◆ 僕を哲学的に考えさせる映画〈 こわれゆく女 A WOMAN UNDER THE INFLUENCE 〉

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監督:ジョン・カサヴェテス

出演:ピーター・フォーク(ニック・ロンゲッティ)

  ジーナ・ローランズ(メイベル・ロンゲッティ)

  キャサリン・カサヴェテス(マーガレット・ロンゲッティ)

公開:1974年

 

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1. "日常"を映画に昇華させるカサヴェテス

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f:id:mythink:20160523084514j:plain 最もありふれたものだが、最も取り扱うのが難しい映画のテーマが"日常"でしょう、それが夫婦であるならなおさら・・・。この"夫婦という日常"をカサヴェテスは映画に見事に昇華してしまった。"夫婦"とは身内である以前に、本来、他人同士である男と女であるが故に、"問題"が常につきまとうものである事をカサヴェテスは率直に示しています。

 

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f:id:mythink:20160523084514j:plain そして、この"日常"は映画の中だけの虚構ではない、つまり"日常"は映画の中に回収されない"強力な現実"であるが故に、日常についてのこの映画もまた、日常に結びついたひとつの"現実"であるとカサヴェテスは言っています。

 

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2. A WOMAN UNDER THE INFLUENCE

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f:id:mythink:20160523084514j:plain 結婚した事のある男なら、以下のシーンは落ち着いて観る気分にはならないでしょう。誰であれ、こんな経験はあるでしょうから。

ニックの帰りを一人で待つメイベル。子供たちは義母の元に預けている。しかし水道工事員であるニックは急な仕事で帰る事が出来ない。

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恐る恐る電話するニック。メイベルは落ち込む。

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f:id:mythink:20160523084514j:plain こんな具合に、"日常"が深く掘り下げられ描写されていく。そしてこの"日常"の中の"狂気"を体現しているのが、ニックの妻であるメイベルです。彼女は常に興奮し落ち着きがないのですが、カサヴェテスはこれを他人、そして社会との関係において、それらの影響と圧力を受けながらも、そこでしか生きていると感じられない女性の特徴として描き出しているのです

 

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f:id:mythink:20160523084514j:plain ある意味で、メイブルは自分以外の他者に関わり過ぎているといえます。その他者を愛したり(彼女の子供たち)、嫌ったり(ニックの母親)、楽しませたり(ニックの労働者仲間達)、そして共に居続けようとして(ニック・・・)、他者の中で生きようとしているのです。これは何を意味しているのでしょう?孤独を紛らわすため?仮にそうだとしても、メイブルはそれが上手く出来ずに狂気の度合いを強めていく・・・。

 

f:id:mythink:20160523084514j:plain それは彼女が自分自身に関わろうとして耐え切れずに壊れていく過程だといえます。この点において女性の内面には自分自身では制御する事の出来ない獰猛な何かがある女性はそれを避けるために外部の他者に向かうのではないでしょうか

 

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f:id:mythink:20160523084514j:plain しかし結局の所、カサヴェテスも言うように、その外部からも揺さぶられてしまうために、不安定な存在になってしまうのです。この映画の原題 "A WOMAN UNDER THE INFULUENCE"まさにその事を言い表しています。

 

f:id:mythink:20160523084514j:plain それに対して"こわれゆく女"という邦題は悪くはないのですが、それだとどうしてもメイブルの狂気の過程ばかりを観る人に読み取らせてしまう(とはいえ"何かの影響下にある女"という直訳では商業的に難しい・・・)。カサヴェテスはそうしたものを越えた二人の絆を描き出そうとしている事を忘れるべきではないでしょう。

 

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3. 男と女、二人でいる事・・・

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f:id:mythink:20160523084514j:plain 女性は自分の"外部"に、内面に沈み込みそうな自分を引っ張り出してくれる"男"を求めている。あるいはカサヴェテスの言葉でいえば、女性は男が尽くしてくれるのを望んでいるという事でしょうか。

 

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f:id:mythink:20160523084514j:plain しかし、女性の"理想"とする"男"は現実にはほとんどいないでしょう。理想に照らし合わせて、この男ではないと思う限り、"男"と一緒にいる事は難しいはずです。なぜなら、そんな理想は"日常"の中にはないからです。大切なのは"日常"の中で、時にすれ違い、時にぶつかり合う"男"と一緒にいたいと思えるかどうかです。そう思える時、男が不器用で少々がさつでも、男が自分と一緒にいたいと思っているかどうかも分かるはずです。互いにそう思っている男と女は、一緒にいる事の幸せを掴んでいるといえるのではないでしょうか。

 

f:id:mythink:20160523084514j:plain ニックとメイブルは、紆余曲折を経た上で、互いの事をそのように再確認しています、言葉には出さないけど、一緒にいたいという思いを抱きながら。それはロマンチックなものではなく、あらゆる困難や感情が渦巻く日常生活の中においてしか維持されないものです。そこには二人で一緒にいる事の意味が、つまり本来他人同士である男と女が一緒にいる事を互いに選択しているという奇跡がある。その経験は男であれ女であれ一人でいる者が決して辿りつけない出来事だといえるでしょう。

 

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f:id:mythink:20160523084514j:plain なので病院から帰ってきて気を使うぎこちないメイブルに対してニックが、いつものように振舞えと言って、"日常"を再開した時、それは単に以前の生活に意味無く戻ったのではなく、"日常"こそ二人が一緒にいる事を再確認するものとして"新しい日常"になっていると解釈できるでしょう。そこにロマンティックな言葉はないが、カサヴェテスはそんな瞬間的なものより、永遠の男女関係を描き出したのです。

 

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