哲学的抽象機械

Philosophical Abstract Machine

ダニエル・パウル・シュレーバーの『 シュレーバー回想録 ある神経病患者の手記 』( 1903 )を哲学的に考える〈 1 〉

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参照 : 『 シュレーバー回想録 ある神経症者の手記 』 邦訳 ( 平凡社ハードカバー版 1991年初版 全542ページ )

著者 :   ダニエル・パウルシュレーバー

訳者 :   尾川 浩、金関 猛

改題 :   石澤誠一

 

目次

 序言

・ 枢密顧問官・医学博士フレッヒジヒ教授への公開状

・ 目次 

・ はじめに

・ 第 1 章   神と不死

・ 第 2 章   神の国々における危機? 魂の殺害

・ 第 3 章   印刷されず

・ 第 4 章   最初の神経病を患っていた間、及び二度目の神経病を患い始めた頃の個人的な体験

・ 第 5 章   前章の続き。神経言語 ( 内なる声 )。思考強迫。脱男性化が場合によっては世界秩序によって要請されるということ

・ 第 6 章   個人的な体験、前章の続き。ヴィジョン。「 見霊者

・ 第 7 章   個人的な体験、前章の続き。奇妙な病状。ヴィジョン

・ 第 8 章   ピーアゾン博士の施設に入院していたときの個人的な体験。「 試練を受けた魂 」

・ 第 9 章   ゾンネンシュタインへの移送。光線との交信に生じた変化。「 筆記制度 」、「 遊星への繫留 」

・ 第 10 章  ゾンネンシュタインにおける個人的な体験。光線との交信に随伴して現れる「 妨害 」。「 気分盛上げ 」

・ 第 11 章  奇跡によって身体の不可侵性が犯されるということ

・ 第 12 章  声のおしゃべりの内容。「 魂の見解 」。魂の言語。個人的な体験 ( 継続 )

・ 第 13 章  引力の要素としての魂の官能的愉悦。様々な余波

・ 第 14 章  「 試練を受けた魂 」とその運命。個人的な体験 ( 継続 )

・ 第 15 章  「 人間玩弄 」と「 奇跡の戯れ 」。助けてくれという叫び声。話をする鳥。

・ 第 16 章   思考強迫、その現れと随伴現象

・ 第 17 章   前章の続き。魂の言語における意味での「素描 」

・ 第 18 章   神と創造過程。自然発生。奇跡の虫。「 視線方向変え 」。 

・ 第 19 章   前章の続き。神の全能と人間の意志の自由 

・ 第 20 章   私という人間に関する光線の自己中心的な考え方。個人的な状況の今後

・ 第 21 章   至福と官能的愉悦の相互関係。この関係が個人的な態度に及ぼす影響

・ 第 22 章  結び。未来への展望

 

補遺1

・ Ⅰ  奇跡について

・ Ⅱ  神の知性と人間の知性の関係について

・ Ⅲ  人間玩弄について

・ Ⅳ  幻覚について

・ Ⅴ  私という人間への神経接続を通じて明らかになった神の本性について

・ Ⅵ  本書を閉じるにあたっての考察及びその他諸々の事柄について

・ Ⅶ  火葬について

 

補遺2

 

・ 付録論文 「精神病と見なされる人物の医療施設での拘禁は、当人がそれを拒否するはっきりとした意志を表明している場合、どういった前提条件があれば許されるか」

 

資料(禁治産宣告取消し訴訟の記録)

・ A  枢密顧問官ヴェーバー博士による1899年12月9日付裁判医鑑定書

・ B  枢密顧問官ヴェーバー博士による1900年11月9日付管区病院医鑑定書

・ C  控訴理由書

・ D  枢密顧問官ヴェーバー博士による1902年4月5日付鑑定書

・ E  ドレースデン控訴院1902年7月4日の判決

 

シュレーバー年表

 

訳者あとがき

 

解題

 

決まり文句集

 

索引

 

参考文献

 

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 【 1 】   ダニエル・パウルシュレーバー

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a.   ドイツの法曹としてのキャリアを重ねながらも、精神を病み、度々入院生活を余儀なくされる程の体験をしたダニエル・パウルシュレーバー ( 1842~1911 ) による驚くべき回想録は20世紀における奇書のひとつといえるでしょう。この回想録はシュレーバーが61歳の1903年に出版されたのですが、発売と同時に親戚らによって買い占められ焼却されたので、実際に流通したのはわずかだったと言われるほどの稀覯本でした。それくらい周囲の人を引かせる程の病的な印象を与える内容だったという訳です。

