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Life Without " Thinking " ・・・ Is Nothing!

〈 考える事 〉をしない人生なんて・・・〈無〉やね。

【 レンブラントからジュネへ 1. 】

■ 思想 ◆マイナーBOOKS

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新潮文庫の『泥棒日記』で有名なフランスの作家ジャン・ジュネが1967年に発表したレンブラント〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉は小作品でありながら、ジュネの独特な哲学的思考によって、青年期を抜け出した自らの人生を、お気に入りの芸術家レンブラントと絡み合わせながら織りなした美しい傑作だといえるでしょう。現代企画室から鵜飼 哲による訳で出版されている『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に所収されているこの作品について、今回は考えてみますね。 

    

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                                 ジャン・ジュネ (1910 ~ 1986)

 

一般的に知られているジュネの相貌は老年期のものなので、その老成した男が男娼であったという事実を信じられない人もいると思います。しかし、この若かりし頃のジュネを見ると、普通の青年であった事が分かるでしょう。最も、自分がイケメンでない事はジュネ自身も認めていましたが。しかし、服の着こなしを見ると洒落た所もあり、そこはフランス的なものを感じますね。この写真では、コートの襟を微妙に立てるという小技を何気なく使っている。完全に立ててしまうと、やりすぎ感が出てしまうのですが、このバランスが格好いい。当時、ジュネと近かったジャン・コクトーやジャン・ポール・サルトルなどもスーツ姿が決まっていました。ひらたく言うと、格好をつけていただけという訳ですが、着こなし(単に高い服を着るという意味ではないけど)に無頓着な知識人よりも、普通にそれが出来る方が〈センス〉が感じられて僕的には好感が持てます。

 

 

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1. 『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』という長すぎるタイトルについて

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f:id:mythink:20170330232931j:plain この長すぎる異様なタイトルについては、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』の訳者、鵜飼 哲による訳者付記を参照しましょう。サーカスの綱渡り芸人だったアブダラが自殺した事(1964年)にショックを受けたジュネ (アブダラはジュネの恋人だった) が、当時書いてあったレンブラント論をすべて破棄し、便器に流してしまったという。この話は、作家ゴイティソーロの妻がジュネのアシスタントをしていた時に、彼に語ったものらしいのですが、実際に便器に流してしまったかどうかは微妙だなと個人的には思いましたね。だってある程度の分量の草稿を破って実際に流すととしたら、詰まってしまうでしょう・・・。まさか、詰まらないように毎日、小分けにして流すマネなんてしないだろうし。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain なぜ、こんなつまらない話をするのかというと、〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉というタイトルは、テクストの実際の成立過程とは逆の地点、つまりその後の〈未来〉から投げ込まれたものですが、〈過去〉の時点で作品になるかどうかも分からない草稿が果たして、その〈未来〉を待っていたかどうかという哲学的推理をしようとするならば、草稿が破られて便器に流されたという話を実際のものとして即物的に受け止めていては、その試みは難しくなるからですつまり、草稿が破られて便器に流されたという話は、たとえそれが実際の話だとしても、〈象徴的なもの〉として理解される必要があるという事ですね。

 

 

2.『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』の成立過程への哲学的考察 Ⅰ.

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f:id:mythink:20170330232931j:plain それではテクストの成立過程を見ていきましょう。そもそもは、レンブラントについての草稿から抜粋された2つの文章が、アブダラの自殺による破棄〈以前〉アルジェリア戦争中(1954~1962年)に、ある雑誌に別々のテクストとして〈既に〉発表されていたという経緯がまずありました。その後、アントナン・アルトー全集の編集者だったポール・テヴナンがジュネの2つの文章の事を思い出し、前衛文芸雑誌『テルケル』に発表する事をジュネに提案し、その際、2つの文章が同じ頁上に2つの欄としてあるという特異な形式で掲載される事になった(1967年)という訳です。〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉というタイトルも、その時に付けられという。こう書くと一見、違和感のないストーリーのように思えますが、幾つか考える点がありますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain まず、レンブラントについての草稿から2つの文章が抜粋された、という言い方だと、まるで〈1つ〉のテクストの草稿から2つの文章が抜粋されたかのような印象を受けますね。しかし、この見方だと、草稿は形式的には、〈1つのもの〉として〈既に〉完成されていたという事になります。〈1つのもの〉として〈既に〉完成された草稿から2つの文章を抜粋して、わざわざ別々の文章として、発表するだろうか(編集者の介入の仕方という問題が仮にあったとしても)という疑問が起きますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そうすると、次のように考える事が出来ます。〈1つのもの〉としての草稿は完成されていなかった。2つの文章を抜粋する事が出来るというのは、草稿が幾つもの断章の集まりに過ぎなく作品として完成されていなかった、と。よくある話ですね。そして、この未完の草稿が数年後の1967年に『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』というタイトルを与えられて完成されたと考えれば、魅力的な話だといえるでしょう・・・。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし・・・〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉も、それ以前に発表された2つの文章も、基本的には、同じもの。それ以前に発表された2つの文章は、アルジェリア戦争中(1954~1962年)のものであり、『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』は1967年の発表。その間の1964年にアブダラの自殺があった訳ですが、ジュネがショックを受ける程の事件であったにも関わらず、その前後に発表されたテクストが同じであるとは、どういう事なのか・・・。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain つまり、それが意味する所は、アブダラの自殺(1964)により、ショックを受けたジュネがレンブラントについての草稿を破り捨てたものの、それ以前に発表されていた(1954~1962)2つの文章が、草稿の〈残り物〉として、後年、〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉(1967)として陽の目を見る事になったというストーリーには矛盾が見られるという事です。

