哲学的抽象機械

Philosophical Abstract Machine

マルクス・ガブリエルの『 なぜ世界は存在しないのか 』についての批判的考察

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   マルクス・ガブリエルの『 なぜ世界は存在しないのか 』・・・、この極端に単純化された哲学的説明によって覆われたこの本を読むと、僕は戸惑ってしまう【 】。この本でまず確認出来るのは、世界が存在しないことでもなければ、新実在論についてでもない。何よりも、"哲学を単純化しようとする著者の意志" です。それはおそらく、新実在論を世間に浸透させようとするための、そして新実在論哲学史に刻むための、著者の戦略なのでしょうが、それが徹底しているため、この本について真面目に考えることは果たして意義があるのかと自問してしまいます。単純化して考えるとは、結局の所、哲学的なものからの撤退になりかねないのだから。

 

 

   そして、そのような哲学の単純化が『 世界は存在しない 』という問題含みのテーゼを可能にしているとすれば、そのテーゼを批判的に考えることは、たとえ哲学に馴染みのない読者に分かりやすく伝える意義があるとしても、哲学の簡潔化の過程で省かれる余分なものや過剰なものが思考においてどれだけ重要な要素であるかということをも明らかにするでしょう。

 

 

   例えば、『 なぜ世界は存在しないのか 』 ( 2012 ) 以前に出版されたスラヴォイ・ジジェクとの共著である『 神話・狂気・哄笑 -ドイツ観念論における主体性ー 』( 2009 ) で垣間見えた理論的緊張が、そこでは排除されている・・・、哲学入門書という体裁のもとで。

 

 

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  1. "世界" と "包摂"

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" つまり数多くの小世界は存在していても、それらのすべてを包摂するひとつの世界は存在していません。これは、数多くの小世界がひとつの世界にたいする多様な視点にすぎないということでは断じてありません。むしろ数多くの小世界だけが ----- まさしくそれらだけが ----- 存在しているということにほかなりません "

『 なぜ世界は存在しないのか 』 p20.

 

 

a.   もしガブリエルの言うとおり世界が存在しなければなぜ "世界という表現" があるのでしょう世界が存在しないのならそもそも "世界という表現" は必要ないのではないかという事ですねこの点に関してガブリエルの説明は苦しくひとつの世界は存在しないが数多くの小世界は存在すると言うその前提としてあらゆるものを包摂するひとつの世界という言い方を彼はするのですがそもそも全てを包摂しなければそれは世界ではないのでしょうか

 

 

b.  ここで注意しなければならないのはガブリエルの中では〈 世界 〉と〈 包摂概念 〉が暗黙の内に結びつき〈 包摂概念 〉の方が〈 世界 〉を規定する優位性を見せているという事ですそのような〈 包摂 〉という "ひとつ" の哲学概念が〈 世界 〉の本質を決定してしまうのに異和感を感じずにいられないでしょう〈 包摂 〉が〈 世界 〉を決定づけるのであれば第1義的なものは〈 世界 〉ではなく〈 包摂 〉ということになってしまうつまりガブリエルが "世界は存在しない" と言う時正確には "全てを包摂するものは存在しない" と言うべきであってそれが〈 世界 〉であると言うのは飛躍であり強引な短絡 ( ショートカット ) でしかないという事です

 

 

c.   このような批判に対してだが〈 世界 〉の存在を証明する上で任意の哲学概念 ( 包摂などの ) を導入して説明を進めていく事は方法論としては間違っていないのではないのかと思う人もいるかもしれませんつまりガブリエルはここで〈 世界 〉をひとつの〈 概念 〉として存在証明のために動かそうとしているのだからという訳ですね包摂という哲学的機能あるいは集合論的機能を備えさせつつ

 

 

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 2. 世界とは何であるのか

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a.   しかしそのようなガブリエルの説明の仕方は重要な問いを前にして傍らを通過することになるすなわち"世界とは何であるのか" という根本的問いですこれこそがガブリエルが究極的に思考する事が出来ていないのを示す問いですね

 

 

b.   もちろんそれはガブリエルがその問いを全く無視しているということではありません彼は答えているのですが相変わらず包摂概念から離れられないのです

 

" 世界とは、物の総体でも事実の総体でもなく、存在するすべての領域がそのなかに現れてくる領域のことです。存在するすべての領域は、世界に含まれている。マルティン・ハイデガーが適切に定式化したように、世界とは「 すべての領域の領域 」にほかなりません   p69.