 

b.   そんな中、この本にいち早く注目したのはフロイトであり、シュレーバーが亡くなった1911年に彼についての『 自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察 』を発表しています。しかし、この回想録を世の中に決定的に広めたのはフランスの精神分析家、ジャック・ラカン ( 1901~1981 ) であった事は間違いないでしょう。影響力のあった彼の講義録 ( 1955~56年の講義録『 精神病 』) によって、フロイトの著作における1症例に過ぎなかった "シュレーバー" が現代思想を通じて広まったのです。ラカン的に言えば、"シュレーバー" という言葉は単に当人を指し示す固有名詞である事を越えて、精神分析と哲学を横断して人々の思考を刺激する "記号表現 ( シニフィアン )" になったのですね。

 

c.   とはいえ、ここではシュレーバーをアカデミックな規範の元で考える、あるいは紹介するのが目的ではありません。彼について僕が好きなように哲学的に解釈する事とその記録が目的なのであり、その哲学的解釈を施して、様々な人がこの回想録について考える上での契機になればいいと思っているわけです。

 

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【 2 】   シュレーバーの明晰さ、そして書くこと

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a.   回想録を読む上で注意したいのは、"魂の殺害""神経言語""神経接続""脱男性化"、などの神秘的表現とその表現を駆使したシュレーバーの世界観を、狂っていると安直に思うのなら、それは余りにも読解力が無さすぎるという事です。シュレーバーの世界観がどうのこうのいう以前に、あるいはシュレーバーは狂っているなどの先入観を持たずに、丁寧にこの本を読んだ人ならば、フロイトラカンのように、"極めて明晰に書かれている" と感じるはずです。

 

b.   シュレーバーにおいては、回想録が自らの手によって書かれているという事実、それこそが重要だといえるのです。もし、回想録を読んで彼が狂っていると言うのなら、その人は狂気について自分が抱く定義を問い直す必要があるでしょう。ここまで事細かに書き記す事の出来る狂気とは一体何なのかと。

 

c.  狂っていながらも、ここまで書く事が出来るのかと思った人は、シュレーバーが回想録を書いた時期について、まず考え直してみるべきでしょう。シュレーバーはゾンネンシュタイン精神病院での8年半の入院生活を送った ( 1894~1902 ) のですが、彼によると、回想録本文 ( 第1章~第22章 ) が1900年2月から9月にかけて、補遺1 (Ⅰ~Ⅶ ) が1900年10月から1901年6月にかけて、補遺2 が1902年末、に書かれたという。シュレバーが1902年7月14日禁治産宣告を取り消され、ゾンネンシュタインを退院したのが1902年12月20日、という状況を見ると、回想録は入院末期に一気に書かれた事が分かりますね。

 

d.   そしてここで注意すべきなのが、回想録本文、補遺と共に平凡社版に収められている付録論文である『 精神病と見なされる人物の医療施設での拘禁は、当人がそれを拒否するはっきりとした意志を表明している場合、どういった前提条件があれば許されるか』とそれに続く資料である『 禁治産宣告取消し訴訟の記録 A、B、C、D、E 』です 1。ほとんどの人は、回想録本文と補遺にしかまともに目を通さないでしょうが、おそらくシュレーバー自身が書いたであろう付録論文と資料C『控訴理由書 』は目を通すべき価値があります。それをきちんと読んだ人はシュレーバーの自分を極めて冷静に客観視する理路整然さに驚くでしょう、これが回想録を書いた人間と同一人物なのか、と。

 

e.   付録論文『 精神病と見なされる人物の医療施設での拘禁は、当人がそれを拒否するはっきりとした意志を表明している場合、どういった前提条件があれば許されるか』は1900年の初頭に書かれ、資料C『 控訴理由書 』は1901年7月23日に書かれていますが、これはほぼ、回想録本文、補遺が書かれた時期と重なっています。驚くべきことにシュレーバー目的に応じて内容を書き分けているかのように見えるのです。これをどう考えるべきなのでしょう。

 

 f.   間違っても、シュレーバーは妄想から回復していたからそれらを書く事が出来たのだろうという安易な解釈に逃げ込むべきではありません。書く事が、そのまま妄想からの回復を意味するというのは楽観的な思い込みに過ぎないからです。それどころか妄想が続いているからこそ書く事が出来るとさえ言えます。もし彼の精神があの奇妙な妄想から全面的に撤退していたとしたら、回想録の執筆及び出版などは考えもしなかったでしょう。

