哲学的抽象機械

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B級戦争映画:ジョン・ミリアスの『 戦場 』( 1989 )

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監督・脚本 : ジョン・ミリアス  公開 : 1989

原作 : ピエール・シェンデルフール 『 L'Adieu au Roi ( さらば王様 ) 』1969年

 

出演 : ニック・ノルティ      リーロイド

   : ナイジェル・ヘイヴァース  フェアボーン大尉

   : マリリン・トクダ      ヨー

   : フランク・マクレー     テンガ軍曹

   : アキ・アレオン       三田村大佐

   : マリウス・ヴェイヤース   コンクリン軍曹

   : ジェームズ・フォックス   ファーガソン大佐

 

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1. ジョン・ミリアスの『 地獄の黙示録

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a.   フランシス・フォード・コッポラの『 地獄の黙示録 ( 1979 ) 』の脚本を書いたジョン・ミリアスによる別ヴァージョンの『 地獄の黙示録 』とでも呼べるB級戦争映画【 】。『 地獄の黙示録 』がジョン・ミリアスの着想でジョセフ・コンラッドの小説『 闇の奥 ( 1902 ) 』を基本にしているのは知られている所ですが、本作はフランスの作家・映画監督ピエール・シェンデルフールの『 さらば王様 ( 1969 ) 』を原作としつつも、ミリアスが監督として描きたかったもうひとつの『 地獄の黙示録 』だと言えるでしょう。

 

b.   この背景には、『 地獄の黙示録 』が自分の脚本通りに映画化されなかったというミリアスの不満があったという。だからこそ、彼はわざわざ似たような話の映画を自分で手がけたのですが、その結果、『 地獄の黙示録 』には及ばない代物が出来上がった・・・。普通なら、自分にはこんな映画は撮れないと思い、同じようなテーマは避けるはずなのに、余程、自分に自信があったのか、血が騒いだのか、という所でしょうか。

 

c.   ふたつの映画に共通するのは未開のジャングルに住む部族において白人が王となっているというモチーフなのですが、監督によってこんなにも違う映画になるという典型的な例となっています。もちろん、コッポラとミリアスでは集められる予算規模が違う【】とはいえ、描き方が全く違うものになっていて、同じ脚本家が関わっているとは思えない。これは到底、『 地獄の黙示録 』と同じレベルで語られる映画ではないと思う人がほとんどのはず。

 

d.   コッポラは圧倒的な力量で『 地獄の黙示録 』を重厚感のある映画に作り上げているのに対して、ジョン・ミリアスの『 戦場 』は戦争における敵対性を乗り越えた男達の熱い人間関係を描き出すB級映画となっています。そう、この映画に限らずジョン・ミリアスは時に男達の精神的な強さ ( もちろんそれは彼が考えるものという意味での強さでしかない ) という紋切型にこだわってきた。ただし、その描き方は起伏の無い平坦な道筋となっていて退屈さを感じさせる。もちろんそういう映画だと割り切って見ればそれなりに楽しめるかもしれません。でも、第二次大戦中のボルネオにおける山岳部族と日本軍の戦いという設定の中での日本軍の描き方【 】を見れば、素直に楽しめない人もいるかもしれない。

 

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   映画の原題が『 Farewell To The King 』、つまり『 さらば王よ 』となっているのに、あえて邦題を『 戦場 』としているのは、『 地獄の黙示録 』との関連性を打ち出そうとする商業的努力だと言えますね。僕が見たDVDのパッケージにも "もうひとつの地獄の黙示録" というキャッチコピーが載ってたくらいですから。でもこの映画ってよほどのマニアでない限り見ないでしょうね・・・。

 

  『 戦場 』の製作費は1600万ドル。『 地獄の黙示録 』は2倍の3150万ドル。しかし、これをどう見るべきなのか。『 戦場 』の内容で1600万ドルも使っていると見るべきなのか、それとも『 地獄の黙示録 』があの規模でよく3150万ドルに押さえたと見るべきなのか・・・微妙ですね。

 

   端的に言うと、日本兵によるカニバリズムの事。直接的な描写はないが、言及されるシーンがある。シーン33~38. を参照。

 

 

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2. いくつかの場面

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   ボルネオの沿岸部に陣取る日本軍に対して戦う必要があると説くフェアボーン大尉と戦いを拒否する山岳部族の王リーロイド ( シーン 1~12. )