 

" 世界とは、すべての意味の場の意味の場、つまりそれ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場であり、もってすべてを包摂する領域である " p108.

 

 

c.   彼の中では "世界" "包摂" がどうしようもないくらい癒着している ( 何せ本人がそのことを全く疑問に思わないのだから ) のですが このことは彼が "具体的なもの" と共にしか思考する事が出来ないのを示していますこの場合"具体的なもの" とは思考という行為にとってのそれであり思考作業を円滑にしてくれるある種のイメージだといえるでしょうガブリエルにとってのイメージとは世界はすべてを包摂するはずだが・・・そうではないという包摂概念を軸とした否定的イメージなのです

 

 

d.   それのどこが問題なのかというと哲学的に十分に抽象的ではないという事です抽象性が悪く具体性が良いなどというのは日常生活においてのみ幅を利かせている思い込みに過ぎないのであって哲学においては抽象的でないというのは具体性から離れられず極限まで思考出来ていないことを意味するのです

 

 

e.   それについて考えるためにここで彼のテーゼに戻ってみます仮に "世界は存在しない" というテーゼが正しいとしてもそのテーゼで破綻している〈 世界 〉が別の意味を与えられて"数多くの小世界は存在する" というテーゼで再び〈 世界 〉を登場させる不自然さが目に付きますそこで彼のテーゼの表現を変えた2つのヴァージョンを考えてみましょう

 

テーゼ 1. ひとつの世界は存在しないが数多くの小世界は存在する

テーゼ 2. 数多くの小世界は存在するがひとつの世界は存在しない

 

 

f.   これは"ひとつの世界は存在しない" "数多くの小世界は存在する" の順番をたんに入れ替えて結びつけただけの2つの結果ではありませんテーゼ 1. 本書における彼の説明の仕方をそのまま踏襲したものだといえます問題なのはテーゼ 2. なのですがテーゼ 1. の説明の仕方とは裏腹にこれこそが彼の実際の思考の順序を示しているといえるのですそれは彼独特の "対象領域という概念" が用意周到に準備されている事から分かるでしょう対象領域という多くの具体的事例に重点を置くことが"世界とは何であるのか" という問いを抽象的に考えないで済ますためのアリバイとなっているのです

 

 

g.   テーゼ 2. こそが彼の思考の方向性を示している訳ですがだからこそテーゼ 2. における "数多くの小世界は存在する" から "ひとつの世界は存在しない" へと至る結びつきが必然的なものではないことを指摘しておく必要があるでしょう対象領域が数多く存在する事がなぜ世界は存在しない事になるのか・・・彼はそう考える前に世界に包摂性を付与して問いに蓋をしてしまう

 

 

h.   対象領域が数多く存在することが世界が存在しないことに繋がってしまうと"世界" がなぜ "出現した" のか全く説明出来なくなってしまう世界の出現について考えるために次のような新しいテーゼをここで提示します

 

テーゼ 3. 対象領域が数多く存在するからこそ世界は抽象的に存在する

 

 

i.   このテーゼ 3. こそテーゼ 2. が考える事の出来ない哲学的思考を含んでいるのですそれは具体的なものから "抽象的なもの" が出現するという極めてヘーゲル的な思考なのですがここで注意しなければならないのは対象領域から "何か" が高次の抽象領域へと達するなどというような擬似ヘーゲル的理解に陥ってはならないという事ですそうではなく対象領域の数多くの乱立・衝突・隣接性という "現実それ自体" 対象領域の形式的構造性を炙りだし抽象化する知的移行を引き起こしているという事なのです

 

 

j.   すなわち対象領域の具体的飽和こそがその形式的構造性に気付かせるような抽象化へと至らせるのでありその抽象化の結果が〈 世界 〉の出現という訳なのですよって "世界とは何であるのか" という問いには世界とは対象領域という具体においてその形式性が抽象化されたものであると答える事が出来るのですドゥルーズ的な言い方をするなら世界とは抽象化作用それ自体の強度が形式的に示された概念のひとつであるという事ですなので世界が対象領域を包摂する事が出来なくても世界は対象領域の乱立から出現するのですその抽象化として ( それは表象ではない )

 

