哲学的考察と備忘録

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僕を哲学的に考えさせる映画『 人狼ゲーム ビーストサイド 』

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監督:熊坂出   公開:2014年   脚本:山咲藍

出演:土屋太鳳    ( 樺山由佳  森川葵     ( 宗像美海

  :青山美郷    ( 萬田麗子  加藤諒     ( 小曽根正則

  :桜田通       ( 藤堂由紀彦 國島直希 ( 柳川祐貴

    佐久間由衣   ( 対馬)

 

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1.   土屋太鳳の潜在力

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   もともと僕はこの映画の事 ( この映画以外の人狼ゲームのシリーズ "人狼ゲーム" "人狼ゲーム クレイジーフォックス"を含めて ) 知りませんでした。知るきっかけとなったのはこの映画の主人公である土屋太鳳がオーストラリアのシンガー、Sia の "アライブ" のミュージックビデオで見せた躍動感溢れるコンテンポラリーダンスを見た事です。

 

          

           Sia 『アライヴ feat. 土屋太鳳 / Alive feat. Tao Tsuchiya』

 

   このMVでは、普段の彼女からは窺い知る事の出来ない、内に潜む野生 ( 強く生きていく女性の意思という表現では言い尽くせない ) を垣間見せたといえるでしょう ( 1 )。それは振付師のダンサー、辻本和彦をして「鳥肌が立つ。恐ろしいほどの変貌と表現力」と感嘆せしめたものでした。

 

   土屋太鳳という女優と彼女のいくつかの作品は知っていたのですが、そんな彼女のダンスのように恐るべしと思わせる表現力が垣間見られる作品はないだろうか、と探していた時にこの映画を知ったのです。"オレンジ"、 "まれ"、 "るろうに剣心"、などでも見ることが出来なかったのですが、この "人狼ゲーム ビーストサイド" で暗黒的な顔を覗かせています。

 

   エキセントリックな狂気というよりは、怒りを表現しているといった方がいいでしょうか。周りの俳優たちより内に抱えるエネルギーが明らかに強く ( 森川葵加藤諒などの個性のあるメンツなのですが )、自分たちが建物の中に閉じ込められ殺人ゲームを強いられるという状況への苛立ちを発散させているのです。現在の土屋太鳳 ( "まれ" "オレンジ"を経て、清純派の顔になっている ) とは明らかに面構えが違う、この映画のときの方が年齢は若いのに大人びているし、戦う者の強さが滲み出ています。ただ本人は、この役柄・この映画自体について、映画の内容的な面もあって全面的肯定をし難い微妙な距離感を抱いているようであり、しばらくは過激な役どころは、見ることはないでしょう。でもいつかまた、彼女のポテンシャルを引き出すようなエキセントリックな役を見てみたいですね。

 

 

2.   映画のストーリー

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■   映画のストーリー自体は集められた10人の若者が、人狼2人と村人8人 ( その中に共有者2人、預言者1人、用心棒1人がいる ) などの与えられた役割を担い、毎晩8時に全員集まり、人狼1人を指差しの多数決で決めて殺すというものです。これとは別に人狼2人は毎晩12時以降誰かを殺します。つまり人狼対村人というチーム編成であり、人狼2人は基本的に自由に誰かを殺す事が出来る ( 用心棒に守られた人は殺せなかったり、時間の制約はあったりしますが ) のに対して、村人たちは夜8時の全員の集まりにおいて人狼を探し出し殺す事によって人狼に対抗するのです。人狼2人を殺せば村人の勝ち、村人と人狼が同数になれば人狼の勝ち、と言う具合です。

 

■   しかしこのルールでは村人達にとって不利でしょう。というのも村人は夜8時の集まりにおいて、誰が人狼なのか確証がなくとも、誰かを選んで殺さなくてはならないからです。つまり誰もが殺される可能性がある疑心暗鬼の中では、人狼を選ぶ以上に自分が殺されないようにしなければなりません。ここが人狼側からの狙いどころという訳です。なぜなら皆が疑心暗鬼になり冷静な判断が出来ない状態であれば、人狼も一緒に疑心暗鬼の振りをしてその中に入っていけるからです。なので最初の人数が多く残っているうちは、もちろん見つかる危険はありますが人狼に有利なのです。

 

 

