◆ 僕を哲学的に考えさせる映画〈アルカトラズからの脱出〉

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公開:1979年  監督:ドン・シーゲル

脚本:リチャード・タークル

原作:J・キャンベル・ブルース

出演:クリント・イーストウッド ・・・ フランク・モリス

  :パトリック・マクグーハン ・・・ 所長

  :ポール・ベンジャミン   ・・・ イングリッシュ

  :ロバーツ・ブロッサム   ・・・ ドク

  :ラリー・ハンキン     ・・・ チャーリー・バッツ

  フレッド・ウォード    ・・・ ジョン・アングリン

  :ジャック・チボー     ・・・ クラレンス・アングリン

  :ブルース・M・フィッシャー ・・・ ウルフ

  :フランク・ロンジオ    ・・・ リトマス

  ダニー・グローヴァー   ・・・ 囚人

 

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1. 脱獄映画の王道的作品

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f:id:mythink:20160530210142j:plain これは脱獄映画の王道と言ってもいいでしょう。まあ実際に脱獄に成功した人達の実話化なので当然かもしれないですけど。それにしても当時40代後半のクリント・イーストウッドの佇まいが渋すぎる。派手なアクションも、印象的な音楽もなく、ひたすら脱獄への道程が描写される地味な映画ですが、イーストウッドの存在感だけでも観る者を引きつける事が出来ているといえるでしょう。

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain 冒頭からアルカトラズ刑務所の象徴である所長とモリス(クリント・イーストウッド)の対立構造が、この物語の明確な軸として描かれていますそこに他の囚人とのエピソードが差し込まれ、脱獄の準備と脱獄シーンの緊張感ある描写が続く後半へと話が進んでいきます。

脱獄映画についての解説では、どうしても脱獄のシーンやそのための小道具ばかりに注目が集まってしまいがちですが、所長とモリスの対立構造という脚本上の明確な構成によって、この映画の面白みが増している事にも注意すべきでしょう

 

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain モリスが入所するなり、一方的に偉そうにしゃべり続ける所長。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain でも黙って聞いているだけのモリスじゃない。この時、所長が自分の机から離れて鳥かご(もちろん、この鳥かごと中の鳥は、刑務所と中の囚人たちの比喩となっている)をいじりながらじゃべり続ける間に、モリスは身体をすっと机の方に寄せ、2個ある爪切りの内、1個を手に入れてしまうのでした。これは部屋の壁を掘るための重要なアイテムになります。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain 所長の囚人への嫌がらせ。絵が得意なドクが描いた自らの肖像画を見つけた所長。ドクが絵を描く自由を取り上げてしまいます。彼はショックの余り、自分の指を斧で切断してしまう・・・。少しグロテスクなシーンです。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain この件で、所長に皮肉を言うモリス。かましてます。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain もうひとつ所長の嫌なエピソード。モリスたちが食事するテーブルに置かれたドクが好きな菊の花。そこに近づいた所長は菊の花を握りつぶす。それに激高したリトマスは所長に掴みかかるが心臓発作で倒れてしまう。そこで所長のセリフ "もう脱獄もできんな"。嫌な奴を演じきっています。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain 脱獄する直前に別れを確認するモリスとイングリッシュ。いつものように雑誌と本を配りに来たイングリッシュ。雑誌を渡し、"またな"といって立ち去ろうとするイングリッシュにモリスは言います "さよならさ、坊や"。手を差出すモリスに、脱獄する事を悟ったイングリッシュはそれ以上何も聞かずに握手して言い返します "あばよ"。味わい深いシーンです。

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f:id:mythink:20160530210142j:plain 脱獄に成功したモリスたち。起こしに来た看守は、モリス本人ではなく、張りぼての頭部がそこにあるのを見て驚く。ここに至る脱獄のための描写シーンは実際に映画を見て頂いて味わってもらうのがいいでしょう。サスペンスタッチの緊迫感溢れるシーンの連続は観る人を飽きさせずに最後まで引っ張ってくれます。

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2. "脱獄"についての哲学的考察

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f:id:mythink:20160530210142j:plain さて、ここで"脱獄"について哲学的に考えて見ましょう。というのも映画の結末では明確にならない事、3人が途中で死なずに海を泳ぎきったのかどうか(実際にもどうなったか分からない)が、"脱獄"について考えさせるきっかけとなるからです。3人が海を泳ぎきったかどうかという事に人々の好奇心が集まるという事は、詰まるところ、それが"脱獄"が成功したかどうかを意味すると考えていいでしょうただし、それは当事者の3人以外、好奇心を持つ私達にとってのみという条件付ですが

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain なぜなら3人が生き残った事が分かっているのなら、その時点で捜索する警察側に3人の動向が抑えられている事になり、捕まる可能性が強いと言えるからです。つまり当事者3人にとっては自分らの生存が不明な方が "捕まらない可能性"が高いという意味で、"脱獄"は成功しているといえるのですしかしそれはあくまで"捕まらない"という意味であって"生きている"という意味ではありません逆に言うと、"死んでいたら捕まりようがない"という事になるのですが、それは3人が望んだ結末ではないでしょう最も望ましい結末は、"生きていながら捕まらない"という事なのですが、そのためには逆説的な事に"命を賭けること"を最初に選択しなければならなかったのです。

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain なので3人にとっては脱獄する事は、生きるか死ぬかのどちらかに命を賭けて身を委ねる行為以外の何物でもないという意味で、刑務所を脱出した時点で成功したといえるのですこの点からすると、脱獄の準備が遅れて刑務所を脱出出来なかった4人目の仲間、バッツは命を賭ける事が出来なかったと言えるでしょう。

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain では、3人が死なずに海を泳ぎきったのかという事に興味を抱く私達自身については、どう考えるべきなのでしょう。精神分析的に言うなら、それは脱獄という行為をただ一度きりのものではなく、永遠のものとして象徴化しようとする欲望だといえるでしょう(なので私達の中では3人は生きているという事になる)刑務所が強固であればあるほど、そこに開いた"脱獄という穴"は私達の欲望を呼び寄せ、自らの周囲を縁取らせつつ、"穴自体"を強力なものにしようとするのです

 

 

f:id:mythink:20160530210142j:plain この象徴化を示すものとして以下の記事を参照する事が出来るでしょう。

 

「ザ・ロック」と呼ばれた絶海の孤島で難攻不落の刑務所「アルカトラズ」から生きて脱獄したかもしれない3人の男 - GIGAZINE

実際に彼らが途中で死んでいたとしても、私達の間では彼らを生かそうとする欲望がある事を示す記事だといえます。

 

 

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フランスの脱獄映画。

 

 

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