 

k.   これこそが世界像という表象観念から切り離した "世界" に与える事の出来る概念ですたしかにガブリエルが世界を世界像という何らかの観念に結びつけるべきではないとハイデガーをふまえて考えるのは正しいしかしそこから彼は極端にも "世界は存在しない" というテーゼを提出するのですがこれは正確には"世界は表象としては存在しない" というべきですここで先程説明した "哲学の抽象化作用" を考慮に入れて次のようなテーゼを提出しましょう

 

テーゼ 4.   世界は表象としては存在しないが抽象として存在する

 

 

 l.   このテーゼ 4. はテーゼ 3. の変形ヴァージョンといえるものですがいずれもガブリエルの思考の限界を明らかにするものとなっています突き詰めると彼は〈 世界 〉という概念をどう理解すればいいのか迷っているということです ( これはガブリエルだけにいえることではないですけど )彼は "世界はすべての領域の領域である" と包摂概念による予備的説明を施しておきながらそのようなただひとつの世界はやはり存在しないなぜなら具体的な数多くの対象領域があるだかだから・・・と言うのですね

 

 

m.   しかしその帰結では彼が最初に包摂概念を与えた〈 世界 〉についての説明は宙に浮いてしまい一体何だったのかという事になるでしょう仮にその説明が世界に対する一般的誤解をガブリエルが代弁したものだとしても彼自身は〈 世界 〉に対して何らかの積極的説明を行うことが出来ていないのです彼が行った唯一の説明は "世界は存在しない" それだけですこの帰結が危険なのは〈 世界 〉についての哲学的説明を行わないことによってガブリエル自身が避けようとした "世界像" という一般的誤解による観念を暗黙の内に認めているという反転的メッセージを無意識的に拡散させているからですつまり"世界は存在しない" とガブリエルが言うのは"世界は世界像として存在している" という誤解による観念を打ち消そうとする否定的身振りからくる反転写的テーゼでしかないという訳ですなのでガブリエルの "世界は存在しない" という反転写的テーゼは哲学的抽象的考察からは離れた否定的メッセージでしかないといえるでしょう

 

 

n.   "世界は世界像として存在している" という誤解を否定するためとはいえ"世界は存在しない" と言ってしまえばおそらくそこには心理的反撥しか出てこないつまりそれでも世界は存在するという具合に"世界は世界像として存在している" を真に否定するには〈 世界 〉の存在を抹消するのではなく〈 世界 〉に哲学的意味を与えて世界像とは別の形式で〈 世界 〉を存在させなけれなならいのですこれについては既に哲学の抽象化機能によって "世界は抽象的に存在する" と説明してきた通りなのでここまでの考察を振り返ってもらうのがいいでしょう

 

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 3.  意味の場にはない〈 対象 〉

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a.   ガブリエルは本書において〈 対象領域 〉とは別に〈 意味の場 〉という概念を持ち出して次のように言います

 

" 意味とは対象が現象する仕方のことである、と定義することができます " p101.

 

" 意味の場とは、何らかのもの、つまりもろもろの特定の対象が、何らかの特定の仕方で現象してくる領域です " p102.

 

" 意味の場の外部には、対象も事実も存在しません。存在するものは、すべて何らかの意味の場のなかに現象します " p103.

 

 

b.   ガブリエルは以上の事を説明するために事前に自分の左手という事例を持ち出していますそしてそれがいくつもの意味の場で異なった仕方で現象することを説明するのです曰く左手は5本の指があり指先があり手のひらにはしわがある左手は素粒子の集積でもある左手は芸術作品であり道具でもある

 

 

c.   彼はその説明によって〈 対象 〉は意味の場が違えば異なる現象の仕方をすることを明らかにしてすべては〈 意味の場 〉にあると主張するのですしかしその説明を注意深く読める人はガブリエルが自分が主張しようとしているのとは逆の事を証明しているのに気付くでしょうつまり〈 意味の場 〉がいくら変わろうとも現象する以前の〈 左手 〉が〈 意味の場 〉に常に先行しているのであり彼がそれに気付いていないという事です

 

 

d.   これこそが先程の〈 世界 〉の時と同様にガブリエルが考える事の出来ない哲学の抽象化機能なのですその観点からすると彼の〈 左手 〉はいくつもの〈 意味の場 〉で現象するのだから〈 意味の場 〉の中にあるという説明は決定的に間違っている実際は〈 左手 〉はいくつもの〈 意味の場 〉での様々な現象という形式から抽象的に出現した〈 対象 〉であるというべきなのですすなわち〈 対象 〉という抽象物は〈 意味の場 〉には属していない

