〈 It / Es 〉thinks, in the abyss without human.

Transitional formulating of Thought into Thing in unconscious wholeness. Circuitization of〈 Thought thing 〉.

堤 幸彦の映画 『イニシエーション・ラブ』 を哲学的に考える

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監督:堤幸彦

公開:2015    

脚本:井上テテ

原作:乾くるみ    

 

出演:前田敦子  ( 成岡繭子 )

   松田翔太  ( 鈴木辰也 )   

   森田甘路  ( 鈴木夕樹 )   

   木村文乃  ( 石丸美弥子 )

   三浦貴大  ( 海藤 )     

   前野朋哉  ( 梵ちゃん )

 

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この記事は、よくある味気ないストーリー解説とその感想という記事ではなく、『イニシエーション・ラブ 』の哲学的解釈と洞察に重点を置き、"考える事を味わう" という僕の個人的欲求に基づいています。なので、深く考えることはせずに映画のストーリーのみを知りたい、あるいは映画への忠実さをここで求める ( 僕は自分の思考に忠実であることしかできない )、という方は他の場所で映画の情報を確認するべきです。しかし、この記事を詳細に読む人は、自分の思考を深めることに秘かな享楽を覚えずにはいられなくなるという意味で、哲学的思考への一歩を踏み出す事になるといえるでしょう。

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  1.   ラブストーリー+ミステリー?

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a.   この映画、ジャンル的には "ラブストーリーミステリー" と言うことが出来るでしょう。そこに付け加えるならば、堤 幸彦ならではのコメディー的要素もあるといえますね。ここでは、そのコメディー的要素ゆえに、この映画をB級娯楽映画として片づけてしまうのではなく、哲学的考察をする為の題材として機能させてみる事にします。さて、"ラブストーリーミステリー" という結びつきはそう簡単に成し遂げられるものではありません。なぜでしょう。まず、ラブストーリーの決定的特徴は、観る人に感情移入させる事です。

 

b.   そのためにはラブストーリーの展開されている画面が、"全てだと信じ込まれ素直に" 受け止められなければなりませんそのストーリーに何か別の意図があるのではないかと疑いの目を持ってしまうと、もう感情移入出来ないその時点でラブストーリーは成り立たなくなるつまり観る人は、ラブストーリー以外の要素をいつの間にか見つけようとしている訳ですね。

 

c.   その意味で、この映画はネタばらしのラスト5分前まで、ラブストーリーを成立させている所が上手いのです ( もちろん厳密に言うなら、最後のネタばらしのためのミステリー的伏線は張られているのですが )。そしてラスト5分において、ラブストーリーをミステリーに変貌させてしまうのです・・・。

 

d.   しかし、最後まで見ると、あの単純なオチ ( それどころか、あんなものはオチではないと思う人もいるでしょう ) で、よくここまで映画を作ったなあと変に感心するばかりですが、そこらへんは堤幸彦的なノリなんでしょうね。

 

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  2.   ラブストーリーからミステリーへ ?

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a.   具体的に言うなら、ラストの場面ですが、繭子 ( 前田敦子 ) の前でそれまで出会う事のなかった "2人のたっくん" が鉢合わせしてしまう事によって、私達は繭子が "たっくん" と呼んでいた彼氏が2人いたというオチに気付かされます。映画の構成としては、A-sideとB-sideがあり、私達はA-sideで太っていた鈴木夕樹 ( 夕の漢字がカタカナの夕に見えるからたっくん ) がB-sideで痩せてかっこよくなるという "同一人物" の話だろうと騙されていた訳です。B-sideの "たっくん" を演じていた松田翔太は鈴木夕樹がやせてかっこよくなった訳ではなく、全く別人の"たっくん"つまり鈴木辰也だったという事なのでした。

 

b.   このラストで、ほとんどの人は繭子を二股をかけていたとして非難する気にはならないはずです。というのもラブストーリーであれば、繭子の振舞いは倫理的に問題があるという事で非難されるでしょうが、私達はもうそんな事を気にしていないこの時点で私達はラブストーリーではなく、"オチ" によってこの映画の構成を客観的に捉えなおそうとするミステリー映画の観客になっているのです

 

c.   そうはいっても、この映画のキャッチコピーは "最後の5分 全てが覆る。あなたは必ず2回観る" となっているくらいだから、初めからこれはミステリー映画だと言い切っていいんじゃないのと考える人もいるかもしれません。しかし事はそう単純ではありません。それはタイトルの〈イニシエーションラブ〉という言葉にも関わるものだからです。そして、この映画は堤幸彦の思惑やコメディー的ノリ以上の "何か" を含んでいて、それは十分に哲学的考察の対象になるものです。

 