なぜなら、草稿が破り捨てられる以前から、テクストは2つの文章でしかなかったからです。もし〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉が、2つの文章という形式にこだわらないものであったなら、草稿の〈残り物〉としてジュネが思い出しながら書き起こしたかもしれないと考えられるのですが、『小さな真四角・・・』は、その特異な形式から分かる通り、以前に発表したままの2つの文章という形式への強いこだわりが見られます。これは草稿の〈残り物〉どころか、草稿〈それ自体〉であるとさえ言えるでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain という事は〈残った物〉とは、直接的な意味で草稿の事ではない(全く関係ないという訳ではないが)と考えるべきです。〈破棄〉という言葉に囚われ、〈残った物〉を草稿と解釈するのは、1967年のテルケル掲載時の完成形テクスト『小さな真四角・・・』からの過去への遡及的投影に他ならないでしょう。1. でも言及したように、それでは即物的過ぎるのです。『小さな真四角・・・ 』は、アブダラの死による草稿破棄というストーリーを主軸として解釈するのではなく、もっと別様に、より〈思弁的〉に解釈する必要があるように思われますね。

 

 

3. 『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの』の成立過程への哲学的考察 Ⅱ.

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f:id:mythink:20170330232931j:plain では、別様に解釈するにはどの点から考え直すべきでしょう。〈残り物〉が草稿ではないとしても、それならば、その草稿をどう位置付けるべきなのかという問題が残りますね。〈残り物〉についての思弁的考察を行う上で、草稿は〈残り物〉存在論に思考する為に必要な最低限の実存的基盤であるからです。つまり、〈残り物〉について考えるには、〈草稿〉との関係性も未だ考える必要があるという事です。この〈草稿〉が、形式的にどのようなものであったか、未完成の断章であったのか、は実際の所、分からないと言う事しか出来ないでしょう。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain しかし、〈残り物〉存在論的に思考する上で、〈草稿〉を実存的に確定する事の出来る1つの可能性がありますね。それは、〈草稿〉〈既に〉発表されていた。それこそ、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に同収されているテクスト、レンブラントの秘密〉(1958年発表) だと、僕は推測します。あくまで、推測ですけどね。もちろん、〈草稿〉の〈全て〉が発表された訳ではない。〈草稿〉の内、発表されたのが〈レンブラントの秘密〉であり、残りは発表されていない。それこそが、あの2つの文章、今日では〈小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの〉と呼ばれているものですね。つまり、そこにあった〈物たち〉とは、1つの作品になろうとしたものの、そこに収まりきれず分裂し増殖した〈草稿たち〉であったという訳です。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain それらの短い草稿をひとつのものとしてまとめる事が出来なかった事は、ジュネの整合力の無さによるというより、それこそがジュネの特徴であるとさえいえるのです。つまり、至る所に生え、至る所から繁殖していく、〈思考〉の雑食性が彼の中にはあるのであり、それはストーリー性のあるはずの小説だろうと、おかまいなく忍び込んで、〈雑草〉として自らを増殖させていくという極めてドゥルーズ的なテーマの最たる例となっていて、彼の小説の中に見られる思弁的叙述がその事を物語っていますね。

 

f:id:mythink:20170330232931j:plain そう、ジュネの中では、〈思考〉はアカデミックに育まれたものとしてあるのではなく、〈思考〉が〈雑草〉として生活の中で繁茂して、その生域を確保していたという訳です。ジュネにおいて〈思考〉の実存的形式は、〈雑草〉に他ならなかった。ジュネにおける哲学的思弁性の由来を問う声がありますが、それは〈雑草〉の由来を問うのと同じくらい、意味の無い事でしょう。〈雑草〉は気付いたら、至る所にいつの間にか生えている。それが示す哲学的様態は、ドゥルーズの言う所の〈中間的なもの〉に他ならない。それは何処にも属さない。まず思考する事から始めるのではなく、何処に向かうのでもなく、〈中間的なもの〉に留まり、そこを住処とする事。その時、人は〈思考〉の最中にいる。この〈中間的なもの〉は、後ほど述べますが、ヘーゲルとの比較において大きな意味を持つと言えます。

話を戻すと、勝手に増殖していく雑草性のために、ひとつにまとめる事ができなかった事例が、レンブラントについての幾つかの草稿であり、分かりやすい解釈を許さない小説作品だったという事になるでしょう。

 

 

 

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次回へ続く

 

 

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