3.   ラストのひねりとその解釈

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■   ところが人数が少なくなってくると人狼が危険に陥る事になります。もし、預言者や用心棒がその中に生き残っていれば人狼の正体がばれてしまうからです。実際、映画のラストでは、村人の美海 ( 森川葵 ) と彼女を守った用心棒の対馬瞳 ( 佐久間由衣 ) の2人によって由佳 ( 土屋太鳳 ) の正体が人狼である事が暴かれてしまいます。

 

■   万事休すかと思われたその時、由佳は突然、"実は自分が人狼ゲームが3回目である事、勝っても解放されない"という告白を始めるのです。これが本当なのか嘘なのかは正直微妙な所でどちらにも受取れるように見えますね。ただ、このタイミングで告白するという事は、それが本当であれ嘘であれ、結局の所、自分を守るための最後の手段である事に変わりはない。

 

   つまり告白という由佳の最後の手段は、本当であろうがなかろうが、それまで培った美海との関係性を利用して、美海が自分を殺すのをためらうように仕向けるものだったという意味で計算高いものなのですそう考えれば、今までの伏線を回収できて話しに整合性が生まれます。由佳!どれだけずる賢いんだよって突っ込みたくなりますが。

 

■   由佳は映画の始めから、美海の部屋に行きアイスクリームをたびたびあげたりして美海の書いた絵を褒めてコミュニケーションをとろうとします ( 美海は要注意人物だと由佳は感じていたのでしょう )。由佳は美海とのみ楽しい未来を語り合う関係をずっと作り続けていたのです、美海に人狼だと宣告される前日までも・・・。美海も途中から由佳が人狼である事に気付いていたのかもしれません、でも由佳との楽しい関係だけは純粋に信じていたのでしょう。だからこそ由佳の告白を信じ、自分と瞳では3回もこんなゲーム続けられないとして最後の多数決で由佳とともに瞳を指差し、その後自分も死んだという訳です。なので由佳と美海の冒頭からの関係は、このラストにおいて回収されるのです、由佳が自分を守るための最後の保険として機能させるために・・・

 

 

4.   由佳の欲望の真実

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■   その後、由佳は無事に建物から外に出て歩きながら、仲間たちの遺品を次々と放り投げてしまうところで話は終わるのですが、これはどう解釈すべきでしょうか?(2 )。遺品を持ち帰る事は、もちろん遺族に渡す事を前提としているはずですが、それは詰まるところ、このゲームを終わらせる事でもあります。通常、故人の遺品を遺族に返す事は、自分が背負った故人への負債を清算してしまう事であるからです。しかし、遺品を投げ捨てたという事は、自分の中に清算し切れない仲間への負債が残っている事を意味するといえます ( 仲間を殺したのですから当然といえば当然なのですが )だから由佳はゲームが終わらずに続く事を望んでいる・・・彼女は再び、ゲームに戻る事を選択している・・・と考えるべきでしょう。

 

■   それは彼女自身の欲望なのでしょうか?あれ程、このゲームから抜け出すと考えていたのに・・・。しかし注意すべきなのは、"抜け出す事が必ずしもゲームをやめる事を意味しない"という事です"抜け出す事・・・それは生きて再びゲームに参加するためだ"と考える事も出来るのです。そうすると由佳はゲームで生き残る事に享楽を見出す人間性を失った存在になっているのでしょうか?その可能性は否定できないでしょう。美海がこのゲームを何回も出来ないと言ったように並の人間には耐えられないものだからです。

 

■   しかし別の考え方も可能です。それは由佳の "犯人を殺す" という言葉について考えてみることです。この映画を見た人は由佳がゲームで生き残った後、建物から出て犯人を殺しにいくかも、と思うでしょう。でも犯人に結びつく証拠などないのに外に出た所で何も出来ない、せいぜい警察に知らせることしか出来ないです。ならば犯人を殺すためには、どうしたらいいのか?ゲームに参加する中で、どうにか犯人に辿りつく方法を見つけ出すしかないのです。ゲームの中でしか犯人の尻尾を掴む事が出来ないという訳です。

 

