親のことを話すシークエンス。ガイバッツィはアトスの父親と共に反ファシズム運動に関わっていたが、運動について何も理解していなかったと言う。 しかし、アトスの父親は自分たちとは違い、政治的意識や理論性を持っていたと続ける。ここは、最後に暗殺の原因、つまり、"真実" を私たちが理解するために必要な要素となるので念頭に置いておきましょう。

 

f:id:mythink:20200506214346j:plain

 

■ アトスの父親とガイバッツィら三人の回想シーン ( 60~65. )。ムッソリーニを暗殺する計画に対して明らかに乗り気でない三人。自分たちの身の安全を第一に考え、暗殺者を "よそ者に見せかけよう" と言い出す始末。自分たちは暗殺なんてしないと言外に言っているのですね。だからこそ、シーン 56~58. でガイバッツイは、アトスの父親のことを自分たちと違って政治的意識を持っていたと言うのです。

 

■ この場合、政治的意識とは ファシズム運動の究極の帰結、ファシズムを阻止するには最終的にはムッソリーニを殺すしかないという断固たる意識による 反体制的テロリズムを実行する というものです。これに三人はついていけなかった。ただし、ベルトルッチはそれをはっきりとは示してはいません。それを示しては最後の "オチ" が分かりやすくなるという意味で弱くなってしまうからです。

 

f:id:mythink:20200507184945j:plain

 

■ ムッソリーニ暗殺が失敗した経緯を語るコスタ。密告され爆弾も発見されたことによって暗殺計画は失敗した、と言う ( 66~69. )。それを聞いたアトスはその報復として父は "この町" のファシストに殺された、と推理する。

 

f:id:mythink:20200507201833j:plain

 

■ それに対して、コスタは "この町の人間" は臆病だから出来ない、"よそ者" の仕業だと言う。聞き流している人も多いと思いますが、彼はアトスの "この町" という言葉に反応をして、反射的に "よそ者" の仕業だ、と言っているのです。シーン 64. で既に言っていますね、"よそ者" に見せかけよう、と。もちろん、これはアトスの父親殺しの犯人が自分たちであるという "オチ" から遠ざけるために出た言葉であることは言うまでもないでしょう。

 

f:id:mythink:20200507203524j:plain

 

■ しかし、ここでアトスは、ある事に気付く。父が殺されたのは、劇場でのリゴレット上演中 ( これを言ったのはドライファ )。一方、ムッソリーニの暗殺計画も劇場でのリゴレット上演中 ( これを言ったのはガイバッツイ。60. から始まる回想シーンで暗殺計画の話が出てくる )。この偶然の一致は何だ・・・とアトスは疑問を呈しているのです ( 75~77. ) 。

 

■ ここでアトスが "探偵的主体" として行動していることは、ボルヘスの原作を読んだ人なら分るでしょう。ボルヘスは『 裏切者と英雄のテーマ 』の冒頭でG・K・チェスタートンを念頭に置いていたのでしたね ( 2章 ボルヘスの『 裏切者と英雄のテーマ 』を参照 )。実際、アトスはドライファと3人の男たちから会話の中で、疑うような目で見るなと度々、言われていて、これは "真実" を探ろうとする探偵的主体の役割をアトスに担わせているためと考えていいでしょう。