〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

ギレルモ・デル・トロの映画『 クロノス 』を哲学的に考える

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公開 : 1998年  

監督 : ギレルモ・デル・トロ

出演 : フェデリコ・ルッピ    ヘスス・グリス

   : タマラ・サナス      ( アウロラ

   : ロン・パールマン    アンヘル

   : クラウディオ・ブルック( クラウディオ

   : マルガリータ・イザベル( メルセデス

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想という記事ではなく、『 クロノス 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という個人的欲求に基づいています。なので映画のストーリーのみを知りたいという方は他の場所で確認されるのがよいでしょう。

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 1.   ギレルモ・デル・トロの初期の傑作『 クロノス 』f:id:mythink:20210320151713j:plain


f:id:mythink:20210212192015j:plain ギレルモ・デル・トロの『クロノス 』には彼が影響を受けたと思われる幾つかの要素が見られますね映画監督をする前には特殊メイクの仕事をしていた事もあって小道具この映画ではクロノスの作り込みにはこだわりがあるようでデビッド・クローネンバーグ的なグロテスク要素と共通するものが感じられます

       

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       クローネンバーグの『裸のランチ』のバグライター

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain そしてそのクロノスが果たす機能のモチーフが漫画 JOJOの奇妙な冒険の石仮面から来ているのではないかと多くの方が感じたであろう事はギレルモが日本の漫画・アニメに影響を受けている事を考えれば当然でしょう吸血動物が組み入れられた機械仕掛けのクロノスは通常は収納されている触手を人間に突き刺し血を吸う事でその人間を吸血鬼と化し肉体を大きな損傷を与える事故にでも遭わない限り永遠に生きる事を可能にするという訳ですそのためには人間の血を吸わなければならない・・・だから吸血鬼なのですがその点でこの映画は吸血鬼に完全になる事を拒否する主人公ヘススの振舞いが興味深いものとなっているのです

 

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 2.   『 クロノス 』のストーリーf:id:mythink:20210320151713j:plain


f:id:mythink:20210212192015j:plain   中世の錬金術師ウベルト・フルカネリは迫害から逃れて渡ったメキシコの地で永遠の生命を与える事が出来る "クロノス" を作った

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f:id:mythink:20210212192015j:plain   そしてフルカネリはそのクロノスを自らの身体に使用し400年間生き続けたのですが建物の天井崩落事故に遭い息絶えてしまう

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f:id:mythink:20210212192015j:plain   しかしフルカネリに関する事は謎のままでありクロノスも天使像の中に隠されたままで知られる事はなかった・・・そしてタイトルクレジットクロノスここから話が動き出す

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f:id:mythink:20210212192015j:plain 骨董屋を営むヘスス・グリス ( フェデリコ・ルッピ ) は天使像の中からクロノスを見つけるのですがそれが何なのか分からない・・・。ヘススの側にはいつも孫娘のアウロラ ( タマラ・サナス ) がいる事がポイントですねこの娘との結びつきによってこの映画がたんなるヴァンパイア・ホラーにならずに済んでいます

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f:id:mythink:20210212192015j:plain   ここで手のひらにクロノスを乗せていたヘススはクロノスから突然延びて来た触手というか甲殻類的な爪に突き刺されてしまう必死になってそれを引き剥がすヘススこの辺りはジョジョの石仮面を彷彿とさせますね

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 f:id:mythink:20210212192015j:plain   中盤の話は省略しますがヘススはクロノスによる吸血鬼化によって大理石のような肌を焼けただれ引きちぎられた皮膚の下から覗かせながらクロノスを手にいれようとするクラウディオとアンヘルと戦わざるを得ない宿命に巻き込まれていきます終盤には因縁のあるアンヘル ( ロン・パールマン ) と戦い建物の上層部から2人とも落下してしまい息絶えてしまうそこにヘススと行動を共にしていたアウロラが現れヘススを優しく撫でる

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f:id:mythink:20210212192015j:plain   アウロラはクマのぬいぐるみの中 ( ヘススはクラウディオとアンヘルに見つからないよう、クロノスをぬいぐるみの中に隠していた ) からクロノスを取り出しヘススの身体にあてがう ( シーン32~34. )。つまりアウロラはクロノスによってヘススが長生き出来る事を彼の過去の行為 ( ヘススは度々、クロノスを自分の身体に突き刺す事によって生命を永らえさせる衝動に突き動かされていた ) を見て知っていたのですねそしてクロノスに支配されたヘススが人間の血を吸わざるを得ない事も彼女は知っていた …… 。