 

 g.   おそらくはここで考え直すべきは、シュレーバーは回想録と控訴理由書を書き分ける程に病的状態から離れて冷静かつ客観的であったのではなく、法的な控訴理由書と同じくらいに回想録を冷静かつ客観的に書いた、という事です。つまり、彼はそれらを書き分けていたのではなく、同じ客観性で以って、いや病的なまでの観察眼で以って同じように書いていたというべきでしょう。そうでなければ、回想録と付録論文及び控訴理由書の "同時性" は説明できない。この同時性は『 回想録 』の第21章において自ずと明らかになります。そこでは禁治産宣告の取消しの訴えを起こしたというシュレーバー職業的法精神と、その申し立ての内容文に顕になる彼の身体的女性化妄想が、病的な明晰さで以って一本の線で繋がるという短絡 ( ショートカット ) が起きているのです。

 

h.   この病的なまでの明晰さこそ、パラノイアの特徴に他ならない。パラノイアは一般的に言われるように現実に対して偏った認識を抱いているというよりは、現実に対して必要以上の意味や解釈を与えるのだというべきでしょう。極端に言うなら、事物がそこにあるというだけでは満足できずに、それが単にある事に対してすら何らかの意味 ( 例えば陰謀など ) を見出そうとするのです。しかし、そのようなパラノイア的姿勢こそ哲学的行為の根源的萌芽だと言うべきなのです。フロイトはその事を理解していた。あらゆるものを観察の対象とし、そこから妄想を形成した挙句の果てに自己を観察対象とし迫害妄想を引き出すパラノイアから、そのような経験を自己を更新するための最高度の内省へと変換する事の出来る哲学者 2への移行は、ほんのわずかな一歩に過ぎないのです。

 

I.   ただし、このような移行が妄想の回復を意味するのでない事に注意しなければなりません。【 2 】- f. で述べたように、妄想が続いているからこそ、書く事が出来たのです。なので入院末期においてシュレーバーは回想録を書く事が出来るほどに回復したのではなく、彼の中では精神にダメージを与え続けてきた妄想が弱まったとしても依然として作用していたと言うべきなのです。

 

j.   それでは【 2 】-g. で述べたように、病的な観察眼が、付録論文や控訴理由書を書く事を "可能にしていた" と言えるのでしょうか。これについて考えるには、"妄想からの回復" ではなく、"書くという行為" に視点を置く必要があります。そもそも "妄想からの回復" という考え方自体が他人からの一方的なもの ( たとえ精神科医であれ ) に過ぎないのですから。これは精神分析の治療がどの時点で終了なのかを判断する事の難しさに関わってくる問題なのですが、もし患者が妄想に向き合った結果、妄想というトラウマを自己のアイデンティティーとして秘かに書き換えてしまっていたとしたら、妄想の回復という考え方は彼の人格基盤を奪いかねないものになってしまうのです。

 

k.   このような患者の独特な経済構造 ( 自分のアイデンティティーを保つという利害のために妄想などのいくつもの要素を内的に操作する事 ) は、自己を脅かすものに対する抵抗という形でその姿を現すのですが、それは妄想を他人が取り除く事の難しさ、あるいは不可能性を示しているともいえるのです 3。結局の所、妄想とは最後に患者本人が自分でどうにかするしかないのですが、もしかするとそれは患者の生涯の終焉にまで付きまとう残酷なものなのかもしれません。

 

l.   実際、シュレーバー 2 】c. で述べたように、ゾンネンシュタインを1902年の60歳で退院後、65歳で発作を起こし精神病院デーゼンに再び入院しています。そこで彼は妄想に囚われたまま肉体的に衰弱し68歳で亡くなるのです。これ以前にも彼は1884年の42歳の時に、帝国議会議員選挙で落選した後に発病し、ライプツィヒ大学付属病院のフレッヒジヒ教授の施設に半年入院していました。つまり、シュレーバーは生涯に計3度入院しているのですね。

 

・ 1回目の入院。1884年12月 ( 42歳 ) ~ 1885年5月 ( 43歳 )。

・ 2回目の入院。1893年11月 ( 51歳 ) ~ 1902年12月 ( 60歳 )。

・ 3回目の入院。1907年11月 ( 65歳 ) ~ 1911年4月 ( 68歳で死亡 )。

 

