哲学的抽象機械

Philosophical Abstract Machine

ウィリアム・フリードキンの映画『 恐怖の報酬 オリジナル完全版 』( 2018:日本公開 )を哲学的に考える

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公開 2018年 ( オリジナル版は1977年 )

監督 ウィリアム・フリードキン

 

出演 ロイ・シャイダー   ( ジャッキー・スキャンロン "ドミンゲス" )

   ブルーノ・クレメル  ( ヴィクトル・マンソン "セラーノ" )

   フランシスコ・ラバル ( ニーロ )

   アミドゥ       ( カッセム "マルティネス" )

 

音楽 タンジェリン・ドリーム

   キース・ジャレット

   チャーリー・パーカー

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想という記事ではなく、『 恐怖の報酬 オリジナル完全版 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という僕の個人的欲求に基づいています。なので、深く考えることはせずに映画のストーリーのみを知りたい、あるいは映画への忠実さをここで求める ( 僕は自分の思考に忠実であることしかできない )、という方は他の場所で映画の情報を確認するべきです。しかし、この記事を詳細に読む人は、自分の思考を深めることに秘かな享楽を覚えずにはいられなくなるという意味で、哲学的思考への一歩を踏み出す事になるといえるでしょう。

 

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1.  『 恐怖の報酬 オリジナル完全版 』の評価

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a.   『 恐怖の報酬 オリジナル完全版 』を評価する上で"最も" 避けるべきはこの作品をアンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『 恐怖の報酬 』( 1953 ) の "リメイク" だという考えですたしかにフリードキンの『 恐怖の報酬 』はクルーゾーのストーリーを踏襲したものですがそれが1977年に北米で初公開された当初の原題が『 SORCERER 』( ソーサラー:魔術師の意。マイルス・デイヴィスのアルバムから採られている ) という異様なものであったのを考慮すればフリードキンは仕上がった作品を見てそれがクルーゾーのものとは違う "異質な作品" である事を分かっていたと推測すべきでしょう【

 

 

b.   つまりフリードキン版を見てそれがクルーゾー版に劣るという評価ほど的外れなものはないということですフリードキンの世界観について考えることなく本家であるクルーゾーの足元には及ばないと言うだけでは何も語っていないのと等しい気付くべきはフリードキンの世界観のいかなる要素がクルーゾー版とは違うと思わせるのか考えてみるという事ですそうすることはフリードキン版を見て退屈だと思う人がこの作品の見方を変える上で役立つことでしょうこれは他の監督の作品についてもいえることですがある作品が "自分にとって" 本当に面白いかどうかを判断する時その作品に対する "自分の見方" について今一度考えることは無駄ではありません違う見方違う考え方も可能なのですからその後でやっぱり面白くないと判断しても遅すぎることはないはずです

 

 

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【 ※

   1977年の北米での初公開はユニバーサルとパラマウントによる共同製作・共同配給しかし2000万ドルを超えた予算に対して北米での興行収入は590万ドルという不調だったこれを受けて世界配給を担当したCICはフリードキンに無断で短縮版を編集した上でクルーゾーのリメイクであることを示すためにタイトルを『 SORCERER 』から『 恐怖の報酬 』に変更それでも世界興行収入は900万ドルにしかならなかった

 

 

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2.   フリードキンのイマージュへの拘り

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a.   この作品でフリードキンの特徴が現れている以下のシークエンス3人の仲間が命を失い1人で消火用ニトログリセリンをトラックで運搬するドミンゲス ( ロイ・シャイダー )

 

 

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b.   南米ポルベニールのジャングルを困難の末抜け出し目的地の油田を近くにした山岳地帯を通行中にそれまでの出来事が悪夢のようにフラッシュバックしてドミンゲスを襲うのですがその描き方がフリードキンらしい2. でドミンゲスに山岳地帯の岩壁が重ね合わされ3. でその岩壁がなぜか数秒映し出される気付いた人もいるでしょうがここでフリードキンは岩壁の複雑な模様があたかも人の顔であるかのように匂わせ不穏感を演出しているのですね4. そして11. 12. のドミンゲスの「 知らんだと 」というセリフこれはスキャンロンがアメリカから国外へ高飛びする為に会った仲介業者がスキャンロンがどの国へ連れていかれるのか知らないことに対するものそれをあざ笑うかのように先程南米ゲリラに襲われて殺されたはずの相棒ニーロの高笑いの場面 5.ちなみにドミンゲスというのはスキャンロンの南米での偽名 ( 違法入国なので )

 

 

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c.   ドミンゲスのフラッシュバックは続く記憶はさかのぼりアメリカで強盗をして車で逃走するドミンゲスたちその際に事故を起こし運転していたドミンゲス以外の3人の仲間は即死する ( 8 ~ 11. )