 

 

e.   しかしここでガブリエルのように単純に〈 意味の場 〉に属していないのだから存在しないのだと考えるべきでありません〈 意味の場 〉に属していなくとも〈 対象 〉は抽象的に存在する実質 ( 意味形象など ) を内包していなくとも〈 抽象物 〉はヘーゲル的な意味での〈 知 〉として存在するのですそこには哲学の抽象化機能が作用しているのでありそれは〈 具体 〉からの〈 知 〉への移行なのです

 

 

f.   ただしこの 〈 知 〉への移行は〈 具体 〉から "物的に" 離れてしまう訳ではありませんそのような誤解をする人は多いかもしれませんが現実はその〈 具体 〉という定義を施される〈 もの 〉に留まったままなのですその当の〈 もの 〉自体がそれ自身において抽象化という知的移行を起こすのですだからガブリエルの〈 左手 〉は抽象としていくつもの〈 意味の場 〉に先行して現れる訳です

 

 

g.   という事はここでは〈 意味の場 〉で現象する "具体" と〈 意味の場 〉に属さない "抽象" が同時に存在するという事態が〈 もの 〉自身において起こるのでありガブリエルのようにすべてが〈 意味の場 〉に現れるのではないという事になるのですこれがどういうことかというと〈 対象 〉は〈 具体 〉と〈 抽象 〉によって常に既に二重化されているという事ですヘーゲル的な言い方をすると〈 対象 〉は〈 具体 〉と〈 抽象 〉の両極において知的移行を繰り返しているという事なのです

 

 

h.   そこで作用している運動は "部分と全体の弁証法" ( ただし、フッサールのそれではない ) に他なりませんこの弁証法部分 ( 対象 ) が全体 ( 意味の場 ) に属していながらも同時に抽象として独立しているという二重性によって動き出しますこの運動が興味深いのはまさに部分 ( 対象 ) を上手く定義する事が出来ない難しさ ( なぜなら二重化されているから ) こそが運動の契機になっているという所なのです

 

 

i.   間違いないのは対象 ( 部分 ) が意味の場 ( 全体 ) とは異質なものだという事ですもし対象が意味の場と同質なものであれば対象 ( ガブリエルの左手 ) を説明する全体の他の要素 ( 素粒子芸術作品道具 ) の中に対象は紛れてしまって一体どれが当の対象なのか最終的には判別出来なくなってしまう全体の中の要素が何処に向かうこともなく同列に列挙される悪循環しか起きなくなるのです全体の中の幾つもの要素が "何か ( ガブリエルの左手 )" に対して意味を持つようになるには当の "何か ( ガブリエルの左手 )" が他の要素とは異質なものとして独立していなければならない異質である事によって初めて他の要素を自らを説明するために引き寄せる事が可能になるつまり異質であるためには他の要素が〈 具体 〉に留まっているのに対して〈 対象 〉は〈 具体 〉と〈 抽象 〉の両極によって二重化された特異な〈 もの 〉である必要があるのです

 

 

j.   ここでも〈 世界 〉と同様〈 対象 〉も具体的なものとしてしか存在しないと考えるガブリエルの思考の限界が表れている彼の思考の限界とは〈 抽象 〉について考えることが出来ない思考行為が〈 具体 〉から離れる〈 抽象化機能 〉それ自体である事を濃密に示したドイツ観念論哲学と同様の強度で思考しているとはとても言えないでしょう ( たとえ彼がシェリング研究を始めとしたドイツ観念論の "見取図" を上手く描いているとしても )

 

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    4.   世界は抽象的に存在する

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a.   ここで参照しておきたいのがジジェクとの共著であるガブリエルの『 神話・狂気・哄笑 -ドイツ観念論における主体性ー 』( 2009 ) です同書の巻末には『 なぜ世界は存在しないのか 』というボン大学での講演 ( 2009 ) が掲載されていますそれはこの記事で参照している『 なぜ世界は存在しないのか 』( 2012 ) とタイトルは同じものですが内容は若干違ってガブリエルの "心的揺らぎ" が垣間見えて興味深いのです

 

