哲学的抽象機械

Philosophical Abstract Machine

ジョナサン・グレイザーの映画『 記憶の棘 』( 2009 )を哲学的に考える

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監督 ジョナサン・グレイザー

公開 : 2004

脚本 ジャン・クロード・カリエール

   ミロ・アディカ

 

出演 二コール・キッドマン  ( アナ )

   キャメロン・ブライト  ( ショーン )

   ダニー・ヒューストン  ( ジョセフ )

   ローレン・バコール   ( エレノア )

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想ではなく、『 記憶の棘 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という僕の個人的欲求に基づいたものです。なので、考えることをせずに映画のストーリーのみを知りたい、あるいは映画への忠実さを求める、という方はこの場所は適当ではないかもしれません。しかし、限られた人生の時間の中で物事を深く考えることに意義を見出す人にとっては、十分に刺激的な記事であるのは間違いないでしょう。

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  1. 死んだ夫としての少年

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a.   10年前に夫ショーンを亡くし、ジョセフ ( ダニー・ヒューストン ) と再婚しようとしているアナ ( 二コール・キッドマン ) の前に、自分はショーンの生まれ変わりだと言う少年 ( キャメロン・ブライト ) が現れるという設定の作品。この作品を輪廻転生の話しだと感じる人もいるでしょう。結局、少年はショーンの生まれ変わりではないのが最後に明らかになるのですが、それでもこの作品は輪廻転生がテーマだと "象徴的に" 理解しようとする人がいるのは分からなくもありません。

 

b.   というのも、誰よりも輪廻転生を信じているのが他ならぬアナ自身であるかのように思われるからです。ある日、見知らぬ少年がショーンの生まれ変わりだと言って現れたものだからアナは拒否します。ところが少年の余りの一途さにアナは彼に興味を持ち出し、やがては家に招き入れるようになるのです。

 

c.   ここで注意すべきは、アナは婚約中のジョセフと既に一緒に暮らしているにも関わらず、少年を家に入れている点です。当然、ジョセフは気分がいいはずもなく、ある日、少年への怒りを大人気なく爆発させてしまったりします。そのジョセフが少年とアナの関係を疑って聞き耳をたてる以下のシーン。

 

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d.   入浴中のアナの所に少年が一緒に入ってくるというこのシークエンス ( そしてジョセフは聞き耳を立てている ) は、亡き夫を忘れられないアナと彼女への一途な思いを抱く少年との関係性が、輪廻転生をテーマにした純愛であるかのような見かけの裏で、恋愛感情と絡んだ性的欲望が秘かに進行しているのを示す注意すべきものになっています。監督のジョナサン・グレイザーが意図的にこのシークエンスを入れているのは明らかですね。

 

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  2. 女と男、あるいは女と少年

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a.  ここでのジョナサン・グレイザーの意図は、男女の恋愛関係の裏側に潜む性的欲望を一方的に暴き出すというよりかは、恋愛感情と性的なものの重層的な絡み合いを描き出すことを狙ったものだといえるでしょう。つまり、かつての恋愛の関係性 ( アナと亡夫 ) が現在における性的なものの力 ( アナと少年の関係性 ) によって秘かに変貌していく過程を描いているという事なのです。この辺は殆どの人が見過ごすところでしょう ( 薄々気付いていても )。

 

b.   アナの視点からすると、彼女は再婚相手のジョセフを恋愛感情の末に選んだというよりは今後の人生を考えてのパートナーとして認識している。だからこそ、ショーンの生まれ変わりだと言う少年の言葉を信じて、かつての恋愛感情を自分の中で燃え上がらせている訳です。

 

c.   ただし、1~12. においてバスタブに後から入ってきた少年の身体を見て、アナは現実に気付いたはずです。まだ大人に成り切れていない、これから大人になろうとする少年の身体が、アナの中の亡き夫への幻想とは別に、この少年がショーンではない1人の男であるとアナは認識せずにいられなかったでしょう。

 

d.   赤裸々に言うと、ここでのアナは、少年が亡き夫の生まれ変わりだという輪廻転生の話をアリバイとして、少年との恋愛を性的なものを絡めて秘かに楽しんでいるとさえ言えるのですね。これは決して穿った見方だとはいえません。というのも、そのような見方は再婚相手のジョセフのものであるからです。彼は輪廻転生の話など信じていません。少年を少年として認識し怒りをぶつけるだけなのです。少年のくせに自分の婚約者と恋愛関係を持とうとするのは何事かと言う訳です ( 13~16. )。

 

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e.   そんなジョセフの不満に関わらず、アナは少年との恋愛感情を強めていきます ( 17~20. )。ここまで来ると、彼女は亡き夫への思いよりも、少年との恋愛関係という倫理的な一線を踏み越えることの興奮や情熱に身を傾けているのです。この後、彼女は少年がウソをついていたと告白するまで、彼との関係を持ち続けようとしていたくらいに ( 何年か後には彼がある程度の大人になるという算段をしながら )。

 

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f.   アナと少年の関係も、少年の告白 ( 嘘をついていた ) によって終わりを迎えます。そこで彼女は "私を騙していたのね" と怒るのですが、これを文字通りに受けるべきではないでしょう。彼がショーンではない事が分からないような大人ではないし、それでは解釈が単純過ぎますね。

 

g.   それではアナがどうして怒ったかというと、少年がショーンの振りをする事によって成り立っていたアナと少年との恋愛関係のゲームから、彼が降りてしまったからです。このゲームは彼女の欲望を満足させていた、たとえ少年が嘘をついていたとしても。いやむしろ少年が嘘を付いていたから、このゲームが成り立っていることにアナは興奮していたといえるでしょう。

 

h.   さらに踏み込んで解釈するならば、このゲームにおける少年のアナに対する裏切りは、アナの亡夫のショーンが生前に浮気していたという裏切りと重ねあわせる事が出来るでしょう。ショーンの浮気相手であったクララ ( アン・へッシュ ) が少年の嘘を暴くこと ( 少年がもしショーンの生まれ変わりであるならば浮気相手のクララが分かるはずなのに気付かなかった ) によってアナと少年の恋愛関係を結果的に終わらせた訳ですが、そこにアナを不幸にしようというクララの意図がショーンの生前と同様に働いていることの方がアナと少年のスキャンダラスな関係よりも実は恐ろしいのです。アナはおそらくクララの意図に気付かずに振り回されているのであり、そこにはある人間の人生 ( アナの人生 ) が特定の人間 ( クララ ) の意図によって狂わされていくことの恐ろしさがあると言えるでしょう。

 

 

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