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   部族の村を日本軍飛行機に空襲され、リーロイドは村を守るべく連合軍と協定を結ぶ旨をフェアボーンに託す。しかしなぜか彼の上官たちの悪口を言い出す始末。そして今は王様だけどかつては労働組合員だったという興醒めの過去と共に、共産主義者からの政治的転向をしていたという衝撃の過去が明らかに ( 笑 )。続いて "共産主義者には戻らない" という皮肉がわざわざ込められる辺りはミリアスの反共主義者の一端が垣間見られます ( シーン 13~22. )

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   違う部族の女性との間に出来た赤ん坊 ( 相手の男はリーロイドの部族 ) を巡っての騒動が起きる。女性の部族では出産した母親が死亡してしまうと、赤ん坊も殺さねばならないという掟があるが、フェアボーンは敢えて進んでその殺す役を買って出る事によってリーロイドに赤ん坊を助けさせるという振舞いに出る。リーロイドは最初その意図に気付かず怒るが ( シーン 23. ) 、フェアボーンの思い ( シーン 24. ) を知ってはっとする。そしてリーロイドの赤ん坊を助けた振舞いに対して "君は真の王だ" と熱血ドラマみたく唐突に賞賛するフェアボーン。

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   "幻の大佐" とは三田村大佐の事。リーロイドたちと戦い、彼らに打撃を与える。

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   三田村大佐の部隊が虐殺した部族の村を訪れたリーロイドたち。"ヤツらは人食いだ。人を食って生き延びてるんだ" と言うリーロイド。ここまで堂々と言われると返す言葉もない。でも、食うに困って人食いがあったのは事実だけど、それが組織的な行動だったかどうかは微妙な所なんですよね。この映画では部隊による組織的な行動だと断定されてしまう。

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   リーロイドたちと日本軍による数少ない戦闘シーン。

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   日本軍に先を越されて戦闘員ではない部族の村人たちを殺されてしまう。日本軍への復讐を誓うリーロイド。最初は日本軍との戦闘をすべきだと言っていたフェアボーンが、なぜか急にトーンが下がって命の大切さを説きだす。

"報復しても空しいだけだ。大切なのは男らしさではなく命だ" 

   一説にはタカ派といわれるジョン・ミリアスにも平和的な部分もあるのかと思いきや、リーロイドの "血は血で償うものだ" というセリフから、彼にはタカ派などの政治的信念などではなく、内面世界の欠如したマッチョ主義を描く事しか出来ない頑固さが垣間見える。おそらくは、それこそが彼の映画に共通するツマらなさの原因です。でもそういうのを分かった上で楽しむのがB級映画の見方でもあるでしょう。

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   怒ったリーロイドらは、ジャングルの谷間にいた日本兵たちを皆殺し!

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  しかし、その反動からか、一気に我に帰り、呆然となるリーロイド。戦いはもう御免だという感じ。

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   日本の敗戦が決まった後、三田村大佐はリーロイドに日本刀を献上するという形で、軍門に下る意志を示した。二人とも、ほとんど言葉を交わすことなく男らしい (?) 振舞いを強調する。

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   戦争終結後、ファーガソン大佐にリーロイドたちに干渉しないよう交渉するフェアボーン。彼はリーロイドらの部族との接触を冒険小説のようなものとしてお咎めがないよう気を配る。この時、字幕には出てないが、コンラッドの名前もフェアボーンは挙げている ( シーン 62~63. )。ここで、ミリアスは自分の思い入れのある小説である、コンラッド闇の奥 』 ( 彼が脚本を担当した『 地獄の黙示録 』の原作 ) をそれとなく仄めかしているという訳ですね。

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   子供へ別れのメッセージを伝えるというお涙頂戴のシーン。連行されるリーロイドの器の大きさを描く事にこだわる。

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   リーロイドに虐待を加えた下級兵に怒り、彼に謝罪を表す大佐。ここでも男同士の熱い関係性が描かれる ( シーン 87~96. )

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   かつてはリーロイドの敵であった三田村大佐。死刑の直前であるにも関わらず、自分の事はそっちのけで、リーロイドをここぞとばかり持ち上げる ( シーン 97~108. )

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   船からリーロイドを脱走させるフェアボーン。軍規もヘッタクレもない。王を彼にふさわしい場所に返すべきだと思ったから自分はそうしたんだと言わんばかりの自己陶酔の笑顔を見せるフェアボーン ( シーン117. )。彼の唐突な振舞いにリーロイドの方が戸惑ってしまう。自分が彼を脱走させておきながら "彼は自由の民として生きる" というフェアボーン。そして、それに続く"さよなら 私の王" という彼の自己満足的発言が映画のタイトル ( 映画の原題『 さらば王よ 』) に繋がるという締め括りがいかにもB級映画らしい ( 笑 )。

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