哲学的抽象機械

Philosophical Abstract Machine

ヒッチコックの映画『 サイコ 』( 1960 ) を哲学的に考える

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監督アルフレッド・ヒッチコック  公開:1960

脚本ジョセフ・ステファノ

原作ロバート・ブロック

 

出演アンソニー・パーキンス    ノーマン・ベイツ

  ジャネット・リー       マリオン・クレイン

  ジョン・ギャビン       サム・ルーミス / マリオンの恋人

  ヴェラ・マイルズ       ライラ・クレイン / マリオンの妹

  マーティン・バルサム     アーボガスト / 私立探偵

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想という記事ではなく、『 サイコ 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という僕の個人的欲求に基づいています。なので、深く考えることはせずに映画のストーリーのみを知りたい、あるいは映画への忠実さをここで求める ( 僕は自分の思考に忠実であることしかできない )、という方は他の場所で映画の情報を確認するべきです。しかし、この記事を詳細に読む人は、自分の思考を深めることに秘かな享楽を覚えずにはいられなくなるという意味で、哲学的思考への一歩を踏み出す事になるといえるでしょう。

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 1.   母を自分の中に取り込むノーマン・ベイツ

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a.   『 サイコ 』においてはマリオン ( ジャネット・リー ) が殺害されるシャワーシーンこそ最も有名なのですがここではノーマン・ベイツ ( アンソニー・パーキンス ) が殺人行為に至った背景にある "母親との同一化" について焦点を絞って考えていきましょうとはいえ映画の中で既に事件についての精神分析が細かく披露されるシーンがあるのでそれ以上必要あるのかと思う方もいるかもしれませんしかしそれを下敷きにして別の視点から考える事も可能なので話を進めていきますね

 

 

b.   警察はノーマン・ベイツ逮捕後分析医の話を聞いて以下のように説明しますノーマン・ベイツが母と同一化するきっかけとして彼が10年前に母とその愛人を殺した事件を挙げている愛人が出来た母に捨てられると彼が考えたからという

 

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   さてここから以下のシーンでの説明には注意する必要があります

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c.   ノーマンが母の役を振舞うようになったという説明で抜け落ちているが重要なのは彼が母の声色を使ってその役に成り切るという事ですもちろん姿を見せない母の声色が私達に聞こえるというのはノーマンと母親の組合せに何か怪しい所があると予期させるのに十分な効果があるものなのですそして私達は母の声に不安を引き立てられる・・・つまりその母の声は普通のものではないという事に薄々気付くのです

 

 

d.   実際は母は既に死んでいてノーマンは1人2役で母の声色を演じていた事にああそういうことかと最終的に思うかもしれませんが哲学的に考えるにはそこで母の声の不気味さを捨て去るべきではないのです

 

 

e.   その母の声は私達が聞く以前にノーマンが聞いていたものですそれはノーマン自身が話しているにも関わらず声色を変える事によって他人 ( この場合は母親 ) が話しているかのように錯覚して聞く "1人称の主体の崩壊作用" が含まれているものです 】。だからこそ私達はその声に不気味さを感じるのです

 

 

f.   もちろん母の声の不気味さは精神分析的に母なる超自我のものとしてエディプスコンプレックス ( 単純にいうとここではマザコン ) に囚われたノーマンを強く規定するというように解釈する事も出来るのですがその解釈ではシーン11~26.で説明する警察のように無意識的にノーマンを擁護しかねない危険性 ( 母という別人格が犯罪を起こしたという情状酌量 ) に陥る可能性があるでしょう

 

 

g.   何が危険かというとノーマンはエディプスコンプレックスから別の欲望の回路が作動する殺人の領域へと一線を飛び越えてしまっているからですつまり母親と愛人そしてマリオンアーボガストを殺害したノーマンは連続殺人鬼 ( シリアルキラー ) としての主体を秘かに打ち立ててしまっているのですそこではエディプスコンプレックスという精神分析解釈が殺人行為の快楽を隠す "アリバイ" になってしまっている危険がありますもちろんエディプスコンプレックスが無駄な解釈という事ではなく当初はそれが妥当なものであってもノーマンはそこから殺人の欲望が働く領域へと既に移行してしまっているという訳です

 

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 2.   続殺人鬼 ( シリアルキラー ) としてのノーマン・ベイツ

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a.   精神分析的解釈を逃れてそのような連続殺人鬼の快楽がほとんど見過ごされているところに『 サイコ 』の真の恐ろしさがあると言えますねそれは見えないものであるからこそ『 サイコ 』を裏から強く規定していたのですが『 サイコ2 』『 サイコ3 』『 サイコ4 』と続編が出来るにつれ連続殺人鬼としての本性が露骨に表れ作品の神秘性が失われていった のは事実でしょうしかしそれは『 サイコ 』の中にその要素が内包されていた事の証明とも言えますね

 

 

b.   母親を隠れ蓑にしたノーマンの殺人鬼振りが仄めかされているシーン32. のノーマンの薄ら笑いは隠れた本性を示す以外の何物でもないでしょうおそらくヒッチコックはノーマンがエディプスコンプレックスから抜け出せない事を示したかったのですがアンソニー・パーキンスという俳優の狂気性がヒッチコックの意図を超えてノーマン・ベイツに快楽殺人者としての資質を備えさせたと解釈出来るでしょう

 

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   1人称の主体の崩壊作用エディプスコンプレックスなどの精神分析的解釈とは違う側面からのアプローチだと考えるべきでしょう一見すると主体は分裂しているかのように思えるのですが行為の遂行 ( ここでは殺人行為 ) の点からすると極めて明晰な意志が基になっておりそれは自らのアリバイを常に探しているとさえ言えます ( 例えば複数の人格を有する事によって責任を負う主体である事を放棄し残酷な行為を可能にすること )

 

   この1人称の主体の崩壊作用については以下の記事でも参照哲学者ジャック・デリダ差延の概念を借りて説明を展開

 

 

 

   そのような殺人鬼の快楽が上手く隠された映画の例としてクリストファー・ノーランの『 メメント 』を挙げておきましょうこの映画を観たほとんどの人が自らの記憶障害を利用した主人公レナードの悪意に気付かないままでいる以下の記事を参照

 

 

 

  ノーマンや レナードとは対照的に殺人鬼の快楽をストレートに告白しているのがアーネ・グリムシャーの映画『 理由 』に登場する連続殺人犯のブレア・サリバン

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アーネ・グリムシャーの映画『 理由 』( 1995 ) を哲学的に考える - 哲学的抽象機械

 

 

   それでも『 サイコ2 』までは一般的な観客への訴求力があると思いますが『 サイコ3 』『 サイコ4 』に至っては完全にマニアックなものになっていますね

 

 

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