いずれの入院期間においても、妄想が程度の差はあれ、彼に影響を与えていたのは間違いないのであり、とても妄想から回復していたとはいえないでしょう。ただし、2回目の入院において『 回想録 』、『 付録論文 』と『 控訴理由書 』を上手く書き上げて妄想から一見回復したかのように見えたのは 2 】j. で述べたようにまさに "書くという行為" それ自体が彼の精神を支えていたのだと考える必要があるのです。3回目の入院期において、彼が残した判読出来ないなぐり書きのようなメモから、追い詰められた彼の精神が "書くという行為" にすがろうとしていたのが分かりますね。

 

m.   それはもはや自己セラピーなどという生易しいものではなく、自己の生存危機の最中に彼が書くという行為を選択している意味で、それは妄想とは別次元で主体に作用を及ぼす強力な何かだと言うべきなのです。"書く行為" が主体に与える "強度" は、病的な精神に囚われた主体にでさえ、ただひとつの目的、文字という痕跡 4を残すために駆り立てるという事なのです。それは妄想がシュレーバーを衰弱させるのとは別次元で主体を死の次元に移行させる、痕跡という "物質性" を手に入れるのと引き換えに・・・。なので、シュレーバーが書く事に成功したのは妄想から回復したが故なのではなく、たんに衰弱していくだけの精神に抗して、痕跡という物質性を手に入れる為に書く行為に自分を駆り立てた結果なのだと解釈すべきなのですね。それが彼の精神を支えていたという訳です。

 

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1

   この資料の意味は、シュレーバーに自分の財産を管理する能力がないことを示した禁治産宣告に対する異議申し立てがシュレーバー側から為されたという事です。では、シュレーバーに財産管理能力がないと困るのは誰かというと、この場合シュレーバーの妻であったザビーネなのですね。この禁治産宣告がシュレーバーの精神的尊厳を奪う程の重大なものである事を彼女が理解していたかどうか・・・。おそらく彼女は生活費を用立てるためによく分からずに周囲の助言に従っただけだと思うのですけど ( 禁治産宣告の請求は配偶者以外にも親族、後見人、検察でも可能なので実際の請求者がザビーネであったかどうかは不明 )。入院中のシュレーバーのお金を自由に出来なかった ( 元々はシュレーバーが財産を管理していたので ) 彼女は、法的手続きに乗っ取って彼に書類へのサインをもらいに面会に度々来る事が負担になっていたのかもしれませんね ( 時にはサインを拒否されることもあったようなので )。

 

   ちなみに、この邦訳で採用されている禁治産宣告という表現が依拠する禁治産制度・準禁治産制度はドイツにおいては法改正を経て1992年に世話法として施行され、日本においても2000年から成年後見制度として施行されている。いずれにおいても従来の禁治産制度よりも本人を保護する意味合いが強まっている。

 

2

   このような哲学者の代表こそシュレーバー ( 1842~1911 ) と同時代を生きたニーチェ ( 1844~1900 ) に他ならない。彼らに共通するのは、客観的な論理体系 ( ヘーゲルが構築したような ) を提示するのではなく、"自らの経験それ自体" を客観的なものとして哲学的に語るという事です。彼らは "自らの経験を徹底的に考え抜く" という意味での最強のパラノイア哲学者だといえるでしょう。

 

3

   まさにこの患者の例がベルナルド・ベルトルッチの映画『 暗殺の森 』の主人公マルチェロです。彼は自分が少年時代に撃ち殺したと思っていたはずの同性愛者のリーノが生きていると分かった時、トラウマという逆説的アイデンティティーが崩れ落ちるのを必死に防ごうとしてリーノを罵倒しまくるのです。

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ベルナルド・ベルトルッチの映画『 暗殺の森 』 ( 1970 )を哲学的に考える - 哲学的抽象機械

 

 

4

   ただし、"痕跡" という概念は必ずしも文字のみに限定される訳ではない。それは別の主体にとっては映像であり、写真であり、芸術であり、建築物など、であるというように考る事が出来る。そしてこのような書く行為につきまとう "痕跡""物質性" という概念はジャック・デリダ的、またはポール・ド・マン的視点からも考えられるべきものでしょう。

 

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以下の記事に続く

ダニエル・パウル・シュレーバーの『 シュレーバー回想録 ある神経病患者の手記 』( 1903 )を哲学的に考える〈 2 〉

 

 

 

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