哲学的考察と備忘録

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「 現実が夢ではないことを証明せよ 」という入試問題を哲学的に考える

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いくつかのブログで上智大 ( 大学院?) 哲学科の入試問題 "現実が夢でないことを証明せよ" が採りあげられていました。興味深いので僕もその問題について考えてみることにしますね。

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1.   現実と夢

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この問題文を見て、まず誰もが直感的に感じるのは、現実と夢の間には何らかの関係性がある ( 便宜的にこれを B と呼びます ) ということでしょう。次に、その B を何とか定義しながら「現実は夢でない」( これを A と呼びます ) に結び付けていこうとするのでしょうが、この手順では "上手い回答" を出すのは難しいでしょう。

 

 

2.  「 現実が夢ではない 」とは真理なのか?

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というのもAと B の間には、論理の飛躍というよりは、"断絶"があるからです。いくら現実と夢の関係性 ( B ) を必死に定義しようとしても、A が真理であると最初に証明されていなくては、B から A へと辿りつく事は出来ないでしょう。

 

もし A が真理でなければ、そもそもの前提 ( 現実が夢ではないという ) が間違っている事になり、いくら B を定義しても、それは無意味になってしまいます ( あくまでもAの立場から見た場合ですね )。

 

 

3.   論理操作が必要な証明

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しかし、その A を証明せよと問われているのだから、B について考えるのは当然じゃないかと思われるかもしれません。でも B のような関係性というのは、そもそも "内在的な哲学的論理" であるので、A のような証明や判断を下すといった後付けの設定に "哲学的に" 結びつけるのは難しいのです。A へ向かうためには、意図的な論理操作 ( A の結論を前提とする ) が必要になってくるからです。

 

 

4.   ゲームの規則

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でも、それは不可能ではありません。A を "哲学的真理" ではなく、"ある状況的なもの" と考えれば可能です。"ある状況的なもの"とはこの場合、A は入試の問題であり、回答者の哲学的な知識や素養を推し量るための設定であると考える事です。そうであるならば、回答者はこの "ゲームの規則" に乗っ取って、A を取り敢えず真理として受け入れ、A という結論へ無条件に向かうために、論理を好きなように組み立てていけます受験生の立場ですと、この方向性がベストでしょう。

 

 

5.   Bの前提を崩すこと

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以上のことを踏まえた上で僕が思うのは、もう受験生ではない ( 僕以外の人を含めて ) のだから、もっと哲学的に考える事が出来るだろうという事です。

 

A に対する回答として面白いのは、B について考える事が、そのまま A と言う前提を突き崩すことになるというものでしょう ( A への反論を最初から目指すということではありません、つまり反論のための反論ではないということです。とはいえ哲学的な考えに慣れている人にとって A の命題が不十分なことは直感的に気付くはず )。とりあえず考えていく事にしましょう。

 

 

6.   夢は現実ではない

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ここで A の反対のテーマ ( 否定形は踏襲しておきます ) を設定してみます。つまり、「 夢は現実ではない 」 というテーマを設定し、これを C とします。おそらく、この C の方が、A よりも問題含みであり、だからこそ C を導入する事によって B をより興味深く練り上げる事が出来るのです間違っても、この C に対して、夢は眠っている間に見るのだから現実でないのは当然だなどという単純な結論は出すべきではないでしょう。C のような一見当り前のような命題に対して、いかに思考を働かせていくのかという事が、A について回答するための重要なポイントになります。

 

 

7.   父親が見た夢についてのフロイトの解釈

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夢について考える際、フロイトを参照する事が役に立つでしょう。特に『 夢判断 』における余りにも有名な "父親が見た燃える子供の夢" です。

 

父親は死んだ息子の通夜の晩に眠ってしまいます。蝋燭が倒れ息子の棺に火が移ってしまうのですが、父親は眠りの中で、まさにその息子の夢を見ているのです。夢の中で息子は父親に告げます、「お父さん、僕が燃えているのが見えないの?」。

 

父親はその後、目を覚ますのですが、フロイトはこれを願望充足 ( 生きている息子に会いたいという願望 ) のために、火の燃え移りという現実の出来事 ( 父親は熱や臭いにより、漠然とそれに気付いている ) を取り込んだ夢 ( 燃えている息子と会っているという ) が、眠りを継続させていると解釈します

 

目覚めて現実の出来事にすぐに反応する事よりも、息子に会いたいという願望充足によって引き起こされる夢を見続けたいがために、睡眠の継続がここでは選択されているという事ですね。

 

 

8.   父親が見た夢についてのラカンの解釈

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後にこれに対して、フランスの精神分析家、ジャック・ラカンはさらにラディカルな解釈を行います。彼はフロイトの解釈についてこう考えます、夢の中で息子に会えているのに、なぜ目覚めたのかと夢によって睡眠の継続が選択されていたのに、それを中断させたのは何か、という事ですね