■   由佳は最後の告白の中で "3回も参加している。解放してくれない" と言っていますが実際には"自分の意思で来ている"と別の場面で言っています。では何を目的に来ているのでしょう?由佳はそれを明らかにしませんが、おそらくは犯人を殺しに来ているのではないでしょうか。そう考えなければ "犯人を殺す" という由佳の言葉は、最後にみんなの遺品を投げ捨てるという場面と相俟って、一時的な感情によるものという思い付き以外の何物でもなくなり、ストーリーの中に回収できなくなります

 

■   その言葉にストーリー的な整合性を持たせるには、由佳が犯人を殺すという目的を持ってゲームに参加しているとしか考えられないのです ( 明言される事はないですが )。そうでなければ、なんとなくという理由で参加したり、気付いたら連れてこられていた、という他の仲間との差別化が図れなくなり、人狼を敢えて主人公 ( だからタイトルがビーストサイドという事ですよね ) にしてまで村人とは違う効果を出そうとする狙いが曖昧なものになる気がしますね。

 

■   そして由佳が犯人を殺そうとしている事と絡めて考えるならば、みんなの遺品を投げ捨てたのは、彼らの事がもうどうでもよくなったからではないと言えるでしょう。遺品を持ち帰り、遺族に渡したところで彼らが甦るわけではありません ( 遺族への慰めくらいにしかならないし、それどころか彼らを殺したと疑われかねません。実際、そうである訳ですが・・・)。なので由佳は犯人を殺す事で死んだ皆に報いようとしている、自分の背負った仲間への負債を解消しようとしている、と考える事が出来るのです。

 

■   最後の多数決で美海が由佳ではなく瞳を指差した時、美海は由佳に生き延びる事を託したのであり、由佳も美海のメッセージをしっかりと受取ったのでした。由佳はそんな美海の思いに答えるため自分に出来る事は、やはり犯人を殺すしかないと再確認せざるを得なかったはずです・・・。

人狼として仲間を殺していく一方で、絆を深めていく面もあるというのは、今回の映画が人狼を主人公のしているが故の面白さであるといえるでしょう。

 

 

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( 1 ) 

このMVの時の、心情を彼女が自分のブログで綴っています。

 

" 私はあの時、人間という動物が成体になる時の野生とか、大人になることの哀しさとか、歌詞の中に、「悪魔」というキーワードが出てくるので宗教上の悪魔の解釈とかを込めて自分なりに表現した・・・・・"

■   Alive.|土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」

 

興味深いのは、彼女の普段のおっとりした外見とは違う "内面" が、この文章から見えてくるという事です。多くの人に見えていないかもしれない彼女の本質、周囲に対する気遣いだけでなく、恐るべき情熱と同時にどこまでも物事を冷静に見る観察力、つまりそれは内面の成熟度が高いという事であり、おそらくそれは10代の頃から撮影の連続を通して培われてきたのでしょう。 

 

( 2 ) 2018.5.6. 追記

彼女はこの時の由佳の心境を最近のブログでこう解釈してますね。

 

" ちなみに人狼のラストシーン、由佳が歌いながら歩いている場面の解釈は観るかたによって本当にいろいろあって感想を頂くたびに目から鱗なのですが、私自身は、建物を出るまでは由佳の気持ちはいわゆる「正常」に保たれているのだけどでも出た瞬間から安心できるはずの世間の中に戻っていくにつれて失われたものを自覚して壊れていく何かに苛まれて心が飲み込まれていくという解釈で演じました。"

" 誰でも生まれた時は罪のない赤ちゃんなのに生きることで罪を背負ってしまう人がいてその原因や場所は自分を育ててくれるはずの学校や成長だったりする。その10代だからこその悲劇の瞬間を表現したいと思いました。"

 

■   今日のドラマ「チア☆ダン」の現場石井杏奈ちゃんはずっと演技もパフォーマンスも拝見して... | 土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」

 

このブログはTVドラマ『 チア☆ダン 』の収録での佐久間由衣 ( "人狼ゲームビーストサイド"の対馬瞳役 ) との再会を通じての当時の感想なのですが、もう4年近く前なのに当時の役柄についての解釈をちゃんと述べるところに作品に対する誠実さを感じますね。たしか当時は自分の役柄をここまで言語化できてなかった ( 精神的キツさもあったでしょうから ) と思いますが、それ以降も彼女の中でこの作品と向き合い自分の芸の糧にする作業をしていたという事でしょう。

 

 

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