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  3.   ラブストーリーの中に潜むミステリー

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a.   最初の方で、恋愛映画は感情移入のため、素直に受容れられるものだと言いましたが、それは実際の恋愛でもそうでしょう。恋愛は人を本気にさせる・・・。そして、それが最初の恋愛であればなおさらそうなのであり、映画の中で石丸美弥子 ( 木村文乃 )が言うように、相手をこの人しかいないというように "絶対的なもの" として思い込んでしまうのです。この "絶対的なもの" こそ最初の恋愛 ( あるいは恋愛の最初期 ) にしか存在せず、それ以降は失われていく "相手への純粋な信用" といえるのです。

 

b.   というのも人は、好きになった人が自分の思い通りにならないものである事を次第に思い知らされるからですいいかえると、"絶対的なもの" という対象が自分の中だけの "強力な理想" に過ぎないが故に、現実の相手の振舞いがどのようなものであれ、それは "理想" には及ばないという事ですそれどころか、それは "理想" を壊しかねない、 "不安" のもとになりかねない"あの人は今頃何をしているのだろう"、"浮気をしているのではないか" という具合に。

 

c.   このように恋愛においては、"絶対的なものという理想に向ける情熱" と、"現実の相手に向ける疑惑" という相反するものが同居していますこれは最初に言ったように恋愛とミステリーの組み合わせであるとも言えます。もう少し細かく言うなら、恋愛とミステリーは別々の領域なのではなく、恋愛の中には、その要素のひとつとしてミステリーが秘かに忍び込んでいるのです。相手への盲目的な熱情と相手への覚めた疑惑という相反するもの同士が螺旋的に結びつき、相手の事が愛おしいと同時に不安も覚えるという経験こそが恋愛の特徴だといえるでしょう。

 

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  4.   恋愛の通過儀礼

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a.   その意味で〈イニシエーション・ラブ〉というタイトルについて考えてみます。これを訳すと〈 恋愛の通過儀礼 〉という事になるのでしょうが、人が成長する過程で経験する儀礼のひとつとしての〈 恋愛 〉であるとしましょう。そしてこの映画で象徴的に示されているのは、〈 恋愛 〉とは決して甘美なものではなく、それどころか自分の思い通りにはならない苦いものであるという事です。だからこそそれは、人を立ち止まらせ悩ます重要な経験となるのです。

 

b.   この映画に即して言うなら、恋愛における "絶対的なもの" という理想 ( ただ一人の人を思い続けること ) が、現実ではそうではないという事です。それは相手からの裏切りであると同時に、その相手が自分の思い通りのものではないという冷酷な現実 ( その相手もその人なりの考え方や自立性がある ) をも意味します

 

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  5.   恋愛の通過儀礼から恋愛の真理の開示へ

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a.   以上の〈 恋愛の通過儀礼 〉を踏まえた上で、鈴木夕樹、鈴木辰也、成岡繭子、の3人の状況について考えてみましょう。この3人の状況は〈 恋愛の通過儀礼 〉における変化の移行を示していると分析できるのです。

 

b.   鈴木夕樹は、〈 通過儀礼 の最初期、つまり "絶対的なもの" への盲目的な服従 ( ただしラストの5分前までですが ) にあります。鈴木辰也は〈 通過儀礼 の中間期、つまり、辰也も石丸美弥子と浮気しながらも繭子が自分の事を好きなままでいると信じ込んでいるという意味 ( 繭子が浮気しているとは夢にも思わない ) で"絶対的なもの"の影響が残っています。繭子が自分の思い通りのものでないという現実には未だ至っていないという訳です ( 逆説的な事ですが、辰也が美弥子との浮気中に繭子に苛立ってしまうのは、繭子がこんな女だから全く・・・という感じで思った通りのものに他ならないと辰也が信じていたからです )。

 

c.   それに対して、繭子は途中で、辰也が自分の理想ではない現実に気付いたという意味で〈 通過儀礼 の最終期にいるのです。そして、その時に繭子が現実に選択した行動こそ、もう1人のたっくんこと、鈴木夕樹との浮気なのでした。この繭子の行動の興味深いところは、相手に対して "絶対的なもの" を求めるのではなく、自分が相手にとって "絶対的なもの" となるように相手に仕向ける、つまり、相手に惚れさせるという事ですこれは女性における恋愛の真理の一面を開示しているといえるでしょう。それ故に、この映画はラブストーリーから始まり、ラストのオチでミステリーに変貌すると共に、恋愛の真理をも開示しているという意味で考察に値するのです。

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   もちろんこれは、映画の背景である1980年代にカセットテープが流行していた事を暗に示しているのと同時に、同じにテープにA-sideという表面とB-sideという裏面の2つがある事が、"たっくん" という同じ愛称に関わる男が2人いる事の比喩になっているという訳ですね。

 

 

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