〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

▶ ダニエル・パウル・シュレーバーの『 シュレーバー回想録 ある神経病患者の手記 』( 1903 )を哲学的に考える〈 3 〉

 

 

 

 



 

 

A. 4章で述べたようにテクストに書き込まれなかった "父" ではない別の何かとは 妻ザビーネ に他なりません。シュレーバー精神分析においてもほとんど言及される事のないザビーネ ( そもそも精神分析は男と女という "組合せ" について上手く語る事が出来ない、男と女という "2つの性" についてラカンのように語る事は出来ても ) は、ある意味で "父" 以上にシュレーバーに影響を与えているといえるのです。では、どのように影響を与えているのかというと、おそらくはシュレーバーの狂気の 形成 ではなく、狂気の 発症 に対しての決定的な要因であるかもしれないという事です。

 

B. 狂気の "形成" と狂気の "発症" 、この区別は決してささいなものではないでしょう。狂気の形成がシュレーバーの人生の地下水脈において秘かに進行していた ( それこそフロイトラカンを初めとする幾つもの精神分析的診断が示すように ) としても、それがある特定の時期になぜ発症したかという問題は、やはり狂気の形成と発症を区別する考察に至らざるを得ません。

 

C. 既にラカンはこのことについて注意を払っていました。彼はシュレーバーの発症の契機を1884年 ( シュレーバー42歳 ) の 帝国議会選挙での落選1893年  ( シュレーバー51歳 ) の ドレスデン控訴院民事部部長への就任 というふたつの出来事にあるのではと考えたのですね。一方の政治的野心を叶えられなかった事実と、もう一方での時期尚早な権威的役職の獲得という事実の落差の中から生じた 父親的立場 に対するめまいが発症の契機になったというのです。そしてここに付け加えるならば、シュレーバーは職業には父親的機能を担うであろう権威主義的地位を得たものの、妻ザビーネが流産を繰り返していたため実際に父親になる事が出来なかったという事実 に直面して心的に引き裂かれていたと言う事が出来ますね。

 

D. しかし・・・以上のような説明の仕方は物事を男性的な立場に集約し過ぎたものだと言えるでしょう。というのも 流産のショック が妻ザビーネの元を離れシュレーバーただ1人に収斂し、その事が彼の内的緊張状態を作り出しているかのようだと思えるからです。確かに精神分析的アプローチだと、この場合、分析の対象はシュレーバー1人なのだから正しいのかもしれません。

 

E. ここで僕は個々で精神分析が妻ザビーネの立場を無視しているというようなフェミニズム的主張をしようという訳ではありません。そうではなく、流産または不妊治療というものが、夫婦関係をどのくらい危機的なものに陥らせるのかというように 男女間の 出来事 が互いの精神を修復不能にするかもしれない程の影響力を持つ のは考察してみる価値があるだろう ( それはもう精神分析とはいえないかもしれませんが ) という事です。そしてそれは回想録に書き込まれる事がなかったものなのです、直接的には ( )。

 

F. 互いの精神が修復不能になる・・・これは決して大袈裟な表現ではないでしょう。もう子供を持つ事が一生出来ないと知った時、今後の未来を見据える夫婦の悲しい視線はもう現在の夫婦関係を幸せに捉える事が困難になる。もちろん表向きは気持ちを切り替えているかのように見えるかもしれませんが、実際に彼らはどれ程心的にダメージを追ったかは他人に見せる事はほぼない。

 

G. 特に、妊娠・出産の主体である女性が受けるダメージは計り知れないものがあり、それは時としてパートナーである男性を驚かせ ( 例えば子を産んだ他の女性への妬み・恨み、など )、それどころか男性を攻撃するものになる。シュレーバーの精神における父親的機能の基である権威主義の父であるモーリッツ・シュレーバーをさらに100年以上も前に遡る事の出来るシュレーバーの家系・・・それについてラカンが、男性が副次的役割しか果たさない女性主導の受胎プロセスの中への 父というシニフィアンの導入のみが構造的変化 ( 世代という考え方 ) を起こす と巧みに説明しても、そのシニフィアン以上に妻は自らを責めると共に、夫を精神的に攻めるのです。

 

H. そしてシュレーバーも、父のシニフィアン以上に現実の妻 ( 発病時には父は既に死んでいたので ) を何とか受容れようとしていた と思われる出来事がありますね。ザビーネはシュレーバーが自分の元に帰るまでにある少女を引き取っていたのですが、彼が戻ってきた後、夫妻は彼女を正式に養女にしたというものです。たいして注目される事のないエピソードですが、ここから推察出来る事は、もしシュレーバーの中で父のシニフィアン "のみ" が作用していたとしたら、彼はシュレーバー家の存続を考えて ( 彼の兄であったグスタフ・シュレーバーは1877年にピストル自殺している ) 男の子を養子にしたはずだろう という事です。しかし彼はそうせずに、ザビーネの望みを受け入れ養女を取ったのですね。これは シュレーバー家の男系が自分で途絶えてしまうのをシュレーバーが認識していた という事でもあるのです。これに対して、シュレーバーはこの時、60歳を越えていたのだからすべてを諦めていただけではないのかという反論があるとしても、彼が死ぬ前に再入院した先でも依然として父のシニフィアンが原因である妄想を口走っていた事を考慮に入れるならば、適切な反論ではないと判断できるでしょう。そう、シュレーバーの中では父 "以上" にザビーネが優先されていたという事です、父の妄想に悩まされながらも。

 

I. さて、そういう妻の姿を見た時、夫が彼女にしてやれる事はほぼ何も無いのです。自分が妻に代わり妊娠・出産する事は出来ないという現実がある からです。もう、ここからシュレーバーが女性化への妄想へ踏み出すまでにはもう一歩です。このような状況の中で自分を保つために、シューレーバーは自分の精神を秘かに造りかえたのです。それが出来なければ後は夫婦関係の解消、すなわち離婚しかないのですから。しかし、シュレーバーは改変に失敗した・・・自分の精神形成の要である父親的機能との折り合いを付けられていない所に、自分の目の前にいる妻ザビーネへの心的対応という問題が強引に接続されてしまった からです。これこそがシュレーバーの狂気の "発症" の契機だと考え直す事も出来るでしょう。5章で述べた1893年ドレスデン控訴院民事部部長への就任時は、同時にそれまでザビーネの流産が複数回に渡っていた事が分かる年でもあるのですから。

 

 

( )

これについては補足が必要でしょう。ここでは回想録の中に妻の記述が全くないと言っている訳ではありません。むしろ、1回しか言及されていない父 ( このことはラカンが指摘している ) に比べたら、妻への記述は数箇所で見受けられます。例えば回想録の 第9章 p.135~136第12章 p.178 ~ 180など。なので記述がないというのは、流産という出来事を巡っての "妻との軋轢" が記述されていない という事なのです。いや、流産という不幸な出来事はあったにも関わらず、"揉め事" は何も無かったかのようにシュレーバーの記述は進んでいるのです。もちろん、人形でもない限り、ザビーネにも感情がある訳で、何も起きていないはずはないのですから、シュレーバーの記述に不自然さがある、いやもっというなら、妻との軋轢は敢えて "排除" されている事が推測出来ますね。それはラカン的に、回帰してくるものであると考えてもおかしくないでしょう。