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f:id:mythink:20210212192015j:plain なんとなく見ていると見逃してしまうかもしれませんが38. のシーンではアウロラは手から血を流し ( いつ彼女が自分の手を傷つけたかは、そのシーンがないので分かりづらいけど )その手を自分の口元に持っていくのですねつまり私の血を吸っていいよおじいちゃん・・・という彼女の意思表示な訳です復活したヘススは最初吸血鬼としての欲望に負けそうになるのですがこのアウロラの自己犠牲的な献身と彼女の "おじいちゃん" というセリフ ( 彼女はこのセリフ以外、この映画で言葉を発しない ) によって我に帰るのですね

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f:id:mythink:20210212192015j:plain 我に帰ったヘススはいつもなら高揚感を覚えたはずのクロノスの爪に突如痛みを感じて惹き剥がし石で叩き潰す吸血鬼の欲望に打ち勝ち人間性を取り戻したという事 ( この時、彼は何度も "自分はヘスス・グリスだ" と叫ぶ ) ですね吸血鬼化を拒否したヘススはダメージのため死ぬしかないのでしょうが自宅のベッドでアウロラと妻のメルセデスに看取られながら束の間の平穏に包まれるというラストで映画は終わります

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 3.   『 クロノス 』の哲学的解釈f:id:mythink:20210320151713j:plain


f:id:mythink:20210212192015j:plain この映画の特徴はヘススが怪物になろうとも孫娘アウロラの彼への親しさに揺るぎはないという点ですしかしそこから安易なヒューマニスム的感傷に浸るのは一端止めてもっと細かい解釈をしていく事にしましょう

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain それはヘススへのアウロラの振舞いが 彼女の内面から語りだされるものでは無いつまり彼女の内面描写がない からです彼女は 感情を豊かに表す主体としては描かれていない ( たとえ監督の意図がどうであれ、結果としてという意味で ) という訳です。

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   物語の冒頭からアウロラはヘススと一緒にいるのですが子供らしい喜怒哀楽を前面に表す訳ではないもちろんこれは彼女の唯一のセリフシーン 38. の "おじいちゃん" という部分とも繋がります彼女の感情が余り見えないため多くの観客は彼女の存在につい無関心になるのでしょうがもし彼女の感情表現が最初から豊かであったならこの物語はヘススという主人公に拮抗するもう1人の女性をヒロインとして描かざるえを得なかったでしょう

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   しかしそうすると物語の軸はヘススとアウロラの間の心理的緊張関係にひきずられる 事になっていたかもしれないつまりこの映画の世界観は2人の主体の内面的関係性によって構築されるというヒューマンドラマになってしまっていた 可能性があったという訳です

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   おそらくそのような世界観はギレルモは望まなかったでしょうなぜならこの映画の設定を考えるならばゴシック小説 ( ドラキュラやフランケンシュタインなどの ) の系譜に連なる怪物的世界観 をいかにして作り上げていくかという事が彼のテーマであったと推測出来るからですこの種の怪物映画によくあるのが人間から怪物に移行しきれずに揺れ動きながらも人間性に回帰する ( たとえ死ぬ事になろうとも ) というストーリーですね

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   ギレルモもこのモチーフに沿っているのですが彼はヘススの内面を直接的に深刻に描くのではなくアウロラメルセデス ( ヘススの妻 ) との 家族関係という形式にヘススの内面を外化させる 事によって世界観を作り上げるという手法を採っているのですつまりヘススの内面性はアウロラメルセデスとのその時々の日常的関係を描写する場面によって "間接的に" 示されている という訳ですねそうするとヘススへの揺ぎ無い優しさを持つアウロラとは吸血鬼へと変貌したヘススの中に残っている人間性を象徴する存在 だと解釈する事が出来るでしょう

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   この "内面の外化" というやり方のいいところは登場人物の内面性に振り回される事なく( 逆に言うと、人間の内面とはそれくらい強力で凶暴なものだという事です )確固とした世界観を構築出来る所ですねこの映画におけるギレルモの世界観は怪物的要素による破滅的決着へと向かわずに登場人物たちが形作る "家族" という在り方へとその悪夢が回収されていくようにまとめ上げられている ものだと言えるでしょう

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain   ラストの場面 ( シーン 47. ) がその事を象徴しているしオープニングタイトル後の最初の場面もヘススアウロラメルセデスの3人の食卓シーンで始まっていますねこのようなギレルモの世界観を一言で表すなら、"ゴシック・ファンタジー" という事になるでしょう

 

 

f:id:mythink:20210212192015j:plain でも戦うといってもアメコミの映画ヒーロー ( バットマンスパイダーマンなど ) のように強靭な戦闘能力を獲得する訳じゃないおじいちゃんが多少若返った分だけ元気になるっていう話だから戦闘というよりはトラブルに巻き込まれるっていうのが正確なところその辺は期待してはダメです ()

 

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