 

b.   どういうことかと言うとそこではガブリエルが "世界は存在しない" と言い切るのに無意識的躊躇を示しているのですそこで彼はハイデガーあらゆるものが生じる場所それ自体は生じることがないそれは出会われることのできない領域Gegend 〕であるという主張を引き合いに出しますそしてそのような自らは存在しない奇妙な領域ハイデガーに倣って "性起" と言うのですつまり"・・・世界は存在するのではなく性起するのです世界は端的に性起なのです" という事になる (『 神話・狂気・哄笑 -ドイツ観念論における主体性ー 』p324. )彼に従うのなら

 

 

c.   「世界は存在するのではなく性起する 」・・・この主張は『 なぜ世界は存在しないのか 』( 2012 ) では見られないものですこの些細な変化をどう考えるべきなのでしょう"性起" という特定の概念が世界を規定するのであればそれは 【 1. "世界" と "包摂" 】で示したように"世界" については何も語っていないのと同じですそこから世界は存在しないと言うことは出来ないのですガブリエルは自分の主張の脆さを反省的に補強しようとして "性起" の概念に言及するという躊躇を見せていたという訳ですが『 なぜ世界は存在しないのか 』( 2012 ) ではそのような思考の緊張は排除されてしまっているのです【 ※

 

 

d.   ガブリエルが世界について哲学的に語る事が出来ない原因は何でしょうその決定的原因はガブリエルが世界を "場所" として考えてしまっているからですこれは彼自身が批判したはずの "世界像" という罠に陥っている事に他なりません分かりやすく言うならガブリエルが世界を場所という "ひとつのイメージ" として考えていることが露呈してしまっているのです

 

 

e.    しかしそうは言っても最小限のイメージがなければ世界について考えることは出来ないのではないかその意味で世界を "場所" として考えることは間違っていないのではないかと思う人もいるでしょうたしかにその通りですただしそれは哲学的思考の篩いに掛けられる以前の一般的イメージとしてはそうだという条件をつけなければなりませんd.  で述べたようにそれでは哲学的には十分に抽象的ではないのですガブリエルのように具体的な対象領域に留まる思考では"世界" や "意識""主体" について何一つ刺激的な思考へ辿りつく事は出来ないでしょう

 

 

f.   "特定" のイメージが何らかの状況から出現した哲学概念を抽象的に思考する事を妨げてしまうのです ( ここで言うと世界=場所というガブリエルの出発点 )ここで急いで付け加えなければならないのはイメージは排除すべきだと言っているわけではないという事ですそのような事は不可能であるしそもそも世界以前の原初の物事の "出現" にはイメージという形式 ( でさえ ) が付き纏うとして受容れるべきでしょう重要なのはそのイメージによって物事の "出現" を見過ごすべきではないという事ですこの場合場所というイメージに拘りすぎて世界という概念が "出現" したことを見落としては哲学的考察は進まないという事ですなぜ "世界" が出現したのかを考えれば現実の対象領域の飽和性が領域という形式的抽象化を経由して世界という概念への知的移行を引き起こしている事が理解出来るでしょうそれゆえに世界は抽象的に存在するのです

 

 

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 【 ※

 

   このような迷いはガブリエルが「 世界は存在しない 」という "自分の" 主張をもっと突き詰めて考えるべきであった事を示しているいやそもそもその主張は実はガブリエルのものではないのだから彼がその主張に確信を持てないのは当然なのですではその主張は誰のものかそれは『 神話・狂気・哄笑 -ドイツ観念論における主体性ー 』の共著者であるスラヴォイ・ジジェクなのですジジェクは『 ジジェク自身によるジジェク 』で 私たちの知覚による歪曲の彼方に何らかのヌーメナルな実在があるというのは唯物論の本当の考えではありません唯一の首尾一貫した唯物論の見解は、世界は存在しないというものなのです 」( p137. ) と言っているのですがガブリエルはそのアイデアを "わざと" 借りている訳です

 

   「 世界は存在しない 」の元ネタがジジェクであるのを指摘したのはグレアム・ハーマンなのですが彼はジジェクの矛盾を指摘してその主張を否定する「 今述べた彼 ( ジジェク ) の立場は、事実とは真逆なものである 」 ( グレアム・ハーマン『 四方対象 オブジェクト指向存在論入門 』p99. 人文書院 )。その点については僕もハーマンに同意する

 

 

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