 

もしこれを単に火の燃え広がりが強くなってきたためだと現実の出来事だけを原因にするとしたら、夢の中に息子が出てきている意味がなくなってしまいます。父親は火について漠然と気付いていながらも、夢を見ていたのですから。

 

つまり、この時、父親にとっては外界の出来事よりも、夢の方が重要だったのであり、外界の出来事を上回るという意味で、夢のほうがよりリアルなもの ( ラカンはこれを現実界といいます ) だったのです。

 

この夢は、父親が息子を助けてやれなかったという現実がそこに込められているという意味で、ひとつの現実なのですが、だからこそ父親にはそれが耐えがたく目覚めてしまったという訳です。

 

フロイトの解釈においては、夢は睡眠を引きのばすものでしたが、ラカンにおいては、夢は強烈になると ( 端的に悪夢といってもいいでしょう )、耐え難い現実となり、睡眠を中断させてしまうというように、夢の地位が変化しているのですね。

 

ここで一端、整理しておきましょう。ポイントは "現実" という概念が侵入する事によって、夢の解釈が変わる事です。フロイトにおいては夢は睡眠をひきのばすための幻想の地位に留まっています。ラカンにおいても、夢は幻想なのですが、幻想に過ぎないものが夢見る本人に対して現実的な効果を発揮している ( 目が覚めてしまうくらいに ) という意味で現実以上に現実的なもの ( 現実界 ) になっているという事です。

 

 

9.   父親が見た夢についてのジジェクの解釈

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このラカンの解釈をスロヴェニアラカン派哲学者、スラヴォイ・ジジェクはさらに推し進めます。彼が言うには父親が夢の中で遭遇した物は、現実よりも強烈な外傷 ( 息子の死に対する彼の責任という ) です。この現実界から逃れるために彼は現実へと覚醒したという訳です。現実こそが私達を強烈な現実界から守ってくれる遮蔽幕だとも彼は言います。

 

そうであるならば、 現実界から逃避する事は、そこから目を背ける事を選択したという事であり、現実界を避けて現実へと覚醒するという言い方は厳密には違うと言えるでしょう。逃避するのは、さらに眠り続けるためだと考えるべきなのです物理的に睡眠する事から精神的な意味で睡眠し盲目になる事を、幻想としての現実 ( ジジェクはこの現実を幻想が構造化されたものとしています ) という場において選択したという事です。

 

ここにおいて現実は覚醒していくべき場ではなく、人が眠り続けていく場へと移行しているのです。それと共に覚醒するという概念も変質していきます。人は基本的に眠り続けているといえるでしょう、物理的にであれ、精神的にであれそこから覚醒するとはラカンのいう現実界を引き受けることであり、狂気に陥る可能性がある事なのです。

 

 

10.   CからDへ・・・

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フロイトラカンジジェクの解釈を参考にした上で C に戻るならば、もはや C は証明出来ないどころか、「夢は現実である」という新たなテーマを打ち立てる必要があるでしょう ( これを D とします )。この D を念頭におきながらB ( 現実と夢の関係性 ) について考えましょう。

 

通常、人が "現実と夢" という時は、両方を別のものだと考えていますね。別のものでありながら両方をくっつけて考えるのは、そこに隠された媒介項としての "眠り" があるからです眠っている時に夢を見る、眠りから覚めて現実に戻る、では現実と夢の関係は?という具合に考える事が出来る訳です。フロイトの解釈もこの延長上にあると考えられるでしょう。

 

しかしラカンの解釈を参照すると捻りが加わります。"現実と夢" をつなぐ媒介項が "現実界" になるのです現実界の観点からすると、より現実的なものは"夢"なのですD で表しているとおりですね。

 

では夢が現実であるならば、現実は一体何でしょう?現実は現実界に比べると現実的なものではありません。それは覚醒していく場所ではなく、現実界において覚醒しないように眠り続けるための場所であるのです。そこはジジェクがいうように幻想が構造化されたものとしての現実であるといえるでしょう。とするならば 「 現実は夢である 」 といえるでしょう ( これを E とします )。

 

 

11.   DからEへ・・・そしてA

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A ( 現実が夢ではない ) を証明するために、B ( 現実と夢の関係性 ) を考えながら、C ( 夢は現実ではない )D ( 夢は現実である )E ( 現実は夢である ) とテーマを移行させてきました。B を考えながら最終的に E へ至った訳ですが、E が真理であるかどうかは微妙であるにしても、A に対して E という相反する命題が考えられるという事は、少なくとも、A が真理ではない、つまり A が証明出来ない事を示しているといえるでしょう

 

 

 

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