 

 

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d.   さてここまで見るとこのフラッシュバックはドミンゲスの個人的な経験の総体のように思えるかもしれませんしかし以下のシークエンスでは事情が少し違うことが示されています13. 14. はセラーノとマルティネスの2人が運転するトラックが道を踏みはずし転落して爆発死するシーンなのですねこれはドミンゲスの経験ではないし彼が知らないことでもあるのです ( 少なくともその時は )もちろんこれはフリードキンのちょっとしたミスでありほとんどの人は気にかけないことでしょうしかしこのような些細な事が哲学的考察のための契機でもあるのです。

 

 

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e.   つまりここで考えたい事は一見ドミンゲスのフラッシュバックと思われた彼の記憶の積重ねという形式の中に"イマージュ" というものに対するフリードキンの趣向が現れているという事ですそれは作品のストーリーに合うように映像が組み込まれているというよりはストーリの流れから突出した映像の連続の方が観念論的なストーリーを引っ張るという "唯物論弁証法" が展開されているという事なのです。

 

   セラーノが付けていた腕時計のクローズアップ

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f.   通常であれば観客は観念論的であるストーリーを理解する事によって作品にアプローチするのですがフリードキンの『 恐怖の報酬 』はフリードキンの映像への拘りという唯物論的手法の方がこの作品を動かす要因になっていると言えるのです ( 実際にこの作品のストーリー自体は冒頭から分かりにくく予備知識がないと4人の別々のエピソードが展開されている事に気付かないかも )そのようなイマージュへのフリードキンの拘りが現れた有名なショットが豪雨の中で脆い吊橋を渡るトラックでしょう

 

 

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g.   このトラックの吊橋シーンはドミンゲスとニーロのコンビが乗るトラックとセラーノとマルティネスのコンビが乗るもう1台のトラックがある為計2回描写されるのですがこの辺のシークエンスの緊迫感はこの映画の中でも最も映像の "強度" が高まっているといえるでしょう極端な言い方をするならばストーリーから突出したイマージュの強度だけでこの映画を成立させるという特異な "唯物論的出来事" が発生しているのですねその瞬間に限っては

 

 

h.   さらに哲学的に考えるならばこのジャングルへの困難な進入は人間存在の実存的闇への侵入であると解釈出来ますこれは決して大袈裟な表現ではなくフリードキンが追及する "悪夢のイマージュ" には人間存在の背後に蠢く恐ろしい何かがあると直感する彼の無意識的探求の意志が込められていると考えられるのです

 

 

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3.   実存の闇

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a.   4人の男たちがジャングルへ進入するシークエンスを見てフランシス・フォード・コッポラの『 地獄の黙示録 』を想起した人もいるでしょうおそらくその参照項は間違っていません双方とも奥深いジャングルで人間が自らの実存的闇に出会うという意味で地獄の黙示録 』の原作であるジョセフ・コンラッドの『 HEART OF DARKNESS 』その邦訳タイトルである『 闇の奥 』が象徴的に物語っていますね【 ※

 

 

b.   両者はその唯物論的映像といいBGMといい ( 地獄の黙示録 』はワーグナー"ワルキューレの騎行" 恐怖の報酬 』はタンジェリン・ドリームによる "Betrayal" などのサウンドトラック  ) 、人間が実存的闇すなわち自らの存在の根源である "狂気" との出会いを象徴的に描き出しているのです

 

 

■   地獄の黙示録 』でマーロン・ブランド演じるカーツ大佐が恐怖について語る場面。

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   『 恐怖の報酬 』でドミンゲスに降りかかるフラッシュバックの嵐が頂点に達し、彼を通じて人間の狂気が垣間見える場面。

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c.   ここにおいてフリードキンが『 恐怖の報酬 』のリメイク版に当初『 SORCERER ( 魔術師 ) 』という タイトルをなぜ付けたのか推察する事が出来るでしょうおそらく彼の無意識的探求は常に人間の存在自体が狂気を根源としている事に向かっているのですドミンゲスセラーノニーロマルティネスたちの4人が運命に翻弄されながら不遇から何とか脱しようとしても ( 4人は大金を得るために危険なニトログリセリン運搬の仕事を引き受けた )その選択こそが実は最悪なものに他ならなかったのですつまり最初から彼らは "死ぬ" 以外の選択をする自由が無かった事をフリードキンは描き出している死に至る道の中でしか生きられず死に至る以外の選択が与えられていない人間はまさに死に踊らされる存在でしかありませんその意味で『 SORCERER ( 魔術師 ) 』とは人間存在を操る "死" の擬人化であると解釈出来るのです

 

 

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【 ※

   地獄の黙示録 』についてはこちらの記事を参照

 

 

 

 

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